吾以外皆我師也

人生の中で色々な人に出会います。その中には教師にしたいと思える人と、反面教師にしたいと思える人がいます。反面教師の人にあなたは反面教師ですとは言えませんが、ぐっと自分が体験した理不尽を受け容れ自分はこうありたいと誓い自戒をしていくのです。

そう考えてみると、反面教師の御蔭様で自戒ができ謙虚になるので反面教師もまた立派な教師ということになります。

吾以外皆我師也という言葉があります。人は誰もからも学ぶに相応しいものがある。肩書や権威、年齢や国籍の違いなど全く関係がなく、その人から學ぶものが必ずあるということ。

人間、氣がつくと自分に都合のいいように解釈をして學ぶことを怠ってしまいます。誰かの言うことは聴くけど、誰かのいうことは聴かない。その態度こそ、聴く耳がない心の態度だともいえます。

どのような人物、どのようなご縁からも学ぼう、聴こうとするのは自分が傲慢にならないようにする素直で謙虚な生き方です。

謙虚さを忘れるとき、傲慢に出会い足元をすくわれることがあります。人は学び続けていくことで人格を磨いていくこともできます。人格は最初から磨かれたのではなく、様々な出会いによって磨かれます。

その出会いには、感動するものもあれば反省するものもあります。大事なことは出会いを大切にして学び続けるという心の姿勢ということでしょう。そして先ほどの吾以外皆我師也のように生きる人は、より素直に謙虚に学んでいるように思います。

人生の節目に、改めてこの後の人生もそうありたいと願うものです。

道を歩むのに、一歩一歩、謙虚素直謙虚素直と足を丁寧に差し出しながら穏やかに静かに歩んでいきたいと思います。

節目に思う

本日、50歳の誕生日を迎えます。氣がつけばもう季節の巡りを50回も過ごしてきたのかと実感します。春夏秋冬、季節ごとの物語があり味わい深い記憶ばかりです。すでに亡くなってしまった師友も仲間も家族もいます。そして新しく産まれてくるいのちや今のご縁に恵まれます。

人生の一生というものは、今、何を感じているかの連続です。

結局、年齢は一つの基準でしかなくどう生きてどう死ぬか、つまりは生き方とあり方のようなことだけが一つの人生の姿であるということでしょう。

思い返してみると、私はいつも人に恵まれてきました。色々なご縁をいただき、節目節目には道に導いていただきました。そして場所にも恵まれ、時にも恵まれました。恩恵をいただいているのは誰の御蔭であろうかと想像するとき、これはご先祖様が蒔いてくださったよき種であることがわかります。

永い時間をかけて蒔いてきた種が、子孫の時に花開き実をつけます。私はその一部をいただいているだけですが、それが数々の恩恵をいただける理由になっています。

だからこそ、徳を積むことの大切さに氣づき少しでも今いる場、今の人々、今の時によい種を蒔きたいと願うようになりました。

あとどのくらい生きられるのか、自分にはわかりません。ひょっとしたらあっという間にこの世を去るかもしれませんし、長生きする運命を持っているかもしれません。

今の心境は、いつか英彦山で孤高に咲くあの守静坊の一本桜のようにいつまでも凛とありたいと願うのみです。

人生はどんなに偉い人でも、仙人のような人でも、一般の人でも誰でも平等に終わりが来ます。きっとその時が来たらあっけないものでしょう。しかし、甦生は続きますしいのちは永遠に巡り続けます。だからこそ、今何ができるのか、そしてどうあるのかは与えられた唯一の恩恵に報いる時間になるのです。

ここから先も、自分ができることはほんの小さなことだけかもしれません。しかしそのほんの小さなことも時間が経てば成長し、大きくなるかもしれません。そして多くの人々、子どもたちに徳を遺していけるかもしれません。

いただいている感謝を忘れず、丹精を籠めてこれからの残りの人生を使わせていただきたいと思います。

これまでの数々の恩恵に感謝します。これからもよろしくお願いします。いつもありがとうございます。

生き方の先生~サクラの智慧~

英彦山守静坊の枝垂れ桜がまもなく満開を迎えます。そして満開の後はいよいよ静かに散り始めます。

桜はどうしても満開ばかりを見る機会が多いと思いますが、桜守をしていると最初の咲き始めから終わりまでの散り際をずっと見守っていますからそのどの場面も一期一会を感じて学び直し、感動することばかりです。

