自分自身の本心~本心の棲家~

人は自分自身との付き合い方が、他の人との付き合い方になるものです。どれだけ自分の本心に対して誠実であるか、そして正直であるかは周りとの信頼関係を結んでいくためにもっとも大切なことであろうと思います。

しかしこの自分自身というものをいつまでも分かろうとせず、自分を誤魔化してばかりいると自分の本心というものを見失ってしまうように思います。なぜ本心というか、それは心とは別に本物の心と書いて本心だからです。心と思っているものは実は思い違いで、本来の心は素直な自分のことです。

如何に素直になるかは、その人の自分自身との誠実な向き合い、そして感謝に根差した正直な対話によって顕れます。言い換えるなら素直でなければ本心とは出会えず、素直でなければ自分自身でもないということです。

かつて神道禅仏一体を究めた慈雲尊者が「もとよりも直ぐなる道をとやかくと思ふこころにまどわされ行く」と言いました。意訳ですが本来は素直であるものを、自分の価値観であれこれと惑うがゆえに道から逸れてしまうという意味だと私は思います。

そしてその和歌の中で私が好きなものに「心」についてこう詠まれます。

「心とも知らぬこころをいつのまに我が心とやおもひ染めけむ」

つまりは心は自らの本心を知らないうちに勝手に自分の心を別のものにしてしまうということです。それだけ人は素直でなければ己自身を知ることはなく、結局は我執や自分の頑なで狭い価値観の中で勝手気ままに良し悪しを決めつけては物事の道理や本質を見失ってしまうということでしょう。

誰しも自分の本心を見つめるならばあまり我を張らない、つまり頑張らずいつまでも頑固に自分の価値観を周りに押し付けないことです。その上で、我を立てずその我を倒して順縁変化を愉しむことで次第に自らの本来の姿、本心がどうなっているのかに気づけるようにも思います。しかしそれでもなかなか気づけないのが自分自身の本心ですから、我を張らず本質的で実践を続けているような道の信頼できる人の話を素直にちゃんと聴くことができるようになることが最初の素直の入口なのかもしれません。

そして自分の今いただいている御縁を、「自分にもっとも相応しい」と感謝できるのはその御蔭様に気づけるからです。自分が”なにものか”を己事究明するとき、自分がどれだけ見守られて御蔭様の中で生かされ今があるか、自分が偉大な恩恵によってできているかが自明してくるはずです。それを自覚とも言いますが、自分のカラダをはじめ環境や出会い、御縁すべてが有難い”なにものか”によって与えられていることに気づきます。その真心と感謝に出会うからこそ報恩といって、その御恩に報いたいと自然に願う心が本心の棲家であろうと私は思います。

慈雲尊者は、十善という自戒を立てて実践をなさっていましたがそれぞれに人は本心が観えなくならないようにそれぞれに恩送りや恩返しの日々を歩んで素直に磨きをかけて精進していく必要があるように思います。何をするにもまずはじめに理念や初心を忘れないのはまずその我執に気づけるかどうか、本来の姿に戻ってこれるかどうかのキッカケに過ぎません。そのあとは、やはり十善のような実践を積み重ねていくことで我が立ちすぎないように謙虚に学び直しを続けていくことが最善のように思います。

最後にその慈雲尊者の「十善」を紹介して終わりたいと思います。

第一 慈悲、不殺生戒

第二 高行、不偸盗戒

第三 浄潔、不邪婬戒

第四 正直、不妄語戒

第五 尊尚、不綺語戒

第六 柔順、不悪口戒

第七 交友、不両舌戒

第八 知足、不貪欲戒

第九 忍辱、不瞋恚戒

第十 正智、不邪見戒

子ども達に譲っていく生き方に照らしつつ、自分自身の心を静かに見つめて精進していきたいと思います。

自然治癒の教え~医和道~

先日、あうん健康庵の小松庵主と奥様にご来社いただき社内にて理念研修を行いました。健康法ではなく養生法ということから御話がはじまり、種(いのち)の持つ潜在能力、そして自然治癒の本質とは何かについて分かりやすく噛み砕いて教えていただきました。

