勇気の源

人は誰かが成長している姿を見ると勇氣が湧いてくるものです。この湧いてくるものは一体どこからやってくるのか、なぜ自分の中にその勇気が湧き出てくるのか。不思議ですが誰かの勇気を出す行動を観ていると、自分自身も奮い立たせてくれるのは事実です。

この湧くの同義語には、・込み上げる・芽生える・湧き立つ・あふれ出る・湧き起こるなどがあります。やはり成長には、何か不思議な力がありその力は多くのいのちに多大な影響を与えているように思います。

私はたんぽぽがとても好きなのですが、道端でたんぽぽが咲いている姿に真摯さを感じて勇気づけられることもあります。一生懸命にいのちを輝かせて活きている姿はそれだけで他のいのちを感動させるのです。

ではこの湧いてくるものは、一体どこから出てくるのかということです。これは自分を信じることで湧いて出てきます。自分を信じるというのは、何を信じるのか。それは私の直観では今までこの世に生きてきた永遠の連鎖、そしていのちの深い生命の源を感じているのではないかと感じます。

人はいのちの源泉というものを持っており、その源泉に触れることでいのちの泉が湧いて出てくるものです。それは地中から水や溶岩が湧いて出てくるように源泉にはいのちそのものの元氣が満ち溢れています。

日ごろはそこに触れることもありませんが、何かしらのいのちの源泉を身近に感じるとき私たちは汗が出てくるようにそのいのちの元氣が湧いて出てくるのです。これが勇気の源ではないかと私は感じます。

自分の勇気が誰かの元氣になり、自分の勇気ある行動が誰かの勇気を引き出すことになる。そう思えるだけで人は、元氣を周囲のいのちに分け合い共生し貢献し合うつながりや絆を享受し合えるのです。まさにこの世が楽園になっていく道理は、このいのちの元氣の連鎖で起こります。

勇気の源は、みんなの元氣の源です。

自分の勇気をさらに発揮して、子どもたちのためにも挑戦を続けていきたいと思います。

本物の場

弥盛地(イヤシロチ)という言葉があります。これは日本の古文書の一つ「カタカムナ」の中で出てくる言葉です。簡単に言えば、場には「弥盛地」と「気枯地」(ケガレチ」というものがあります。

弥盛地は、万物を癒す場所、そして気枯地は、万物を穢す場所ということになります。生きものには、その場所によって生成する場所と衰退する場所があります。もちろん生きものにも種類があり、私たち人間にとって癒す場所と穢す場所がありますが他の生き物ではそれが逆転していることもあります。

水気が多い場所が好きな生き物、乾燥した場所が好きな生き物、その生きものたちの特性で癒しも穢れも変化します。この穢れは、「気枯れ」とも書かれます。それは元氣が減退しているということです。

この元氣というのは、生き物たちが根源からもっている元来の「気」のことです。私たちは肉体や精神を持っていますが、もともとその中には気が宿っています。その気の状態を如何に清浄にしていくか。まるで水のように澄んだ状態にして、自然や地球のいのちと一体になっているかが、日本の先祖が重んじた風土と一体になった状態であったのです。

風土は季節と一体ですから、そのバランスを崩さないようにいつも気を澱ませないようにと元氣が満ちた状態、つまり健康であることを心がけてきたのです。

その健康は、その場によって支えられるものです。それはその土地の風土環境をはじめ自分自身に与える気が澱まないようにいつも排水し続ける必要があります。体の状態と同じように、新陳代謝をよくし、水がしっかりと循環して老廃物を流し続けるように私たちの気もそうやって循環することで健康を守ってくれています。

健康を維持するためにはこの弥盛地の場チカラは大変重要になってきます。先祖は様々な工夫を凝らして暮らしを改善し、住環境を改善し、食を整えてきました。その智慧があったから、いのちが燃え尽きるまで幸せに活動をし続けて生を全うすることができたのです。

この時代は、自然から離れあまり弥盛地のことが重要視されなくなってきました。改めて子どもたちに本物の場を譲り渡していけるように、具体的なものを創造し伝承をしていきたいと思います。