特にこの枝垂れ桜の散り際の美しさは、信仰やいのりの場にある桜だからこそ偉大な智慧や教えを味わえます。

もともと日本人の美意識には散り際の美学のようなものがあるといいます。人生の終わりからどう生きるかという死生観のことです。

私たちの先祖たちは「生き方」というものを何よりも大切にしてきました。これは何を人生の初心にして何のために生きるのかという生きる姿勢のことでもあります。

一生懸命に真摯に生き切って、潔く静かに美しく散ってまた新たな甦生の循環となる。

古来から桜にはそのような雰囲気があるものです。

修験道発祥の地、山岳信仰の中心であった英彦山にひっそりと咲く守静坊のいのりの一本桜はまさに今の時代の人間が憧れる生き方の智慧の結晶のようです。

今週末にかけて散っていきますが、2日には満月を迎えます。夜桜の美にもまた智慧が隠れています。この枝垂れ桜は全方向、全時間、全受容、全存在で味わえます。

宿坊の甦生からますます元氣になっている奇跡の彼岸桜から季節の巡りと一緒に心の持ち方も学び直していけるといいですね。

 

 

守静坊の枝垂れ桜の徳

英彦山の守静坊の枝垂れ桜がまもなく満開を迎えます。

この桜の圧倒的な存在感で、場を一変させています。霊峰英彦山に在り、神様の依り代、先祖の霊の依り代として美しい純白のしなやかに垂れさがる一重の花が風に揺れこちらに話しかけてくるかのようです。

改めてこの英彦山にある守静坊の枝垂れ桜が他の枝垂れ桜と異なるのかを私なりに整理してみようと思います。

そもそも枝垂れ桜という桜は、野生種の突然変異で誕生したものです。1億回のDNAの甦生のコピーの中で1回、突然変異により誕生します。その個性は、明らかにそれまでの桜と異なります。重力に逆らわず、敢えて頑強ではなく柔弱の徳に溢れお水のような清々しさを持っています。

古代から日本には桜がありますが、枝垂れ桜に出会った先祖がこの株を大切に守り株分けしながら全国各地に広がっていった野生種です。つまり枝垂れ桜は、人々が深く愛した存在で人間との関係がなければ今私たちの目の前に存在しない桜ということです。

守静坊の枝垂れ桜の特徴は、一重白彼岸枝垂れ桜といい春のお彼岸の頃に開花するのが特徴です。桜は元々生死の境界を生きています。この境界(間)のことを古語では「あわひ」といいます。これは水の泡のようなものであるという意味です。

桜は花が咲き、同時に散ります。つまり生と死をお彼岸の合間に行います。この死生観が日本人の美意識や魂と結びついて、私たちは桜を先生にして生き方を磨いてきたのではないかと私は思います。

もしも桜がなかったとしたら、私たちは春というものをどう感じるでしょうか?昨夜は、写真家の方々のためにと守静坊の枝垂れ桜をライトアップしてみましたがその圧倒的な存在感にもはや別の空間に場が変化するのを実感します。他の樹木をライトアップしてもこうはなりません。全体の形状、そして見栄え、円を描くように咲くお花と光を反射して神々しく水霞を纏います。まるで、水面に浮かんでくる龍のようです。

そして守静坊の枝垂れ桜の個性で最も徳が溢れるのは「英彦山中の弁財天の水谷と宿坊の敷地内に存在する」ということだと私は思います。もともとこの枝垂れ桜の由来は今から230年前の現在の円山公園の祇園桜を株分けしたものです。そこはかつて修験者の宿坊(山科家)のあった場所です。

山岳信仰と深く結びつく桜は、近代のような景観観賞のためのものではなく「祈りの場」としての桜なのです。お花見で楽しくお酒を酌み交わすような場もいいですが、この場所はそうではなく「信仰の実践道場」としての桜の場なのです。

つまり桜を先生にして何を私たちは伝承して守るのか。その本質は、いのちを學ぶことではないかと私は思います。

この守静坊の枝垂れ桜の唯一無二の個性と徳は、「霊峰でいのちを學ぶ先生」ということです。

私がこの桜を守り、先祖供養の場を毎年実施するのはこの枝垂れ桜に宿る伝承を継承して次世代までずっとバトンを繋いでいきたいといのるからです。

この時季にしかお会いできない一期一会に心から感謝しています。

今週は満月のご祈祷と初心の振り返りと遊行があります。
ご縁の方々と平和をいのります。

桜の波動

英彦山の枝垂れ桜の場を調えていますが、桜の波動で魂や心が癒されます。

不思議なことですが、この一本桜は場の空気感を全て変えてしまいます。もともと存在感があるのですが、桜の開花の時季は特別な存在感が出てきます。樹木というものは、言葉を持ちません。しかし変化によって語ってくるものです。

