お山の暮らしの甦生

地域のお山や英彦山流域の甦生に関わりながらもう一度、お山とお水の関係を深めています。そもそも水を蓄えられる山とは何か、なぜ何年も何十年もお水が湧き出てくるのか。そこには、お山とお水の関係性がありそれを調和する場が醸成されていることに気づきます。

例えば、お水が溜まり続けるお山は天から降った雨をすぐに川へ流さず、落ち葉や土、風化した岩、岩盤の割れ目などに浸み込ませ、地下に一度蓄えてから、時間をかけて少しずつ湧き出させる力があります。そのため、雨が降らない日が続いても沢や湧水が比較的安定して流れ続けることができます。

その逆にお水が蓄えにくいお山では、表土が薄かったり、地面が締め固められていたりして、雨が地下へ十分に浸透せず、地表を一気に流れます。そのため、雨のときには急激に水が増え、雨が止むとすぐに水が減ります。つまり水源のお山とは、お水の量ではなく、ゆっくり沁みこみゆっくり湧き出すという偉大な時間をかけて静かに穏やかにお水が循環する仕組みが働いているのです。

日本の現代のお山の問題は、この山が水を受け止め、蓄え、ゆっくり流す力が弱くなっている場所があることだといわれます。人工林の管理不足や過密化、表土の流出、林道や造成、土壌の締め固まりなどによって、雨が地下へ浸み込まず、一気に谷へ流れやすくなることがあります。その結果、大雨時には急激に増水し、晴天が続くと沢や湧水が弱くなるという、水循環の偏り発生していくのです。

これは単に木の本数や種類の問題のことだけを言うのではなく、土・水・植物がつながって働くお山の水循環そのものが大いに損なわれている可能性を示唆しています。お山がいつまでもこの状態が続くと、お山は「雨を受け止める場所」から「雨を一気に流す場所」へと変わっていきます。そして大雨のときには土砂や水が急激に下流へ流れ、晴天が続けば沢や湧水が出なくなる。この洪水と渇水の振れ幅が大きくなるほど土壌流出、斜面崩壊、水源の不安定化、生きものの減少へとつながっているということです。

最近の宿坊の近くの沢も、お水の流れが減ってきています。渇水状態が続き、雨が降れば洪水のように流れます。これは受け止める力が失われてきているという証拠でもあります。土が乾燥して硬くなり、お水が蓄えられなければ、多様ないのちを育めなくなります。

かつての日本の山は、薪や炭、落ち葉、下草、木材などを得るために、人が日常的に山へ入り、お手入れされていたといいます。これを里山文化ともいいます。つまり人の暮らしと山の循環がつながっていました。つまりお山の暮らしがあったのです。

現代では、化石燃料や輸入材の普及、過疎化、林業の衰退などによって、人が山へ入る機会が大きく減りお山に人もいないし、暮らしなどは完全に消失しています。機能としての観光や登山などのアミューズメントは残っても、暮らしがないのです。

人とお山との関係の断絶は暮らしに現れてきます。

本当にお山を甦生しようとするなら、私が宿坊で取り組むようにもう一度、お山の中に棲みお山との暮らしを結び直すことが急所ではないかと直観します。

大地の再生で学んだことや、自然農や伝統文化などで得てきた智慧をお山の暮らしに活かしていこうと思います。まずは小さく、足元の実践から暮らしを調えていきたいと思います。