ご縁を伝える

先日から英国の方が聴福庵に来られ、暮らしを味わっていただいております。ひょっとすると私以上に、日本の文化や古いものに興味がある方ですべての道具や環境に感激され一つひとつを感受され喜んでいただいております。

奥様は日本人の方で英国から来日しすでに30年以上こちらで生活をされておられるそうですがその日本文化を学ぼうとする新鮮な感性に私自身が学ばせていただくことが大変多く、このタイミングのこのご縁に有難い気持ちになりました。せっかくの一期一会の旅の思い出にと、おくどの間の壁の竹炭貼りを体験していただきましたが私にとっても貴重な思い出になり、心が満たされる楽しい時間を過ごすことができました。

こうやって何かの足跡を残していただいたり、一緒に体験した感動の絆を深めて事あるごとに思い返せることが生きている仕合せを味わう一つの工夫になると私は思います。日々に忙しく過ぎていく毎日ですが、ご縁を感じ一つの思い出をそこに刻み、それを刻んだ方のことも忘れず、刻まれた方も時折楽しさと共に思い出す、その「美しい絆の思い出」によって心が穏やかに充たされていく。私たちは今の時代だからこそこのような心の豊かさを大切にしたいと思うのです。

またお別れのご挨拶に私から「ご縁」についての話をしました。しかしこの「ご縁」という言葉の英語訳が思いつかず、訳すこともできず、結局、どのように訳せばいいのかが整理できないままでした。

改めて日本語の持つ、哲学、思想、文化、歴史の奥深さを感じつつ、どのように異国の方々にそれを伝えようかと迷いました。そして一晩、深く考えてみるとこれらは言葉だけでは決して伝わらないことを知りました。つまりこれらの日本の言葉は、逆説ですが「言葉では伝えられないもの」だったのです。

それでは言葉では伝わらないものはどのように伝えるのか。

それは言葉ではなく、行動や実践、想いを形にして体験していただいたり、経験を語ったり、心を寄せて共感したりするときに伝わるものです。特に「ご縁」というものは、不思議で奇跡的なつながりや調和性や共時性、そして運命や道といった全体との接点の連続のような感覚のものです。

だからこそ、それを「具体的に一緒に感じ合えるような物語や出来事が対になっている」必要があるのです。それは、感じる側の心と、伝える側の心、つまり「以心伝心」によってのみ伝え合うということです。

言葉にはならないものをどう受け止めることができるかは、お互いに絆を磨き合い、学び合う同士でのみ自他一体の心の対話で語り合えるものです。

ご縁もそういうものであり、そのご縁をつなぐ人もまたこのご縁の生き方をしている人でありご縁が観えている人だから対話ができるのです。

子どもたちへの未来は、今のご縁が結ばれ発展していきます。だからこそ大切なご縁をすべて大切に味わい、そのどれもを愛して前進していきたいと思います。私のご縁で結ばれる未来の形を楽しみに心待ちを豊かにしていきたいと思います。

 

家の寿命

先日から木造中古住宅の甦生をはじめていますが、すでに間取りの問題などが出てきています。もともと建てる時に考えた住宅設計と現代に活用しようとするときの住宅状況では間取りが異なります。むかしの日本家屋のように、襖や障子で間仕切りされているのであればまだしもその後のリフォームなどで個々の部屋に分かれドアがつけられてしまうと使い道が急激に狭まってしまうものです。その場しのぎの住宅のツケがそのまま子孫に渡されていくのは家もまた同じです。

家を直すとき私がまず間取りの解体から入るのは、そもそもの家の暮らしから設計されておらず不便さの中にある「家の寿命」のこともよくよく考えてあげる必要があるからです。つまり家に住む人間だけではなく、家にもいのちがある存在として認め、家が長生きできるようにしてあげることが自分たちがそこに住む期間を安心して永くできるコツであると私は考えています。