例えば、朝夕の日差しを受けて反射してくる光。風に揺られて静かに揺れているゆらぎ。花や葉をひらひらと落としていくときの静けさ。また凛と生命を感じさせる場の力。

その瞬間瞬間に波動を直観するものです。

桜は常に変化をし、波動によって私たちに意志を語り掛けてきます。桜守をしてはや4年目ですが、桜が喜んでいたり、語り掛けてきたり、見守り合っていることを実感する日々です。

樹木は、お世話をする人のことを知っています。それはお野菜やお米を育ててみてもわかりますが、関係性を結びます。そこにはお互いにわかる周波数のようなものが存在し、共にその波動を結び合うことで語り合います。

私は法螺貝を吹きますが、法螺貝は波動を放ちます。

その波動で自分の心や、感性などを表現して樹木をはじめ場と語り合うことができます。むかしの人たちは今よりもずっと、波動で対話をしていたように思います。波動で対話をすることで、お互いの絆を感じ合い、新たな目覚めをして共に寿命を与えあってきました。

波動は関係性の中にありますが、桜はその波動を調える最幸の先生です。

これから一週間で満開になりますが、一期一会の波動の出会いを楽しみたいと思います。

英彦山枝垂れ桜の物語

英彦山の守静坊の枝垂れ桜は少しずつ開花をはじめています。この唯一無二の枝垂れ桜の物語を少しご紹介してみようと思います。

もともと守静坊のしだれ桜が英彦山の地に植樹されたのは今からちょうど二百三十年年前のことです。この頃の英彦山には約三千人以上の修験者たちが英彦山の中で暮らし宿坊も八百坊ほどあったといわれます。当時の英彦山はとても参拝者で賑わっており、坊家の山伏たちは薬草で仙薬をつくり、信仰者へのお接待やご祈祷や祭祀、護符の授与や生活の知恵の指導などを生業として暮らしていたそうです。

時代の変遷を受け、今はその様子は失われていますがその当時の面影のままに今でも清廉に咲き誇る「しだれ桜」が守静坊の敷地内にあるのです。時代を超えて生き続けている存在の御蔭さまで私も甦生に取り組むことができています。

この守静坊の枝垂れ桜の特徴は、「澄みきった可憐さを持つ花びらと、鳳凰のように羽を広げた姿はまるで今にも飛翔していきそうな姿」です。実際には樹齢二百三十年以上、高さ約十五メートル、幅約二十メートルほどあります。

品種は、「一重白彼岸枝垂桜」といいます。この名前には日本人の自然観と死生観がある象徴的な桜ともいわれています。この「彼岸桜」は、春のお彼岸の頃に咲くことから名付けられ、此岸(この世)と彼岸(あの世)をつなぐ存在として、古くから先祖供養や浄土思想と深く結びついてきました。

そして「枝垂」は枝が下へと流れるように垂れる姿を指し、その形は水や柳を思わせ古来より霊性や神聖さを帯びるものとされ寺社に多く植えられてきたものです。純白の透明感のある「白」は清浄や浄土を象徴する色であり彼岸という概念と重なることでより一層あの世への祈りや鎮魂の意味が入ります。

また「一重」は花びらが簡素で原初的な形であることを示し人の手による装飾性よりも自然そのものの美しさを宿しているともいわれます。これらすべてが重なり合ったという意味で「一重白彼岸枝垂桜」という名前になっています。

この世とあの世の境界に静かに佇み、亡き人への想いをそっと託すような、日本的精神性を体現した桜がこの守静坊の枝垂れ桜なのです。

そして言い伝えでは、江戸時代の文化・文政年間に(1804年~1819年)に当時の守静坊の坊主である守静坊普覚氏が二度ほど、英彦山座主の命を受けて京都御所へ上京しました。その時、京都祇園にあるしだれ桜を株分けしたものを持ち帰りこの英彦山に植樹したといいます。

