全体快適

全体最適と部分最適という言葉があります。全体と部分というのは分かりやすい使い分けの一つです。例えば、病気であれば部分最適は病気だけを見る時に診断できます。専門分野に分かれればその怪我や病気のみに集中して分析します。全体最適だと、根源的なものを未然に防ぐためのもの病気の原因などを分析します。両方から観るということもあるのでしょうが、これらは物事の観方の方法で手段です。

実際の世の中は、常にこの全体最適と部分最適で分析されます。そもそも分析という手段は、何を分析するかですが実際には全体の分析というものは大きすぎてできませんし、部分最適は小さすぎてできません。できないからと直観で分析すると、根拠がないやエビデンスがないと証明できません。

むかしは、達人や熟練者、長老やその道の先達という人に観てもらうことが多かったように思います。長い歳月に磨き上げられた経験からの智慧は、全体も部分も見透します。そのうえで、直観的に感得して見定めることができるものです。

いくら便利な時代で、AIがあらゆる知識の全体最適や部分最適を分析したとしてもそれが達人や熟練者には敵いません。もちろん、将棋の世界やモノづくりの世界ではAIが人間を凌駕しているともいわれます。しかし日本刀のような古刀をつくることはできていませんし、自然農などの智慧をもつこともできません。自然は常に全体も部分も快適にしています。それは徳が循環するからです。

この徳の循環は居心地がよく、快適にしていきます。快適というのはみんなの喜びが自分の喜びであり、自分の喜びがそのまま全体や部分の喜びにもなるということです。あるがまま、ありのまま素直であればそれで自由自在に快適になるという状態です。

人間だけでこの世に生きているわけではありません、いくら全体最適だとはいってもそれはどこまでいっても部分最適でしかないものです。だからこそ全体快適を目指すことが大切だと私は感じます。

唯一無二、一期一会、今此処であることは全体の一部になっているということでもあります。子どもたちや子孫のためにも、引き続き徳の伝承をして全体快適を実践していきたいと思います。

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