そのお話はどれも実践から紐解かれたものであり、どの御話も自らが実践する中で掴み得られた智慧があり、医の持つ真意について再度深く考え直す有難い機会になりました。

最初の話の養生法とは「どのように生きるか」ということだとし、人間は人生の価値観が変わるなら自ずから生き方も変わると仰います。よく病は気からといいますが、病は気と深くつながっているということから如何に「心の持ち方を変えるか」ということが肝要であるかということを教えていただきました。

そのためには、如何に「素直に磨きをかけるか」ということが大事であると言います。その素直に磨きをかけるのは、まずは自分の遣う言葉から観直すことが大切だと仰いました。私たち人間は本来、言霊文明の生き物であるとし、その人が使う言葉は言霊であり、その音は波動であるとも言います。どんな言葉を使っているか、そこから観直すことで生き方を見つめ変えていくことから実践することが大切であることを教えていただきました。

さらに続けて呼吸のことも教えていただき、呼吸はまず吐出すこと、そして長く吐出すことが大切だとし、吐かないことは儚いに通じているので呼吸法を身に付けることもまた気や健康に深くつながっていることを教えていただきました。

一つ一つの御話をじっくりと内省しふり返るほどにその含蓄のある教えに、自分の中の「治癒」ということの本来の意味や医を学ぶ姿勢を背中を通してお伝え頂いた気がして感謝の心に満ち溢れてきます。医の奥深さを感じさせていただける機会を得られることは、今の子ども第一義の志事を進めていく上でも本当に有難い機会になりました。

最後に、もっとも小松庵主の生き方から感じたのは謙虚さです。「病はわるいものではない、病から何が気づけるかがもっとも大切なのです」という言葉には、全てのものから学び、どんなことがあっても善いものとして教えていただいているのだからと素直に受け止められるその融通無碍な自然体な姿に、自然治癒とは何かということを深く感じ入りました。

自然から学び直しをする中で、自分のカラダもまたその自然の一部ですからカラダから学ぶことは自然から学ぶことです。有難い御縁をいただき、一家がお世話になる御医者様との出会いは子どもたちに養生法を伝えていける機会になります。

御蔭様に感謝し、子ども達に御恩送りができるようにしっかりと実践を積み重ねていきたいと思います。

本当にありがとうございました。島根での再会を心から愉しみにしております。

実践と徹底~智慧の会得~

素直な人は善いと思ったことはすぐにやりますが、同時に徹底してやるというのがあります。それは善いと思えるようになるまで徹底してやりきるということです。こういうコツを掴んでいる人は、あらゆる体験や智慧が自分のものになっていくものです。知識ではなく智慧になるのは、それは体験を徹底して深めることに由るものです。

今は知識として単にいいと思うものばかりを取り入れる時代だとも言えます。ちょっとテレビや本で善いと思ったものを簡単便利に取り入れますが、それでは表面の知識をなぞっただけで智慧になることはありません。

よく古来から「カラダに沁みこませる」や、「そのものと一体になるまで」という言葉がありますが、頭で考えてわかる程度では分かった気になったとしても「ものになる」わけではなくそんな知識では他の人に伝えることもできませんし、大切な気づきを同じ高さで理解できるわけでもありません。

まさに「徹底する」ということは何よりも大切なことであろうと思います。

炭一つであってもどんな実践をはじめるにせよ、他人から「そこまでするか」と思われていても「そこまでするから」気づくこともまたあるのです。徹底という意味は、辞書をひくと、中途半端ではないこと、底まで貫くまで遣りきることという意味です。他には、すみずみまで行き届いていること、そして最後まで遣りきることと記されます。

まさに「底まで貫く」と書いて徹底ですが、もっともやってはならないのはやったりやらなかったりすることや、途中で分かった気になって深めることをやめること、実践にならなくなってしまうことのように思います。

善いと思ったことをすぐにやり、善いと思ったことを徹底してやる、まさにそれが素直であり謙虚である姿勢であるように思います。御縁は常に一期一会、善いと思う御縁をいただいたのならそれは唯一無二の人生にとっての祖神からの「大切な教え」であり篩にかけられた有難い自然の智慧です。

