月の心

昨日は徳積堂で十五夜祭を暮らしの中で執り行うことができました。ここ数年の中でも特に印象深い素敵な心月の余韻を過ごすことができました。

秋分からお彼岸の時季ということもあり、彼岸花や稲やススキ、銀杏の実やお芋などをお供えしました。おはぎのお布施もあり、また芋名月ということから芋のお菓子の奉納もたくさんいただきました。

全員が集まってからは尊敬する禅僧と共に先祖供養をし、参加者全員のご先祖代々への感謝を一人ひとりいのりました。そしてみんなで協力して里芋などを使った芋煮けんちん汁をつくり、お月見団子や和え物、お漬物を準備しました。子どもたちもたくさんいて、一家親族の集まりように和気あいあいと楽しみます。

そして食事の前に感謝やよりよく生きるための五観の偈文を唱えいただきます。いのちをいただきながら、お月さまとの思い出話や関係の深いそれぞれのご縁をみんなで語り合います。食後はお月見をして徳積堂へ移動し、調った場で一期一会の十五夜の音楽をみんなで味わいます。

ちょうど昨日は花火大会ということもあり、遠くで花火の灯りが差し込み、音が響き合い、コオロギや鈴虫などの鳴き声とも調和して永遠のような優しい刻を過ごすことができました。演奏の最後は、みんなで唄い予祝をして静寂な時間に入りその余韻で語り合います。世の中の競争や喧騒を忘れて、1000年以上続いてきたこの中秋の名月の年中行事に心を合わせます。

何もなくても全てがある透明で澄んだ境地。

この世にこのような贅沢と幸福があるのかと思えるほどの心の静けさ。これがお月さまのいる場の空氣ではないかと実感しました。

そもそも文章では語れないものですが、目指している心は文章では綴れます。文章ではなく、その深淵にある人類が目指してきた真の調和や平和。

かつてお月さまを眺めて数々の詩や言霊が産まれてきました。

月は雲に隠れようが、欠けようが、ネオンの光で無視されようが、ずっと傍にいて離れることはありません。見守り続けていつも心の中に存在しています。心は光を当てるとき、澄んだ耀きを放ちます。

どう生きるか、どう歩むか、一つのコンクリートの文明が終焉していき、再びお山の中のような調和な文明が甦生していきます。お月様を感じるとき、いつも私の心は英彦山守静坊の枝垂れ桜を包む月光に照らされます。

お月さまへのこれまでの見守りへの感謝を澄んだ心で味わう十五夜祭、そして来月の10月23日は十三夜祭です。少し欠けたお月さまに深い慈愛と労いを感じます。また息子たちが奏でる倍音調和の月の音色をまた皆さんと一緒に味わいたいと思います。

ありがとうございました。