昨年、故あってちょうど福岡にお越しになっていた平安時代末期から続く公家の家職であり代々宮中の装束を担当してきてこられた若宗家の山科言親様に浮羽の私が甦生している古民家でお会いするご縁をいただきました。その時に「元々は祇園桜の発祥は、京都円山公園にある山科家の宿坊の敷地内にあった枝垂れ桜だったんです」というお話をお聴きしました。その時の出会いの感動は大きく、時代を超えて桜を通して繋がる人々の関係があることに感謝したことを今でも覚えています。

守静坊ではこの枝垂れ桜の開花時期に、英彦山と場にご縁のある方々や檀家さんたちが集まりご先祖さまの供養を行う年中行事その後に行われてきたという伝承があります。それを新たに甦生して、今の時代に本質は変えずに桜を喜ばせるような年中行事「サクラ祭り」として私が実施しています。

昨日も大量の落ち葉を桜の養分にと作務をしていたら何処からか桜を観に来る方やお花見のお電話が入ってきました。どの方々もこの守静坊の枝垂れ桜を観て感動した、魂が震えた、桜との出会いが忘れられずにまた来たいと足を運んでおられました。

桜は凛としてただ自分の花を精一杯に咲かせているだけですが、その姿そのものあるがままの徳が人々の心を癒し清め、繋がりを保ち今でも心を救っています。

私もこの枝垂れ桜のように生きたいと、人生の大先生と慕い桜守をさせていただいているところです。きっと満開と見頃は今週末から来週末くらいまでではないかと思います。

英彦山はちょうど上宮の工事も終え、お山も次第に調ってきました。桜と共に皆様にお会いできるのを心から楽しみにしています。

https://www.crossroadfukuoka.jp/event/15519

変化そのもの

蘇軾という人物がいます。この人物は人生を行雲流水に生きた方です。実際にこの行雲流水という言葉もこの方が最初に文章にしています。この人物は、約1000年前の中国の方ですが一生を栄光や転落などを何度も繰り返しても、その時々を実に楽しみ艱難も栄華も生き方を磨く砥石にして素晴らしい詩や文章を後世に遺された方です。

時代が変わっても、国が違っても、人が異なっていても、深く共感するのは変化そのものがあることです。どんな今であっても、その変化を丸ごと受け容れ、それを学び、深く楽しむ。幸福や真の豊かさ、學問の本質には心惹かれます。

行雲流水の文章はここから出てきました。

「大略如行雲流水 初無定質 但常行於所當行 止於所不可不止 文理自然 姿態橫生」

(おおよそ行雲流水のごとく、初めより定質なし。ただ常に行くべき所に行き、止まるべからざる所に止まるのみ。文理は自然にして、姿態横(おの)ずから生ず)

これは後輩とのお手紙のやりとりの中で書かれるものです。後輩の詩に作為が出ていることを指摘し、もっと自然に湧いてでるようにとアドバイスをしています。具体的には、おおよそ流れる雲や水のようにはじめから決まったものはないのだから止まる時は止まり、流れる時は流れるようにすればいい、自然体であるといいと。

自然の流れに従うようにというのが正直で素直であるということでしょうか。これは文章を先ではなく、自分を先にそうすればいいという教えや智慧であるともいえます。そもそも変化というものは、変わるものと変わらないものがあります。これは動くものと動かないものという変化もあれば、意識と実態、あの世と此の世、時と記憶のようにも語られます。

しかしよくよく観察していると、変わるものと変わらないものの「間」にこそ「真の変化がある」ことに氣づくものです。それは「今」とも言えますし「直感」とも言えますし、「味わっている最中」とも言えます。

つまり、「今を素直に感じて味わう」ということが変化そのものになるということでしょう。

変化そのものになるとき、変化はなくなります。

私たちは変化できない理由はいろいろありますが、自分のもののように所有していると勘違いしたり、先のことや後のことばかりに執着していたり、本来の自分というものを別の何かと錯覚するからだと感じます。まるで人間だけが人間を生きていると勘違いし、自然から離れてその本来の変化の感覚を忘れてしまっているかのようです。

自然体であることは、自然の変化と共に歩んでいくことでもあります。

まもなく英彦山のしだれ桜が満開になりますが、しだれ桜は変化をよく観ています。そしてしだれ桜から人間を見つめてみたらそこに来る人来ない人、観て感じている人がいるだけです。事実は、こちらだけでなくあちからだと別の見え方があります。自然になっている存在の方が、変化そのものになっているように思います。