凡事を徹底できるように、一つ一つの実践を丁寧に貫いていきたいと思います。

場チカラ

先日から社内の場力を高めるための工夫を進めています。発酵場というものもそうですが、場というのはチカラです。その場が善くなるというのは、チカラが集まるという意味でもあります。

ここで場力について少し書いてみたいと思います。

そもそも人間にとっての場とは何か、それは何かが行われているところのことです。その場とは、料理する人は料理場とも言うし、工事する人は工事現場とも言います。場とは、何かが行われている場のことです。

その場がどのような場になっているか、それはそこで生きる者たちの生き方の場でもあります。その場は、それぞれの生き方が集積することで場にチカラが集中していきます。

例えば、暮らしというものがあります。その生き物たちがどのように暮らすかでそこに場ができます。これは人間に限らず、山川草木昆虫に至るまですべての生活が場に顕れてきます。

その生き方が自己中心的であればそれにそった場が現れますし、共生し貢献するような生き方があればそれに沿った場が顕れます。掃除一つをとっても、綺麗にすれば美しい場が生まれますし、ゴミで溢れかえっていれば粗末な場が生まれます。そしてそれは次第にそこで発生する関係性にも影響を与えていきます。

理念が初心というものは、そこに場を創ります。場チカラというのは、そこで実践したものたちの集積力によって場が顕れていくとも言えます。どんな場面でどんな場所でどんな場合にその人がどんな生き方をしたかが出て来ます。場を和ませる、場をわきまえる、場を活かす、場を明るくする、その場には、その場その場で発した場チカラがその場に集積するのです。

この集積力とは求心力とも言えます。地球が中心に引き寄せていくチカラの御蔭様で私たちは宇宙に飛び散ることがありません。それは地球の地場に守られているからです。この求心力は、活かそうとすることで場ができているとも言えます。

すべての生き物は育てるものではなく育つものです。教えないで育てないとしたら、育つわけですからそこには場があったということの証になります。場があるから育つのですから、そこで育つ生き物たちには場を明らかにする責任があります。場チカラがあるというのは、場に顕れるほどの生き方の実践が集積され文化になったということです。

その人の理念・初心・祈り・願い・思いが意識になり、場が顕現します。

つねに場を高めていくために、精進して沢山の御縁のつながりから発生する場チカラに感謝しつつ、その場チカラをお借りして子どもたちに伝承していきたいと思います。

和の家

先日、和の部屋について相談があり色々と深める機会になりました。和の部屋といえば、通常では畳があり押入れや襖があるものを和室だと思っていることがあります。

しかし畳も昔はなかったもので、押し入れや襖もわりと歴史的には古いものではありません。実際の日本はじまりの住まいは何か、それは古事記に書かれています。

「伊弉諾命、伊弉冉命の二柱の神はおの馭盧島に天降りして其處に先ず天の御柱を御作り、倶に御住ひになった。八尋とは一尋、二尋と數える八尋にあらずして八は彌と同じく數多きをたたえ唱うる言の葉なれば即ち幾十尋の御殿の意なり。彌栄なる館なるにして我が國初めての御殿なりせば家屋建築の始めなり。我が國の神々達は穴に宿る神に非ず、木の枝に巣造るに非ず、程高き営みの神なり。」

イザナギとイザナミが、はじめて高天原に降りてきて造営した住まいが私たちの祖親のはじめての住居「八尋殿」です。一尋とは、人が手を拡げたときの寸法を言います。これを八尋とするとちょうど畳二畳分くらいのサイズになります。この八は、末広がりの八を意味しますからここの住居から無限に広がりはじめたということです。

私たちの祖親の家屋建築の原点はここです。私たちの親は穴に住んだのでもなく、木の上に巣をつくったのでもない、天に向かって真っすぐに伸びた柱を地に立て、床を建て住んだということです。

今の時代は、高層ビルや広大な豪邸が価値があるかのように売り買いされていますが本来の住居はとてもシンプルなものです。

例えば生き物によっては、泥を固めて巣にしたり、草を丸めて家にしたり、石を積んで塒にしたりと、それぞれに住まいのカタチは異なります。私たちの先祖が、何をもって住まいしたかを知ることはとても大切なことだと思います。住まいの出発点を和合生活にしたこともまた私たちの先祖たちの真心だと思います。