平成19年の国土交通省白書で家のじみょうのい平均築後年数の国際比較が調査されています。そこには日本では30年、アメリカは55年、イギリス77年と書かれています。残念ながら日本の家の寿命の短さは先進国の中でもトップです。

ヨーロッパでは、むかしから昔ながらの家のままに親から子へ、そして孫へと受け継がれていくようになっています。パリの街はナポレオン三世が150年前に作った街並みと住宅がそのまま現在に至る基盤となり、そのままの形で残存しています。パリの家の平均築年数は150年です。日本でも、長崎街道をはじめ街道筋にある木造の古民家は築150年以上のものがたくさん建っています。しかし現在、お年寄りも施設に入りあまり住んでいるところがなく空き家になって廃墟と化しているところが増えています。本来の棟梁の魂の籠った立派な木造建築が、手入れされずにそのまま廃墟になっていくのは見ていて深い悲しみを覚えます。

日本の家の寿命が短い理由は、一つは戦後大量に建てられた大量生産大量消費の住宅の質がよくなかったことと、国の法定耐用年数が決められており、木造住宅なら20~22年で資産価値がなくなると判断されるため古くなると壊してまた新しく建てようと考える傾向があったこと。他にも、個人主義の歪んだ価値観が入ってきて、日本の家で暮らす価値観が変化してきたこと。便利で快適な生活を求めて都会に出てマンションやアパート暮らしをはじめて元に戻れなくなったもの。

もっとも大きな理由は、使い捨ての文化が当たり前になり欧米のように「家を長持ちさせよう」という意識が失われたことかもしれません。

しかし結論から言えば、日本の住宅の寿命は欧米に比べ短くなっており住居費の負担が増えるばかりです。そうなれば、子どもたちに譲り渡していく家がなくなればそれだけ住居費はかさみ、若いころの生活が厳しくなります。子どもができ育てていけば自ずから学費や生活費などの出費もかさみますから家は寿命が長い方が本来は価値が向上していくのです。

家の価値を高めるためには、暮らしの充実と家の修繕を続けていく必要があります。いつも綺麗に保つ工夫や、物が増えすぎない工夫、そのどれもむかしの人たちが実践てきた和の家の文化に残っています。

和の家を甦生させることが、現代でもむかしの家を復古起新し対応していくための方法です。引き続き、家を学び直しながら子どもたちに譲り遺していきたいものを甦生させ続けていきたいと思います。

 

 

恵比寿と福

長崎街道を往く所々に、恵比須様の石像がお祀りされていました。佐賀はなんと日本一の恵比寿像のある県で、2015年の調査では828体もありまだまだ増えているそうです。恵比寿様をお祀りする恵比寿信仰は、日本の古代からある土着信仰の一つです。

神話に登場するのは、一つは蛭子という説。もう一つは、事代主神という説です。私は後者の方にご縁があり、島根の美保神社に参拝の際に恵比須講によく私の苗字と同じ名前の人が多く参拝にこられていたと宿坊でお聴きし感動したことを覚えています。

この恵比寿講(えびすこう)は商売繁盛の神様である恵比寿神を祭る民間行事または秋祭りのことです。七福神の中で唯一の日本の神様であり商売繁盛だけでなく、漁村では豊漁をもたらす神に、そして農村ではかまどや田の神になっています。恵比寿講は毎年1月と10月の20日に行われます。なぜなら恵比寿神は、出雲大社に神様が集まるときの留守神であったとされています。大国主の息子の事代主神なら確かに留守役を任されてもおかしくないなと感じます。

古民家にあるおくどさんの土人形や石像なども大黒様と恵比寿様は一緒にお祀りされます。この二つは、親子だとしたら親子で対になっていることになります。国譲りを決め、それを託宣し二代で日本国に豊かさと福をもたらしたご先祖様という見方もできます。

