じねんの生きざま

英彦山六峰というものがあります。豊前の地域の修験道の暮らしをしていたお山たちです。昨日は蔵持山にお彼岸の供養とご祈祷をしてきました。かつての霊山は今ではほとんど宿坊もなくむかしの石積みや石垣、墳墓の跡だけが残っているだけです。

もともと中世から近世の豊前には、英彦山を中心として福智山、普智山、蔵持山、求菩提山、松尾山、檜原山という有力な山岳寺社が展開していました。「豊前六峰」「彦山六峰」とも呼ばれています。中心寺院はそれぞれ金光明寺、等覚寺、宝船寺、護国寺、医王寺、正平寺で、それぞれのお山で多数の坊や行場を持ち修験道の実践や暮らしを営んでいました。

蔵持山(くらもちさん・くらもてさん)は現在のみやこ町犀川上高屋にあり、標高は約470メートルです。ここは千年以上の歴史を持つ豊前屈指の霊山です。『彦山流記』にも彦山四十九窟の第二窟として「蔵持窟」が出てきます。別名、空躰窟・空鉢窟とも呼ばれ、静暹聖人(じょうせんしょうにん)が開いたと伝えられています。彦山領域の北限として「蔵持山法躰岳」とも記されます。

この「蔵持」という名前は、静暹上人が山中で修行していたとき、空の鉢を飛ばして門司関から米を得て、その米を収める蔵を建てたことから「蔵持山」と呼ばれたという伝承です。この「空鉢」は聖観音の化身とされました。蔵持山神社の隣にも上宮や山頂にも観音様が安置されています。

この鉢を空へ飛ばして食料などを得る「飛鉢譚」は、静暹聖人だけでなく白山を開いたとされる泰澄、播磨一乗寺の法道仙人など、日本各地の山岳聖にも同じような伝承があります。研究では、こうした話は古代から中世へ移る時期に、山岳寺院の縁起として各地で形成されたものではないかとも言われています。

千年前の修験者がお山に入り、岩窟で暮らし始める。そこに多くの修験者が集まり一大聖地になっていくというもの。これが全国各地のお山の伝承に遺っているというもの。

特にこの蔵持山は四土結界といってお山を大切に扱い信仰してきた場があります。お山全体が一つの修行と暮らしの場になったのです。その暮らしそのものが聖域ということでしょう。人間がどこまでお山に入り、お手入れすることがもっともこの世を極楽浄土にするのかを実践したのが修験道開祖たちの生き方です。

それぞれのお山には、魂が遺ります。

その魂に触れ、どう甦生させていくかは今を生きる私たちのお山への新たな関わり方が鍵を握ります。お山と結び、かつての人々が志した美しく澄んだ「じねん」の生きざまを実践していきたいと思います。