そして和とは何かと考えるに、如何に本来の先祖たちが伝承してきた暮らしに親しみとけ合うかということではないかと思います。それは例えば、共に暮らすものたちと如何に親しみを持っているか、そして心安らぎ仕合わせを感じるか、そこには余裕と真の豊かさがあるように思います。

豪華絢爛で贅を究めた芸術作品のようなところを住まいというのではなく、人々の暮らしや生活が息づく場所、そこがまさに家庭であり、たとえ独り身であったとしても共に暮らしているいのちの暖かさに触れ、深く味わいながら日々を豊かに過ごしていることが本来の住居であり家であるように思います。

そういう住居を持つ人は、和の心を持つ人とも言えます。秋になれば秋をしつらえ、冬には冬をしつらえる。まさに、小さな四季の変化をも愉しみ、部屋の中の花一輪にいたるまで愛でる澄んだ心があります。心の手入れというものは、日々の暮らしを愉しむ真心にあるように思います。

和室というものの本来の姿の本質は、「暮らし」の中にこそあるということが私が考える和の家です。和をもって尊しとなすとといったのは、聖徳太子ですがその聖徳太子は家屋を大切に手入れするように寺院を建築したといいます。法隆寺をふくめて、奈良のあちこちにはその暮らしが遺っているようにも感じました。

子ども達に本当に譲っていきたい伝承したいものを、自分たちが忘れないように生きていきたいと感じます。改めて日々の暮らしから、生き方を見つめ直していきたいと思います。

自然の戦略~棲み分けの音色を聴く~

生き物たちは同じ地球で生きていますが、それぞれの時間で棲み分けをしているものです。これはもし同じ場所ですべての生き物が活動するならば、雑多大勢の生き物たちで混乱してしまいます。

同じ地球の中で如何に御互いが同じ場所で生きていくかは、それぞれの自分の特性に合わせて棲み分けしていくものです。

一日の中でみても、かなりキメ細かく時間帯で活動が分かれます。例えば秋の虫でみても、夜に鳴くコオロギやキリギリスをはじめ、かなりの虫たちが秋の音色を奏でます。その中でも夕方から夜に鳴くもの、夜中から深夜に鳴くもの、そして朝方に鳴くものがいます。もっとも虫の音色が静かな時は、山の鹿や猪など野生の動物たちが活動します。

同じ音を聴いていても、耳を澄ませばそれぞれの時間帯にそれぞれの場所を棲み分けるのです。自然界は極力無駄な戦いを避けようとします、それは天敵というものを自覚するからかもしれません。共生とは、助け合うことですから助け合うことを優先すればするほどに棲み分けは成り立つのです。

そしてこれは人間でも同じように思います。わざわざバッティングするところにいて混乱するのなら融通無碍に自分の方を戦わない方へと移動していく・・・これを戦略ともいいますが、生き物たちはみんな自然の戦略を自分たちなりに持ち歴史を生き延びてきたとも言えます。

そう考えてみると、自然の絶妙のバランスとは自然の戦略に存在しているのかもしれません。御互いに助け合い、御互いに活かし合う、その中に本来の自然というものの姿が顕現しています。

それぞれが助け合う時、もっとも自然は絶妙なバランスを魅せてくれます。自然の音色を聴きながら、如何にこの世の中がいのちに満ち溢れているか、如何にこの世界がみんなで分け合って生きているか、そういういのちの音色が聴こえてきます。

食べて食べられる関係の自然界ですが、余計な分を食べないのも食べる分しか殺生しないのもその根本がいのちの助け合いの中で存在していることを自覚して忘れていないからでしょう。

変に我を捨てるとか、我を手放すとか、頭で云々をぐるぐる回す前に、当たり前の生活を取り戻した方がいいのかもしれません。子ども達に譲り渡していきたい暮らしとは何か、しっかりと深めてカタチにしていきたいと思います。