場数の価値

「場数」を踏むというものがあります。これはその場の経験を体験し積み重ねることを言います。この場数というものは、生き物が産み出した偉大な智慧の一つであり人間が発達し成長するための最大の糧になります。

先日から、農業関連の方や建築関係の方、そしてまちづくりや教育の方とお話する機会がありましたが以前には考えられなかったほどに様々なことを理解できそれを実現できる力が自分に備わっていることに気づきました。

なぜだろうと思い返すと農業においては19年の自然農の経験が活き、建築では古民家再生での経験が活き、まちづくりでは見守る保育の経験が活きています。それは知識を単に持っているからではなく、自分のこれまで積んできた場数の実体験がある一定量を超えて質に転換されていることに気づいたのです。

人間は最初からなんでも一流のようにできる人はほとんどいません。特に、職人の仕事をはじめ一定以上のプロの業を会得するにはそれなりの時間がかかります。

その時間とは、何回も何回も場数を体験することでありその場数の中で量を積み重ねているうちにある時突然に質に転換されていくのです。

これは以前、行った「貝磨きの体験」に似ています。

貝を磨き続けていると、ある時ふと突然に貝が光りはじめます。最初はざらざらで、光らなかった貝が紙やすりにを何度も往復させていくことでパッと光り輝くのです。まさにこれが量が質に転換された瞬間なのです。この貝磨きの体験の素晴らしさはこの「場数を踏む」ことの大切さを子どもたちに体験させていることです。

最近は、あまり経験することを尊ばず経験しなくても簡単にできる便利な方法ばかりを選択する若い人が増えているといわれます。便利なものを知ってしまうと、自分を磨いたり、場数を踏んだりすることを嫌がる傾向があるといいます。努力の価値や、精進の素晴らしさを体験する機会が少なくそのために質もまた低下しているというのです。

この質の低下は、「積み重ねる」ということの価値が下がっていることをものがたります。そして「磨き上げる」という努力の評価が下がってきていることも意味しています。

しかし「技術を自分のものにする」というのはつまり「自分を磨き上げる」ということに他なりません。努力を積み重ねて挑戦し続けて体験を智慧まで高め、如何に熟練の粋に達していくかが場数の価値なのです。

場数を馬鹿にすることなかれ、場数こそ本物になる要なのです。

そしてその場数の質を劇的に高める方法が、初心を忘れないことなのです。人間は初心という物差しで振り返り続けていけば必ず自らの高みに達することができるからです。大切なのは、何のために生まれてきたのか、人生とは何か、その意味もまたこの場数を踏むことによって得られると私は思います。場数の価値とは、いのちの価値です。

引き続き、自ら時間を惜しんで何回も挑戦する機会を楽しみ、場数を踏んで自分自身の質を高めていきたいと思います。

志の醸成

人間はどのような環境の中で育つかで、その育ち方が変わっていくものです。その環境には、多様なものがありますがその一つに人的環境というものがあります。これはどのような人たちに見守られて育ってきたかということです。

人間が、赤ちゃんで生まれてから死ぬまでの間、一人だけで勝手に育つことはありません。両親をはじめ、多くの縁に恵まれながら私たちは育ってきます。そしてそれは身近では兄弟や友人たちになりますが、よくよく人生を観察していると多くの赤の他人ともいえる人たちによって支えられていることがわかります。

人間社会というものは、決して一人で生きているのではなく数多くの方々の見守りのネットワークの中ではじめて生きているということを確信するのです。

例えば、子どもたちは人生の中で必要なものを探して自立に向けて挑戦していきます。その時、必ずだれか見守ってくださっている存在があり、その子が安心して挑戦していけるように手助けてしてくれています。

その手助けの方法は、直接的もあれば間接的もあります。しかし確実にその子がその手助けの存在を直観し、自分も支える人になろうという気づきを得て社會の中で自立していく力が育っていくのです。

人類の支え合うというこの仕組みは、決して民族間や国家間問わずあらゆるところで機能しています。私も半生を振り返ってみたら、留学していたときも多くの外国人たちに見守っていただきました。そして幼少期から社会に出るまでも、時には叱咤され、時には褒められ、時には感謝され、時には背中を見せ、言葉をかけ、指導をしてくださったお陰で今があります。そのご縁や御恩は、今の自分自身を支えています。

