今~遠近を超えて往く~

人生全般をふり返る時、遠近について考えることがあります。人は遠くの出来事や遠くの未来のことに思いを馳せたり、近くの出来事や近くの未来に一喜一憂するものです。

道を歩んでいく中で、遠くを見ているだけでは近くが見えず、近くばかりを見ていたら遠くが見えない。近くを見たり遠くを見たりしながら、今、自分がどの辺にいるのか、どのあたりを歩いているのかを実感するのです。

時折、悪路に出会い、いつまでこれは続くのだろうと苦しんだり、とても素晴らしい風景に立ち止まりたくなったりもします。また素晴らしい出会いがあって感動して涙したり、悲しい出会いもあっていつまでも引きずることもあるのです。

しかしそういうことを何度も何度もふり返り、遠くの夢を観ては足元の石に躓き転び、近くの現実ばかりを見ていたら灯台の光も分からず船酔いばかりしてしまいます。

人間というものは、今というものをどれだけ味わい切っているかによるのかもしれません。

この今というものがどれだけの奇跡であるのか、この今というプロセスをどれだけ味わい尽くしているのかで遠近を超えた本質的な今を生き切ることができるのです。

今というものを歩むというのは、遠くも近くも一緒に観るということなのです。

人生は振り返ることで、近くと遠くを繰り返します。時には、ふり返りたくない現実もあるかもしれません、もしくはふり返りたくない夢もあのるのかもしれません。しかし、歩ませていただいている道があること、そして旅は続いていくこと、共に生きる人々がいることに心が安堵するのです。

じっくりと焦らず、ゆったりと力強く、足早に休憩をこまめに、根気と真心で進む道にこそ、今を生きる術があるのかもしれません。

今年はプロセスを大事に歩むと決めていますが、一つの人生は一つの道草のようなものですから野草たちに見習いこの今に感謝を盡していきたいと思います。

 

 

  1. コメント

    蒔かぬ種は生えませんが、蒔いた種は刈り取らねばなりません。すなわち、日々の種の蒔き方次第で、未来はどんどん形を変えていきます。言い換えれば、今日一日の中に、未来を変える秘訣があり、そのカギは自分が握っているということでしょう。それは、夢は今日のなかにあり、未来は自分のなかにあるということでもあるでしょう。焦らずに、しかし、考え過ぎずに、永遠の今の緊張感を味わいながら、もう少し上手く「今日の一手」を指せるようになりたいものです。

  2. コメント

    3年という時間は短いようで長くも感じています。小学校6年その後は3・3・4年とその周期で節目を迎えているからか、3年の時間は周りの人の環境も変化させ友人に会うとそのことをよく感じます。今も将来も繋がっていると思えること、これからもっと長い道のりをしっかりと歩んでいきたいと思います。

  3. コメント

    人生を文字通り二転三転させてきましたが、魂が求めている方向へと着実に歩めていることを実感しています。今までの人生で幾度となくデジャブに会い不思議な感覚を得てきたのですが、その都度これから歩もうとしている道が正しいのだということを誰かが教えて下さっているように思えます。外に出ては善い人に出逢えてばかりで、本当に有難いことだと感じます。今日も感謝の一日を過ごしたいと思います。

  4. コメント

    山登りも、その山に登るという目標と、自然と対話出来る自分になるという夢とを持って登りますが、登っている最中は夢や目標だけではなく、過去の山でのこと、今の山でのこと、これからのこと、全部が合わさりながら自分との対話が続いていく事を思い出しました。対話の中でプロセスを確認し、姿勢を正すことを大切にしたいと思います。

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