だからこそ「この今を素直に感じて味わう」ことで私たちは変化を自分のものにしていくことができます。少し人間の喧騒から離れてみて、神仙遊山の境地を味わい、人生の大切な節目の変化をしだれ桜と共に味わってみるのもいいかもしれません。

宿坊に私も滞在しておりますので、一緒に変化を味わえるといいですね。

 

 

疑死再生

昨日は、英彦山の宿坊でたくさんの方々と一緒にお彼岸のご祈祷と英彦山伝承や鷹についての勉強会を行いました。改めて、鷹という鳥がどのような存在であるのか、北部九州の中での英彦山がどういう歴史的役割の場所であったか、そして山伏や修験者、宿坊とは何かということについて語り合い学び合いました。

そもそも修験道には「疑死再生」という修行があります。これは実際に死ぬのではなく、一度死んだものとして扱われることで、古い自分を手放し、新たな存在として生まれ変わるという精神的なプロセスを体験できる修行のことです。

お彼岸でこの世とあの世の境界線の話をしましたが、その境目がないところにいのちの甦生や再生が深く関わります。私たちの親祖たちは、蛇の脱皮や鷹の羽の生え代わりや、鮭がまた川を遡ってきて卵を産卵する様子や、他にも熊の冬眠から目覚めたり鹿の角が生え変わったり、カエルや蝶などもあります。生きたまま老いて死ぬのではなく、別の世界や異なる姿に変化して新しく甦生して生き返るのです。

この変化というものを得る場所を「お山」の修行を通してというところに修験道の妙味があります。

鷹の選択という動画があります。これは事実はどうなのか、自己啓発の創作動画などとは言われていますがとても面白い内容になっています。具体的には、熊鷹は長寿の鳥とされ、40歳頃に大きな転機を迎えるといいます。老いた鷹は爪やくちばし、羽が衰え、このまま死を待つか、苦しい変化を選ぶかの決断を迫られると。そしてその時に変化を選んだ鷹は標高の高い山にこもり、くちばしや爪、羽を再生させる試練を経て、新たな姿で再び飛び立ち、残りの人生を生き抜くという話です。

そもそも鷹という鳥は、あの世とこの世を結ぶ境界線を生きる存在だと信じられてきました。山の中に棲み、大空から下界を眺めて目的目標に正確に狙い打ちして的をはずしません。そして天高く飛び去り、何処かに連れていきます。

この生態は山に棲む「山伏」ともとても似ています。むかしの人たちは山伏たちを鷹のような存在だと同一視していたのではないかとも感じます。そして山で修行をすると、別人のように生まれ変わる姿を何度も観たのかもしれません。

この鷹の選択の動画で示唆を受けるのは、それまでの自分自身を毀し、新しい自分になって寿命を延ばすというものです。そのためには、今まで身に着けてきた力を一度、すべて捨て去り、もう一度、はじめからやり直すという決心をするということです。

疑死再生の本質とは、その覚悟を決めることで甦生するという世の中の道理を示したものかもしれません。

智慧というものは、言葉で残すのではなく生き方で遺るものです。鷹伝説があるというのは、それだけこの英彦山というお山は鷹のような生き方をした人物を輩出した場所であるともいえます。

私も、大切な節目を迎えており今一度、お山や場から自分自身をみつめ直し、いのちの在りようあるがままを観て道を選んでいきたいと思います。

ありがとうございます。

お彼岸への伝承

日本の伝統的な行事に「お彼岸」というものがあります。これはインドや中国にはない日本で発展した仏教行事です。盂蘭盆会はインドからのものです。春分と秋分の間にあるのが彼岸で、夏にあるのが盂蘭盆会です。

そもそもお彼岸とは何でしょうか?