その支えられた記憶がある限り、自分もまた同様の支える存在になろうと困っている人をみたら真心で接し、世の中に必要なことを実感したらそれを自ら解決しようとする志につながっていくのです。

「志」はつまり支え合う中で醸成されてきたということです。

子どもが志を持つためには、社會の見守りネットワークの必要は絶対に不可欠です。多くの見守りがあればあるほどに、子どもたちは志を確かにし自分自身の人生を社會の中で立てていくことができるようになります。

そのためには、そのネットワークをまちぐるみ、また国ぐるみ、世界ぐるみで丸ごと構築していく必要があります。現代社会は、競争的で画一的になっていますから様々な支え合いシステムも資本主義経済の中で綻びをみせてきています。

新しい時代、新しい世代は、この問題に正面から取り組む必要があるように思います。私も残りの人生は、支えてくださった方々へのご恩返しのために見守る仕組みを世の中に温故知新して和合する社會のために貢献できるように挑戦していきたいと思います。

子縁の本質

むかしから「子縁」というものがあります。これは子どもが縁をつないでいくということです。諺にも「縁の切れ目は子で繋ぐ」「子は縁つなぎ」というものがあります。

単に子どもは夫婦の縁をつなぐだけではなく、人類の世代と世代をつなぎ、世界をつなぎ、時間をつなぎ、文化や地域や伝統をつなぎ、希望をつないでいく存在だとも言えます。

この子縁が人々の断絶を甦生させ、失われていく未来をつなぐ存在になるのです。

そしてこれは人類の集団の叡智を担っているのです。

子どもという存在をどう捉えているか、そして子どもが集まるということが何か、さらには保育というものが如何なるものかをどの次元で受け止めているかで視座が変わっていくのです。

今もむかしも、子どもは両親だけが育てているわけではありません。数多くの方々の見守りがあってはじめて子どもは育ちます。赤の他人といわれる大人たちから見守られ、助けられ、見守られ、一人の子どもが立派に育っていきます。

その御恩をお返ししようとさらにより善い社會を創造していくのも子縁の叡智です。

人類はこれまで生き延びてきたのは、子縁があったからです。

その子縁を絶やさないことは単に子どもをつくればいいという問題ではありません。子を中心に如何に見守り合う社會を創造していくか。それがまさに子縁の本質なのです。

子ども第一義の理念をさらに発展させながら新たな挑戦を楽しみたいと思います。

勧進調達

クラウドファウンディングという言葉があります。これはクラウド(群衆)+ファウンディング(資金調達)からできている言葉で一般の人たちから資金を集めるという意味になります。

もともとは、文化の資産を国の予算だけではなくみんなで出し合って守っていこうとしてはじまったのではないかともいわれています。他にも、その時代で民衆に必要なものを活用しようとするみんなで資金を出し合ってそのプロジェクトを全員で形にしていこうとする民主的な方法の一つです。

日本でも例えば寺などの改修工事で似たような資金調達が行われました。例えば1180年ころ、僧の重源が源平の争乱での焼き討ちで焼失した東大寺と大仏の修復・再建を進言し、東大寺大勧進職に就きました。その重源は再建費用を集めるため全国各地を回り信者や有志から少額ずつの寄付を募り1195年には大仏殿の再建を実現させた歴史があります。その後、寺院や仏像などの新造・修復・再建のため庶民から広く寄付を求める「勧進」という動きが盛んになり無事に修繕が終わると寄付者の名前が寺に記されることもあったそうです。

つまり、みんなが大切に守りたいと思っているものにそれぞれ「勧進」をして貢献していこうとしたといいます。この「勧進」とは仏教の言葉で辞書を引くと「人々に仏道をすすめて、善に向かわせること。寺社・仏像の建立(こんりゅう)・修繕などのために寄付を募ること。」などと書かれています。善い道に導き、一緒に徳を積む人たちを増やそうとすることがその本来の意味なのでしょう。