大黒様(大国主)と、恵比寿様(事代主)は、五穀豊穣と商売繁盛の象徴として一緒にお祀りされています。きっと、むかしはこの二人のリーダーが日本国の安定した政治を実現させて平和な世の中をつくりあげてきたのではないかと感じます。

ちなみに恵比須様の釣り竿にはどのような意味があるのかを少し調べてみると、かつての国譲りの大切なシーンでこれを用います。この釣り竿の意味は「釣りして網せず」つまりは網で一気に魚を捕まえて後に残らないようにしない、これを商売に置き換えると暴利をむさぼって後に続かないような商売をしないという意味になっています。足るを知り、取り過ぎず儲けすぎずに、真心で正直に商売を続けていく姿を現しているそうです。

また鯛を持っているのは、鯛はむかしから「めでたい魚」ということで、鯛を商売繁盛、祝福の象徴とされています。それに足を曲げている姿も、足がもともと悪かった説と、サメに食べられた説がありますがどれもむかしの歴史事情が垣間見れるものです。海の神様、漁業の神様としての姿として狩衣や指貫や風折鳥帽子の姿でもあります。

由来を辿っていくことで、なぜその地域にその神様を祀ってきたのかが自明します。これはその子孫たちが先祖をお祀りし、子々孫々をいたるところで見守ってもらっていると感じたことを御姿にして日々の恩恵に感謝したのでしょう。

農業と漁業は、その当時から私たちの国を支えてきた産業です。その両方を大切に守り、育て、福を祝うというのが先人からの生き方であったのでしょう。歴史から学んだことを子どもたちに伝承していきたいと思います。

 

長崎街道3

昨日は、嬉野宿から塚崎宿、北方宿、小田宿、牛津宿、佐賀宿まで来ることができました。ここから数日は雨が続く予定で今回はここで一度、休憩をし次回また続きを行う予定です。

現在までで約120キロ、残りは約100キロを残すところですが実際に長崎街道を通ってみるとそのほどんどは開発され古い家がほんの少し残るばかりでほとんど面影がありません。長崎街道を半分まで来て振り返ってみると、その当時のままに残っているのは神社仏閣や石仏たちでした。

伊能忠敬が残したむかしの地図を見ていたら、今とはまったく風景が異なります。具体的に異なっているのは、西洋建築や近代住宅、また大型のチェーン店、舗装されつくした道路です。特に道路は、長崎街道の狭い道はところどころが閉鎖され隣に作られた国道を通るようにできています。国道に面した住宅は、人通りもない歩道があるだけで車の大きな騒音が響き迷惑を感じていることと思います。

かつては、長崎街道の細い路地を毎朝毎夕たくさんの人たちが往来して賑わっていたのがわかります。ほんの少しですが、閉店した店店の様子からそこで野菜や果物、また魚や肉などを軒先で販売していたのを感じます。近隣の農家や漁師、そのほかの職工や武士などが宿場町で買い物をしたのを想像したりできます。

明治頃まで街道には、庄屋や酒屋、廻船問屋や米問屋など大きな商家が並びその界隈はたくさんの人たちが盛んに行き来したのです。今ではその気配がかすかに建物の大きさから感じるくらいです。

街道を通りはっきりと主役が変わったのは人から車になったことです。旧街道は人が優先ですから車は危険ですからゆっくりしか走れず路地も狭くみんなで協力して車を通すしかありません。しかし国道の大きな道は、車優先ですから人は車の邪魔にならないように歩道を歩き、横断歩道も信号を待ってからでなければ進めません。

街道が廃れたもっとも大きな原因はこの何を優先するかが変わったことです。ここから将来は、人間の優先順位がますます下がり、人工知能やロボット優先となればさらに道は変化していくでしょう。

政治や経済が変われば道が変わります。道が変われば往来の速度や規模もスピードも変わっていきますが、人間の暮らしや生活もその道に大きな影響を受けてしまいます。地域を語るとき、この道の廃れているものが何かを見極めるのは大切なことです。