お彼岸の「彼岸(ひがん)」は仏教の言葉で「向こう側の世界」といいます。「あの世」ということですね。それに対して私たちのこの世界は「此岸(しがん)」といい「この世」のことです。

春分には太陽がほぼ真東から昇り、ほぼ真西に沈みます。そしてこれは秋分も同様です。この春分・秋分が日没の方向が一年の中でもっとも明快に「西」を意識することができます。

阿弥陀仏の説く極楽浄土は西の方角にあるといい、「阿弥陀の浄土は西方、十万億の仏土を過ぎたところにある」とされてきました。だからこそ西を向くこと自体が、極楽浄土へ心を向ける行為になっていたのです。

春分と秋分の時期は、太陽が真東から昇り真西に沈みます。その瞬間にあの世とこの世が結ばれると先人たちは実体験で味わったのかもしれません。中庸、バランス、調和、あちらとこちらも渾然一体になった時、そこに天地和合心、極楽浄土が観えたのでしょう。

英彦山の守静坊は、祭壇から玄関に向けて西を向いて建っています。私はいつも宿坊に来ると、夕方はいつも夕陽を眺めてはずっと祈ります。西から差し込んでくる澄み切った金色色の柔らかな太陽の光が「真摯に一日、そして一生を終えるいのちのご供養をしている」ように実感するからです。

輪廻転生、何度も循環し巡りくるいのちの調和は誰が何のために行っているのか。私たちはいのちがある御蔭さまでさまざまな体験ができています。それもまたご先祖様が結んで繋いでくださった一期一会のいのちです。

「在る」ものに眼差しを丁寧に向けてみると、感謝の世界が顕現してきます。

極楽浄土は何処にあるのか、それは感謝の中にこそということかもしれません。

人は朝に太陽を拝み、夕陽に太陽に祈ることで感謝の世界を味わえます。世界のいのち、そして人類が平和でありますようにと感謝でお気楽極楽に真心の暮らしを楽しむ。平和とはいつもかくありたいものです。

今日も、英彦山の守静坊ではご縁のある方々と一緒に先人や先祖を偲び、歴史を学び直してみんなで読経してお香を焚いて、しだれ桜のご神木にしめ縄をはります。

お彼岸の有難さに感謝しながら過ごす一日にしていきたいと思います。

信義

「信義」というものがあります。この言葉は論語や孟子などでもよく出ますが「信義」は相手を信じ約束や道徳を守るという誠実さを意味する言葉として有名です。「信」は誠実さや約束を守ることをいい、「義」は正義や道徳的な義務をいいます。

そしてこれは日本では古来から武士道の精神とも言われます。私の先祖の野見山家は、野見宿祢以降代々、武士でしたからこの「信義」には強く惹かれるものがあります。信義に悖るという言葉や、信義に反するという言葉もあります。これは自分や相手との約束を守らなかったり、信頼関係を裏切ること、そして義務を果たさず道理に反することをいいます。具体的には、利己的で裏切る、不誠実、戦国時代なら下剋上です。

武士して、侍として恥ともいえる生き方かもしれません。

戦国時代といえば、加賀100万石の大名、前田利家という武将がいます。彼はこのようにいいます。

「武門とは信義の番兵であり、人の生涯は心に富を備える為にある。」

信義を忘れたり捨てると、心が貧しくなるというのでしょう。本当の心の富み、宝は信義を守ることで得られるという格言ということでしょう。お互いを深く信頼し合い、道理を守り共にいのちを用いて一緒に生きる。この仕合せは信義によって得られるとしたのでしょう。

また私が尊敬する武将に上杉謙信がいます。下剋上の裏切りばかりの戦国時代に、義を貫いた生き方を全うされた人物です。敵に塩を送った話も有名です。

「大事なのは義理の二字である。死ぬべきに当たってその死をかえりみず、生きる道においてその命を全うし、主人に先立つ、これこそ武士の本意である。」

そしてこういいます。

「義とは、人が人としてあることの美しさよ。」

まさに人としてどうあるか、信義を守るというのは、人としてを守るということでしょう。裏切り、騙し合い、殺し合いの修羅のような世の中でも「人であること」を大切にする。美しく生きていこうとした、武士たち、侍の魂に感動します。

最後に、大阪の石門心学の石田梅岩の言葉です。

「学問の道とは行動を慎み、目上の人を敬い、両親には仁愛を持ち、友には信義を持って接し、人類を愛し、貧乏な人には恵み、功績があっても自慢せず、倹約して派手な生活をせず、家業をおろそかにせず、家計は収入以上には使わず、秩序を守って家を治めるということである」

友とは、「信義」を守る関係であること。信頼関係というものは、信義がなければ成り立ちません。人間は、お互いに助けあい、共に生き延びてこれたのは心にこの豊かさがあったからでしょう。

今日はお彼岸、ご先祖様のご供養で一日を過ごします。未来の子どもたちによい未来、よい智慧と場が譲れるように禍転じて福にしていこうと思います。