価値というものがあります。これは付加価値や真価といったものもあり、一つではありません。しかし、よく考えてみるとそのものの価値という事実は少しも変わることはありません。ただ、それを価値だと思う人にとってはとても価値のあるもので、ないと思う人にとっては価値がないだけです。
私はよく古民家甦生をしますが、私にとっては宝でもある人にとってはゴミくず同然のような価値のものがあります。それに路傍にある石ころ一つでも、ある人にとっては思い出の大切な価値のあるもので一生大事にしているということもあります。
つまり価値というのは、その人のとってのという前提があるということです。
現在、私たちは価値のあるものをお金で買うのが当たり前の世の中にいます。大勢が価値があるものが価値があるものとして高値で売り買いされています。逆に大勢に価値がないとするものは社會の表舞台に出てくることもありません。まるで無視されないかのように扱われ、それを大切にしている人を変わった人として変人扱いをするものです。
そもそもこの大勢が価値があると信じるというのは、人間の観念がそうさせます。そしてそれがいつまでも価値があるように見せるために様々な情報や環境をつくりこんで信じさせます。ある特定の価値を維持することで、お金を儲けることができる人がいるからです。
しかし、此の世には「事実」というものがあります。真実ともいっていいかもしれません。例えば、石は石、お水はお水、太陽は太陽とあるようにそのものはそのままで価値があるものです。無理に付加価値をつけなくても、そのものの真価というものはそのものに存在します。
宇宙全てのものにはそれぞれに真価があり、その真価のままであるがままに存在するのです。その真価そのものを感じるとき、人は安らかな心と感謝の気持ちを持てるように思います。
そしてこの真価のことを私は徳とも呼びます。
徳が循環する世の中というものは、すべてのものが真価のままでいられる世の中のことかもしれません。引き続き、真価を見究める眼を磨いていきたいと思います。