引き続き、長崎街道を辿りながら温故知新の智慧を子どもたちに伝えていきたいと思います。

等価交換できない存在~徳循環~

この世の中は、なんでも等価交換できるわけではありません。価値に見合ったそれ相応のものと交換するというのは、あくまで人間の狭い視野で行われるものです。例えば、この自然界でいのちを活かしているあらゆるものと同等のものを用意することはできません。

人間が水や空気、太陽の恵みや大地とどう等価交換するのか。いくらお金があっても、それをお金とは交換できません。人間が作り上げた価値と交換はできても、自然や宇宙などのすべては本来交換することができないものです。

何でも価値や価格でばかりにそのものを測ろうとし、損をしたとか得をしたとかいうのはとても料簡の狭いものです。そのものの価値は、そのものの本当の価値を見出せる人にはわかります。それはお金では測れず、世の中の常識でも量れません。

むかしからそのものの価値を知る人たちは、善を行い徳を積みました。それは等価交換できないことを知り、少しでもその恩恵に報いようと感謝を循環させていったからです。

この世の理として、私たちは自然の大きな恩徳によって生きることができそれが失われればこの世を去るしかありません。さも人間が自然を牛耳っているように錯覚したとしても一度の災害ですべてを失う可能性もあるのが自然の猛威です。

だからこそ謙虚に交換できないものの価値を認め、いくらそれが宗教だと揶揄されようと、妄信的だと馬鹿にされようと、そういった交換できない価値のために祈り、その恩恵をいただける存在に感謝しながら生きていくことで私たちは傲慢になるのを抑制しみんなで平和を築いていくのです。

大前提として、等価交換できない偉大な存在をどれだけ身近に感じているか。ただ感謝のみという存在にどれだけ報いているか。ここが何より私たちの社會の在り方や暮らしの根本と深くかかわっていることを忘れてはいけません。

子どもたちは生まれながらに、その価値の偉大さに気づいています。お父さんやお母さんの存在、自然の存在、あらゆるものへ感謝の気持ちで生きています。価値を測ったりすることもせず、ただその偉大な存在に甘え、偉大な存在と共生し、自分もその恩恵に報いるようにすくすくと成長をしていきます。

私たちの身近にいつも寄り添い、見守る存在はすべて「徳」です。この徳に貢献していこうとすることこそが「利子」を増やしていくことであり、その利子によって私たちはまた恩恵の一部に感謝というもので還元されていくことができるのです。

徳の循環の仕組みは、この価値を変換し無価値にし徳に還元することです。

子どもたちのためにも、このプロジェクト、覚悟をもってやり遂げたいと思います。

道徳元年

私たちの会社では、7年くらい前から「讃給」という取り組みをしています。これは給与明細とは別に、そのひと月でみんなで一緒に働く中で感謝を言葉にしてみんなで交換するという取り組みです。

なぜこれを始めたのかと思い返せば、単に給与は仕事との対価としてではなく天から頂いたものであるという認識。そしてそれは多くの方々の感謝の循環によって、自分もその一部の恩恵を受けることができているという事実、単にお金の価値では測れないものをもっと理解していこうとするために取り組んだように思います。

もう何年もやっていると、感謝の声をいただくことで自分が何で役にたっているのかがわかったり、みんながどのようなことを喜んでくれたか、そして自分もみんなにどのような感謝を感じているかが確認できます。

感謝が積みあがっていく安心感というものは、大きなもので人はどのようなつながり方をするのかでそのコミュニティの質も変化するように思います。

例えば、同志というコミュニティであったり、家族というコミュニティ、そして同じ趣味というコミュニティ、理念を共有するコミュニティ、その「つなぎ方」は様々にあります。単にお金を中心にしたつながりだけでは、お金の持っている価値のみのつながりになります。それを感謝というコミュニティを形成することで、新たな絆が生まれていくのです。