住まいと生き様

人はどんなものと一緒に暮らしているかで住まいは容どられていくものです。その人の生き様が住まいには出て来ますから、どんな生き様であるかは次第に身のまわりのものたちに引き寄せられ顕れてきます。

よく考えてみると、人生の御縁も同じくどんな人たちに出会ってきたかが人生の生き様でもあります。その人の出会い歴が、今のその人でもありますからどんな御縁に彩られてきたかがその人生の姿容に顕現します。

そう考えてみると、その人の御縁を辿ればその人がどんな方々に見守られ一緒に生きてきたかといった生き様歴を知ることでその人が一体何と繋がっているかを観ることができるようにも思います。

例えば、住まいでいえば住まいの中にどんな宝物を見つけてきたのか、何を飾り何を愉しむのか、そしてどんな思い出を持っているのか、どんなつながりの中に自分を置いているのか、何を大切に生きているのか、そういうものも住まいから感じ取れます。住まいとは生き様であり、生き方の根本を支えてくれる場所ですからそこには確かな魂が宿るようにも思います。

そもそも宿るという考え方は、人間はこの世に出てきて魂が御身体をお借りしている借りの宿という見方もあります。海辺に住む宿借のように、私たちも魂を守る宿をお借りして生きています。いつかは死んで元に返さないといけない日が来ますが、その日が来るまではお借りして生きていくことができるのです。だからこそその借りの宿の一つでもある住まいを大切にすることと自分自身を大事にすることは分けることはできません。

住まいの中の一つ一つには、御縁に彩られたストーリーやドラマに溢れています。その一つ一つをどれだけ大切にしてきたか、それが愛着だとも言えます。過去の記憶を美化し、今まで恩恵をいただき助けてくださった方々の御縁と御恩に感謝して今の暮らしに自分を見つめることは繋がり(御縁)の中に住まいを置いていることだとも思います。

最近は、住まいにも粗末にする生き方が出てきてすぐに気に入らないと捨てたり忘れたり投げ出したりなかったことにしようとしたりという風潮が多いように思います。不自然に教え込んだ刷り込みから間違った個人主義が蔓延し、繋がりや絆、家族や家といった本来の仲間という存在、魂の御縁をも私物化しているように思います。

どんなものにも、どんな人にも大切なご縁がありますからどんな御縁に導かれているのかを愉しむ心の余裕が住まいには遺っています。一生の中で出会ってきて、共に暮らしてきた期間こそが人が住んだ証です。

「もったいない」と人生を大切に生きていく人は、きっと良質な住まいに巡り会うと思います。

住まいは生き様ですから、自分の住まいを大切にして一つ一つの思い出を刻みながら御縁を愉しみ大切な日々を過ごしていきたいと思います。

彼方の海道 完

久高島は、原始母系の社會が残存している島だと言われます。アマミキヨという女神を中心にノロと呼ばれる神女(巫女)たちが島でいのりを捧げる場所です。島では「男は海人、女は神人」という諺もあり、女性のほとんどが神職者として様々な祭祀を取り扱っています。女性は家族の守護者として、一生涯、夫、子をはじめ一家を見守り続けていく存在としています。

この島は、女性たちが完全に自給できる島であったと言います。島の東側にはたくさんのサンゴがあり、潮の満ち引きででてくる貝を採ったり、森には貴重な野草や、食べ物がありました。その他、近海の魚も採れ、暮らしを立てていたそうです。男の役割は、漁にでて留守にしていますからほとんどが女性たちで家を形成していたとも言えます。

フボー御嶽というところは、原始の魂が宿る場所と呼ばれ男子禁制になっています。アマミキヨといった祖神の魂が、その住居跡に遺っていると信じられています。ニライカナイをはじめ、「原始の魂」とは心の故郷でもあります。戻ってきたいと思える場所、帰ってきたいと思える場所、それが故郷「根のクニ」であろうと私は思います。そしてその根のクニには「見守られてきた思い出」がある場所だとも言えます。人は見守れるからこそ故郷(根のクニ)があり、見守られたところが故郷(根のクニ)です。そういう魂の故郷(魂の根)を持っているということは、生き死にを超えたところに存在するように思います。