ただやりたいことをやるのを面白いからやるための資金調達と、本来の勧進の意味の資金調達は意味が異なるのです。

私が近くはじめていこうとする新しい資金調達の試みもまた、この本来の意味である勧進の本質から温故知新して考えているものです。徳を積む仲間を増やしていくことが、未来への子孫の発展と繁栄、人類の調和に深く関係していきます。

むかしも今も、大切なものを守るためにみんなで徳を譲り遺していこうとその時代の人たちが協力して文化や伝統を守ってきました。その思いを今の時代でもどのように受け継ぐか、その本質を如何に守っていくか。

改めて子どもたちのためにも、本質を変えないままに取り組んでいきたいと思います。

地域の宝

先日から地域の宝を守るためにどうすべきかというテーマをいただき深め続けています。ここでの地域とは何か、それは中央か地方かといった地域ではなく、故郷としての地域です。

そして故郷とは何か、それは心の原点のことです。心の原点を愛する人たちによって、故郷は生き続け、それが失われることによって故郷は消失します。

残念ながら画一的になってしまった現代社会の中で、本来多種多様であった故郷の形状は破壊され、ほとんどの地域から故郷が消失しているように思います。地域の宝を残したいという声も次第に失われ、経済効果や生産人口の増加ばかりに地域政策が奪われ本来の大切なことを忘れてしまっているようにも思います。

私たちとっては、子どもというのは社會の宝です。社會とは何か、それは人間が共存共栄していく自然の智慧のことです。その社會の宝とは何か、それは子どもであることはいちいち説明する必要はありません。

子どもが消失すれば社會もまた消失します。子どもたちが創りだす社會が、未来の社會であり、それを見守るのが本来の大人の役割です。そういった原点、つまり宝を受け継ぎ引き継ぎ、つなぎ守ることが未来へ地域や故郷を遺す唯一の方法だと私は思います。

地域の宝を守るというのは、故郷を愛する人たちを守るということです。そして故郷を愛する人たちを増やすことで故郷は甦生していきます。故郷を愛するというのは、故郷の歴史を守るということです。

その時代時代の人たちが愛してきた記憶、そして暮らしてきた営み、つまり歴史を遺していくということです。もし歴史がなくなればその地域の故郷もまた失われます。まったく歴史を無視して、新しいものに入れ替えたなら歴史がなくなり人も心も消えていきます。

そうやって国土や風土がまるで他国のように入れ替わっていくのはすべてこの歴史を奪い故郷を消失させていくから実現しているのです。故郷とは歴史のシンボルなのです。そのシンボルを守ることこそ、地域の宝を守ることなのでしょう。

日本もまた戦後の政策によって地域が次第に消失していきました。地域再生などに取り組む人たちは、何をもって地域再生というのかをもう一度、よくよく考えてみてほしいと願います。

子どもたちが安心して心の原点を持ち、世界で活躍していけるように地域の宝を守っていきたいと思います。

人類の智慧、保育の叡智

昨日、お伺いした取引先で理念についての話し合いに参加してきました。そこは先々代の創業者が、どのような想いではじめたのか、そして今その変遷をどのように辿り変化してきたかということをみんなで味わい語り合いました。

過去の歴史に向き合い、今の現実に向き合い、これからの未来に向き合う。

この向き合うためにもその向き合う鏡として理念があるということはとてもありがたいことのように思います。実際には、この鏡を通して自分を観ると如何に自分が本質からずれたことをしているかがわかってくるものです。

物事には必ず動機があり、そしてその理由があります。さらには原点や初心というものがあり、そこから何のために行うのかというみんなが助け合い協力して自分というものを社會で活かすための道徳倫理があります。それを自覚することは、自分を活かし周囲を活かすことになりそれが自他の仕合せになっていきます。

昨日、印象的だったのは自立と協力の話でした。

自立は自律でもあり、如何に自分の中に法やルールを設けて律することができるか。そうやって自分自身を省みて自己自修し慎み自分で善なる自分を練り上げていくか。自分というものを育てるのは自分ですから、自分と向き合う生き方の話です。昔から迷惑をかけているからこそ迷惑をかけないようにしなさいと言われてきたものです。