人は、それぞれに「何でつながるか」というものを持っています。私もスタートアップの時は、友人と起業したこともあり、お金を中心に給与が発生していくことで本来のつながり方とは別のつながり方で感謝がわからなくなって苦しんだことがあります。

損得や費用対効果などの等価交換の価値基準を持つお金が、どうしても全体の価値観に影響を与えてしまいます。私の場合は、理念や初心を決め目的を定めたことでお金は自分たちを助けてくれる一つの道具になりましたがそれが明確でなかった頃は何度もお金に左右されてしまいました。

お互いに喜び会うことや、お互いに幸せになることなど、人は一緒に暮らしていく中で感謝が中心になればなるほどに利他的な自己と出会います。人間の低次欲求で有名なマズローも自己超越欲求というものがあると言及しています。これは自己実現の過程で感じる「至高体験」という自我超越、自己忘却、無我、利害や二分法では測ることができない「利他」(自他一体の歓び」のようなものを感じることができるというのです。これを私は徳を積むという言い方をします。

理念や初心が確かに自分のものになればなるほどに、生き方だけなく働き方も大きく変化していきます。そして生き方が変わり働き方が変わった人は、徳を積むための仕事に取り組み始めます。

それは費用対効果とかでもなく、損得利害などでもなく、子どもたちのために徳を積もうとするのです。自分がそうされてきて今があるように、自分も子どもたちに同じようにつないでいこうとする真心。

まさに、自分を活かしてくださっているものへの感謝への恩返しをはじめるのです。それは単にお金では片づけることはできず、文化伝承や奉仕、恩の循環を通して行われるのです。

私が3年前から開催した恩袋会というものも、溜まった恩の袋から徳をひろげようとする取り組みの一つです。

時代の変わり目に、新しい経済がはじまります。その新しい経済はいいかえれば、新しい道徳のはじまりです。そういう意味で、令和元年は道徳元年でもあります。引き続き、自分の使命を全うしていきたいと思います。

自立の原点

人間には、体と心があります。最近は脳科学が進んだことで、この体と心のつながっている場所のことを脳の変化を見て様々な角度から分析することができるようになりました。例えば、脳内物質の何かが出ているとき、心身にどのような影響があるかということを計測することができるような感じです。

実際には、根拠がないといわれても心と体が休まるとき、居心地がよいとき、私たちは穏やかでしあわせな感覚を得ることができます。それは例えば、美しい自然に触れた時や仲のよい人たちと結ばれている時、楽しい食事や安らかな眠りの時なども私たちはその穏やかでしあわせな感覚を得るのです。

私たちの思う「時」というものの中には、様々な記憶や感覚が同居しています。いい時も悪い時も、大変な時も穏やかな時も、この時の中に混然一体として心も体も深くかかわっています。

どのような時を過ごすのか、そしてその時にどのような意味をつけていくのか。

一度しかない人生の時の中で、居心地がよい人生を歩むためには自分を知る必要があります。どんな時がしあわせなのか、どんな時が楽しいのか、もっと自分に正直に自分を喜ばせることで自分のことをより深く実感できるようになります。

周囲をみては自分を我慢したり、周りの常識に振り回されて自分を歪ませてしまうと、しあわせや楽しいことまでわからなくなっていきます。一度しかない人生の中で、自分を中心に据えて生きていくことが自立の原点のように思います。

しあわせや楽しいを感じられる環境、心も安らぎ、体も寛ぐ、脳も活性化する、このような安心安全な暮らしを体験していくことで自立はさらに豊かに充実していきます。

引き続き、豊かな暮らしを自立の原点として子どもたちに譲っていきたいと思います。

教育の定義

先日、ある会議で千代田区立麹町中学校にユニークな校長先生がいることを知りました。名前は工藤勇一さんといいますが具体的にには、公立の中学校ながら宿題を廃止、定期テストの廃止、クラス担任の廃止を行いました。