民俗学の柳田国男さんが、同じ民俗学の折口信夫追悼会にて「根の国とニルヤのこと」としての言葉にはこうあります。

「つまり日本人が昔持っておったニルヤ、ネノクニという国は、モトの国、モトツクニであって、遠くの方、海の水平線の向こうのウナサカにあり、相応に楽しい所であり、人も時々は戻ってくることのできるところであったということであります」

海の彼方には根のクニがあったと言います。魂の故郷、自分たちが見守られた場所があったと言います。そこは魂の楽園であり、何かがあれば戻れる故郷があったといううことです。人々が疲れ斃れそうなとき、懐かしい場所があるということは何よりも魂を救います。かつてヤマトタケルの望郷の詩「大和はクニのまほろば・・」を思い出しました。私たちの望郷というのは、故郷への思いです。その故郷がいつまでもあることで私たちは外に出ていくことが出来ます。そして外に出たら帰る場所があるから安心できるのです。さらに柳田国男さんはこういいます。

『亡き人と会える場所と伝えられる』三井楽(みいらく)という地名の考証には、私は最初南島のニルヤ・カナヤが、神代巻のいわゆる根の国と、根本一つの言葉であり信仰であることを説くとともに、それが海上の故郷であるがゆえに、単に現世において健闘した人々のために、安らかな休息の地を約束するばかりでなく、なおくさぐさの厚意と声援とを送り届けようとする精霊が止往する拠点でもあると、昔の人たちは信じていたらしいこと、その恩恵の永続を確かめんがために、毎年心を籠め身を浄くして、稲という作物の栽培をくり返し、その成果をもって人生の幸福の目盛りとする、古来の習わしがあったかということを考えてみようとした。」と。

まさに久高島が「神の島」と言われる由縁です。一家を見守り、いのり支えられる場所、そして魂が戻る処こそ、私たちが永遠を確認する場所であったということでしょう。そこには神の仕業という仕組みがあり、具体的には稲作という稲を共に育てることをもっていつまでもその魂の故郷の生き方や暮らし方を見失わないようにという初心伝承があったのかもしれません。稲がどのように伝播してきたか、そして海上の道を先祖たちがどう歩んできたかの終始点は確かに琉球にあったのかもしれません。

そして同じ民俗学の折口信夫はこう言います。

「万葉人の時代には以前共に携へて移動して来た同民族の落ちこぼれとして、途中の島々に定住した南島の人々を、既に異郷人と考へ出して居た。其南島定住者の後なる沖縄諸島の人々の間の、現在亡びかけて居る民間伝承によつて、我万葉人或は其以前の生活を窺ふ事の出来るのは、実際もつけの幸とも言ふべき、日本の学者にのみ与へられた恩賚である。沖縄人は、百中の九十九までは支那人の末ではない。我々の祖先と手を分つ様になつた頃の姿を、今に多く伝へて居る。万葉人が現に生きて、琉球諸島の上に、万葉生活を、大正の今日、我々の前に再現してくれて居る訣なのだ。」

生き方を見つめるのならかつてどこから私たちが生き方暮らし方を訣別し分けてしまったのかを思い出す必要があります。分かれてしまって出来上がった社会が今の現実だとし、もしもこの今の社会が間違ったのではないかと心が気づいたのならまたそこでご破算にして初心からやり直せばいいのです。その初心を求めるとき、まだ全国各地の美しい故郷にはそれが遺っているはずです。そこに暮らす悠久の長い歴史を助け合い和の心で生き抜いてきた先祖たちを尊敬し、今の私たちの生き方をどう温故知新していくかは今を生きる私たちの本当の使命ではないかと私は思います。

そして私たちの先祖、「万葉人」は『言霊』を扱う民でした。その本来の万葉人の直流こそが琉球人だともいいます。私たちの先祖たちがどのように暮らしてきたかを求め探し出し、伝承する場所をどのようにして遺していくか、課題はまだまだ山積みです。