そしてもう一つの協力とは、迷惑をかけているのだからもっと信頼して助け合いなさいと言われてきたものです。人は一人で何でもできる人を目指したら、孤立してしまい一緒に集団や社会で自分を役立てることが難しくなります。自分の持ち味や得意を活かしてくれるのは周囲ですからみんなに感謝して協働していくことでみんなも自分も豊かな人生を送ることができます。特に人類は、これまで生き残ってこられた最大の智慧は協力してきたことですから迷惑をかけてもいいからその分、みんなと助け合って協力することの大切さを諭すのでしょう。

この迷惑をかけないことと迷惑をかけること、この矛盾する二つは自分に対しては自律、周囲に対しては協力、そのうえで自分を立てることということが成り立ちます。

さらにはその陰に隠れている本当の教えは何かといえば、感謝することを忘れないということでしょう。人間は当たり前のことを忘れると感謝しなくなっていくものです。結局は迷惑をかけないことも迷惑をかけることも感謝を忘れていないかと思いかえすためのものであることに気づきます。

自分というものを成り立たせてくれる存在は、社會の存在です。社會は感謝が循環することで成り立ち、それによってみんなが共生して貢献し合うことができます。自立の本質とは、感謝のことであり感謝できる人、感謝し合う人を育てることこそ人間を育てるということの本質なのです。

如何に能力が高くても、如何に資金力があったとしても感謝できない、感謝し合えないのでは人間としての社會では成立することはありません。人は感謝で立たせ合うことで人になります。目には見えない中にこの人を支え合う感謝がいつも循環していることが、社會を成立させていくための人類の智慧そのものなのです。

人類の智慧を伝承する理念を持つことは、生き方そのものですからその理念にかかわる人たちはみんな仕合せを創っていけます。そしてそれを育むことが保育の叡智なのでしょう。改めて、子どもの仕事とは何か、保育の本質とは何か、機会から学び直し続けていきたいと思います。

 

原風景と風土の徳

昨日、千葉県神崎にあるむかしの田んぼで田植えをしてきました。みんなで協力し、田植えをしお昼には昨年の新米で手巻き寿司をつくりみんなで和気あいあいと語り合いました。天気もよく、食材も地元神崎の発酵したものばかりを食べ、この田んぼで作られた酒米や甘酒などを飲み心も体も仕合せな時間を過ごすことができました。

「和」とは何かということを頭で考えて勉強をする人もいますが、本来の和とは「和」という言葉が先に生まれたのではなく和があって言葉ができたのです。その和を体験するためには、むかしからの原風景の中で原体験を得るしかありません。今の人たちはすぐに頭で考えて先に答えを出して、その中で価値があるものやメリットがあるものだけを取捨選択しようとする傾向があります。

体験することの価値が失われていることが残念で、本来は体験の中でこそその意味や言葉の価値を知るのが真実です。映画館の中で外から眺める人生ではなく、中に入って一緒に味わっていく人生の価値というものは和の醍醐味の一つです。

話を戻しますが、世界人口の約半数の人たちが食べるお米は地球上ではとても重要な役割を果たしています。特にアジアは米食文化で、様々な伝統行事や神聖な祈りなどもお米を中心に行われます。元号が変わる今年は、新嘗祭といって今までの稲の種を次の代へと引き継がれる大切な行事が行われます。

それだけ私たちにとって稲作というものは、この日本の風土の原風景であり、先ほどの田植えは日本人の原体験であるのです。

この原風景とは何か、辞書には「人の心の奥にある原初(一番最初)の風景。原体験から生じるさまざまなイメージのうち、風景の形をとっているもの。今はなくなってしまった、子供の頃の記憶のような風景。様変わりした現実の風景に対して、本来そうであっただろう、懐かしさを覚える風景。」と書かれます。またほかの辞書には「原体験におけるイメージで風景のかたちをとっているもの。」と書かれます。

私にとっての原風景の定義とは、「本来の風土の景色」ということです。もともとはじまりがどうであったか、この風土にしてこの景色ありということです。それは東南アジアの風土であればこの風景、北欧のこの風土であればこの風景、アフリカの風土であればこの風景というように、その土地が自然そのままあるがままの風景になったものということです。

現在は、風土に合わない様々な異文化が価値観のコントロールによってそれぞれの場所で展開されています。すると、原風景から遠く離れた光景が現れます。例えば、アフリカの真ん中に巨大なピラミッドがあったり、北欧にバンブーハウスがあったり、日本でアフリカの服装をしていたらすぐに原風景ではないことは気づくはずです。

つまり風土の中に人間も一体になり調和するとき、私たちはそれを懐かしいと感じ、原初の魂に触れているのです。こうやって風土に学び風土となることは、私たちの人生に大きな影響を与えていきます。

それを「懐かしい」という感覚で表現しますが、これは心に原風景を持ったということです。それを別の言い方では故郷を持つとも言います。風土が故郷になり、私たちはそこから出て故郷の価値を再認識し、どのように故郷と調和を続けるかを自覚します。そうやって自分の体や心を創ってきたもの、自分というものを育てて形成したものへの感謝や尊敬が自分の自信や幸福感を満たしていくのです。

当たり前すぎて語られることも少なくなりましたが、この風土という絶対的な価値に気づいている人は少ないように思います。

子どもたちもまた風土の化身であり、風土の景色です。

その風土の恩恵や徳を譲り遺していくためにも、私は子どもたちのために人生を使っていきたいと思います。

 

 

洗練された伝統の美意識

以前、埼玉県にある小江戸川越を散策したことがあります。この小江戸とは「江戸との関わりの深い町」「江戸の風情を残す古い町並みを残している町」、「江戸のように栄えている」という意味で使われています。

特に印象的だったのは、鏡のように磨かれた黒漆喰が塗られた土蔵造りの古民家の街並みのかっこよい姿です。この小江戸川越で黒漆喰で塗られている壁を「江戸黒」と呼びます。

そもそもなぜ土蔵造りにしたのかというと、それだけ江戸では火事が多かったということです。これは江戸に限らず火事のあった街道筋では土蔵造りの古民家を多く見かけます。私の古民家甦生で手掛けている福岡の長崎街道の飯塚宿幸袋や日田街道の比良松も明治頃の火事によってほとんどが焼失し土蔵造りが多くあります。これもまた火事対策のためです。むかしは放水などがなく、木造住宅が火事になった場合は周りに燃え広がらないように風向きをみて周辺の家を壊すしかなく対策がありませんでした。土蔵にすれば、その家には燃え移ることもないので土蔵造りが増えたのです。蔵の原理と同じで、土は燃えないという理からです。

そしてこの小江戸川越もまた、明治36年の大火でほとんど焼失し今の土蔵のほとんどが明治36年以降に作られたといいます。通常なら白い漆喰で塗られるのですが、なぜ黒漆喰なのか、それは「渋さ」を愛した江戸っ子ならではの粋であったからだとも言います。

しかしこの黒漆喰は、通常の漆喰よりも高価で手間暇が非常にかかるため現代で黒漆喰で壁をやるというのは費用も含めほとんど不可能に近くなっています。この黒漆喰は菜種油を燃やして取った油煙を漆喰に混ぜて漉した「黒ノロ」と呼ばれる塗料をまずつくります。そして表面に塗り込んで仕上げていきます。そしてその漆喰を塗り終えた壁に薄く塗り表面が固まってきたら布で磨くという作業を行います。さらに岩石を粉状にした砥之粉(とのこ)を打ち素手で鏡のようなつやが出るまで徹底して磨くという非常に手間がかかる作業でつくるのです。

今でも輝き続ける江戸黒の美しさは熟練の伝統左官職人の技と時間が惜しみなく注ぎ込まれたものなのです。

この「粋」という言葉は、江戸時代に生じた言葉で江戸の美意識や心意気を指すものです。そこから身なりや振る舞いが洗練されていることを言いました。つまりシンプルに言えば、「洗練されたもの」ということでしょう。そしてそれを「渋い」と尊称したのです。

私もこの日本の黒が持つ、深い渋みや洗練された色合いが大好きで身の回りのほとんどに黒を用います。私が黒を愛する理由は、炭にはじまりましたが夜の闇に火を灯した漆黒の美しさやぬくもりに感動してからです。

今度は、そんなに古くない古民家を手掛けますが温故知新された伝統和モダンの民家を私なりに深めてみようと思います。