最後に魂を磨く時代、魂を救う時代、沖縄では魂のことを「マブイ」といいます。先日、沖縄で参加した朝礼である経営者の方から「魂を磨いている人たちをみると眩しい」と言われたことを思い出しました。

マブイを磨くのは、俗語ですがマブダチ(仲間)に出会い、マブシイ(本物の美しい姿)を顕現していくことかもしれません。引き続き、子ども達の三つ子の魂を見守るためにも、魂磨きを深めつつ実践していきたいと思います。

彼方の海道も今回で御仕舞ですが、引き続き島根へとつながりを愉しみたいと思います。子どもの故郷を遺して譲っていくために、いただいたいる御縁を大切に歩みを進めていきたいと思います。

彼方の海道 参

昨日は久高島にきて、御嶽を中心にいのりの場所を巡りました。夜には満天の星空を見上げて夜半まで仲間たちと語り合うことが出来ました。かつての先祖の心に思いが宿る場所で思いに心を寄せて思いを馳せると、きっと悠久の暗闇の中で星々が煌く天を見上げて、波の音響聴き、風を受け止めて炎の揺らぎの中で天と対話していたのではないかと感じます。

今の時代のように一晩中、街中の街灯が光っていては夜が持つ暗闇というものの価値や星空というものの魅力もまた感じることができなくなっているようにも思います。私たちは朝から夜になるまでは太陽の明るさで気づきませんが、空の向こうにはたくさんの星々が瞬いています。夜になり太陽の光が消えると、そこには地球と同じように星たちがそれぞれに息づき広大な宇宙の中で循環している様子が実感できます。

暗闇の中には、眼には見えないとても大きな御力も働いているように思います。暗闇はとても暖かく、眼でみるのを已めてしまう時、本当の慈愛のようなものを感じるものです。それはまるで、自分が宇宙の中で自由な星の一つになったかのような感覚を憶えます。畏怖を超えたとき、そこにはつながりの中にある仕合わせと歓びがあります。

御蔭様で昨夜は一晩中外で星空を眺めていたら、たくさんの流れ星を見つけることができました。流れ星は日々に約400トン、1年で約15万トンほどの塵が地球に降り注いでいるともいいます。これを100年、1000年、そして1億年、10億年と積み重ねていくと私たちの星は流れ星の砂によって覆いかぶさっているようにも感じます。先日、あるクルーからこの砂はどこから来たのかと聴かれましたが、それは流れ星から来ているという直感もまたありました。

あの流れ星は一体どこからきてどこにゆくのか、そして私たちは一体どこから来てどこに向かおうとしているのか・・・光から闇へと琉れた球(玉)は、闇から光に回帰していきます。闇の中の光は、光の中の闇へと流れは移り変わります。そしてあけの明星が顕れもっとも光りだすころ、それまでの星屑たちは次第に姿を消していきます。

星のいのちもそれぞれに宇宙の中で意志があって旅をし星々を廻り、意思があって根を降ろします。古から魂は宇宙を旅し、そして宇宙を旅した中で隕石や流れ星となり、新しい宿り先を辿っていくのでしょう。

いのちは生物非生物、生物無生物を超えて出会い語り合うのかもしれません。どんな出会いがあるか、それはひょっとしたら1億年に一度の出会いかも知れません。もしくは10億年の一度かもしれません、そしてその瞬間はほんの数時間かもしれませんし、数十年かもしれません。

それでも必ず星たちは”出会う”のです。

星空に出会うことは、自分自身に出会うことです。海の道を辿ってきた先祖たちは、星空を見上げては天と一体になって自分自身との対話をしていたのでしょう。地球と背中を合わせて地球に背中を任せてこれたのは、天を見上げて地球の未来を信じていたからかもしれません。

あの彼方の海道にある先祖が目指した真の暮らしの実践は、時を色あせず今でも星空を見上げれば思い出すことが出来ます。祖親が祈った生き方を子どもたちのためにも譲っていけるよう今回の久高島での不思議な体験を忘れず力強く実践していきたいと思います。

 

彼方の海道 弐

昨日は島伝いに私たちの祖親たちは、海の彼方の根の国から来て種を持ってきて開闢してきたということを民俗学の視点から言いました。また人類学・考古学の観点からは種子島をはじめ琉球列島は3万2000年前に山下洞人、1万8000年前には港川人が住んでいたことも分かっています。種子島の遺跡からは、広田人といって縄文人よりも前に貝文人という人たちいて土器に貝を使って装飾をしていた人たちがいたことも分かっています。縄文時代は土器に縄で装飾をしていたことで縄文ですが、貝文というものは貝で装飾をするから貝文です。

これらの貝を用いた人たちは、貝を拾い貝を食べ、貝に装飾をしてそれを交易し、あらゆるところを移動して様々な文化を伝えたということが分かっています。その証拠に、日本中のあちこちの遺跡で種子島で加工された貝の装飾が見つかっているからです。

沖縄では、かつてグスク(城)と呼ばれる聖域を人々の集合体がありました。今でも今帰仁城や首里城など今でもいつか残っています。その後も按司と呼ばれる人々をとりまとめた人たちを中心にかつての交易文化を駆使して、あらゆる近隣の国々と交流して様々な文化を融和融合させてきた和の心を持っています。

和の心は、今でもそのまま受け継がれ私たち日本人の考え方の中にも色濃く継承されています。私たちのルーツを辿っていくと、私たちはどうやってできたのか、そして私たちはどのように歩んできたのか、さらに私たちのずっと昔の先祖は何を大切にしてきたのかを知るというのは「自分自身」になり、「自分自身」を知るためにとても大切なことであると私は思います。

古事記や日本書紀、日向神話などもありますが、その中に共通して息づいているものを紐解けば、随神の道を遡ることができます。その道の彼方には、私たちの民族性というものの根幹があり、その根とつながることは今を生きる私たちの本質を自覚することでもあります。

今日から久高島にいきますが、ここは琉球の創世神話アマミキヨ(アマミコ)の場所であると言います。ここはとても不思議な島で、かつて中国から使わされた冊封使の副使 夏子陽が書き残した「使琉球録」という古典が「異種の人」という呼び名でこの島の人のことが紹介されています。

「久高島 世に異種の人を生ず。往古の時より知念間切久高島に異種の民有り、賦性(生まれつきの性質・天性)誠樸(誠実でありのまま飾り気がない)、聡敏(感覚は鋭く、物事の理解が早く賢い)人に過ぎ、善く産業を為す。家道る富みて、今其の族七八有り。皆膝よりに至るまで甚だ痩せて踵なし。短く指長く、其の状 手掌の如くして地に按つ」(使琉球録の巻十四)

意訳すると、久高島には不思議な人たちがいる。生まれつき素直で誠実、感受性や直感が鋭く吞みこみも早くどんな智慧も吸収する。家や暮らしは豊かで今でも7~8人はそういう人たちがいる。特徴は、膝より下が痩せてかかとがなく足の甲は短く指が長い、その様子はまるで手のひらのようであると。

特徴が不思議なのも驚きますが、性格や個性が今の日本人の特徴と似ているのではないかと感じるのです。どんな人たちだったのかはわかりませんが、外国の人たちが私たちのことを素直で純粋、純朴で美しい民だと評されるような祖先がいたのではないかと直感します。

今一度、こういう時代だからこそ自分たちの本来の姿はどういうものかを観直してみたいものです。最後に、小泉八雲が世界に紹介した日本人の品格について紹介して魂の声を確認していきたいと思います。

「彼等は手と顔を洗い、口をすすぐ。これは神式のお祈りをする前に人々が決まってする清めの手続きである。それから彼等は日の昇る方向に顔をむけて柏手を四たび打ち、続いて祈る。・・・人々はみな、お日様、光の女君であられる天照大神にご挨拶申し上げているのである。『こんにちさま。日の神様、今日も御機嫌麗しくあられませ。世の中を美しくなさいますお光り千万有難う存じまする』。たとえ口には出さずとも数えきれない人々の心がそんな祈りの言葉をささげているのを私は疑わない」

根(ニライ)と通じるのは、その真心です。真心の日々を味わいつつ、子どもたちに譲れる未来を見守りつつ直向きに伝道していきたいと思います。