なぜ公立の中学校でもそんなことができるのかと疑問に思う人も多いかもしれません。これまでの前例主義の常識が変革するというのは、並大抵のことではありません。

そもそも公立か私立かを前に、何のために子どもは学ぶのか、そこから目的を再定義し、学校をリ・デザインされたといいます。「何のために学校があるのか。私の答えはシンプルです。子どもたちが社会の中で生きていくためだ」と。

そして工藤さんはこのリ・デザインの具体的なイメージを周囲にわかりやすく理解してもらうために「現代の寺小屋」という言い方をしておられます。なぜなら寺小屋で社会を学び、そのまま社会に出て活躍するための真の教育が行われていたからだといいます。寺小屋では、先生が教えるというものを教育とは呼んでおらず子ども同士の学び合いこそを教育と定義していたと書かれているものもあったそうです。

本来、教育の定義を何にしているかで教育の手段も変わります。

そもそも教育の定義は、私にとっては社會のことです。現代の教育の定義は、個の学識のようになっていますが時代は進み、人工知能がこれから登場しますからますそれは意味のないものになっていきます。

そんな中、人間のもっとも得意な能力でこれから必要になるのは社會の中で協働し協力していくスキルになることが予想されます。チームで働き、支え助け合い、お互いを律しながら理念を優先して大きな目的を実現する力です。

個がバラバラで、自分の好き勝手なことばかりを要求し他を認めずに自分の権利と主張ばかりを押し通していてもチームになることはありません。自他を認めるためには、お互いに学び合い目的のために協力して互いに成長し仲間とよりよい社會を創造していく必要があります。つまり社會の中でどう生きていくかという「生き方と働き方」を身につけさせること、なぜなら生き方が働き方で働き方が生き方になりそれが社會で生きる力になるからです。

さらに対話を通して、多様性を認めることも社會を一円融合するために必要です。お互いの違いを尊重しながらも、本来の目的のためにそれぞれが学び合い折り合いをつけ居心地善いつながりを構築してく。つまり世界を平和にし、社會をよりよく発展させていくためのダイバーシティは必要なのです。

つまりこれからの生きる力を何と定義するか、これが明確であれば教育の定義は根底から変わります。時代時代に子どもたちが何の力が求められているか、それを予測して環境を見守るのが本来の教師の役割ではないかと私は思います。

私たちも社會の一員として、自分たちのなすべきことに専念していきたいと思います。

グローバルリーダー

昨日、米国に本社を置くマッキンゼー・アンド・カンパニーでコンサルティングを経験し、医師でもありながら企業経営をされておられる方とのご縁がありました。

このマッキンゼー・アンド・カンパニーとはそもそも何かといえば、シカゴ大学の会計学教授だったジェームズ・マッキンゼー氏が、会計や財務に力点を置いたコンサルファームを1926年に設立しました。その後、1933年に入社した弁護士出身のマービン・バウワー氏が大企業の戦略策定に比重を置くスタイルを確立し、60年以上にわたってマッキンゼーをグローバル企業に成長させました。現在では米国、欧州、アジア、南米、東欧など世界60カ国に105以上の支社を持つグローバルな戦略系コンサルティングファームとして君臨し全世界の主要企業を対象に、年間1,600件以上のコンサルティング・プロジェクトを手掛けている企業です。

最近は、グローバルリーダーという言葉もよくきくことが増えてきました。このグローバルリーダーとは、国や地域、文化を跨ぐような多様性のある環境で、ビジネスリーダーとして活躍できる人材のことを指しています。つまりは、グローバル化した世界において世界の方々と共に活躍できるような世界的リーダーの一員ということです。

マッキンゼー出身の日本人の経営者に大前研一さんがいます。その方の言葉には、このグローバルリーダーの資質を語っておられるように思います。そのいくつかをご紹介します。

「国に頼らず、会社にも頼らず、日々勉強を続けることで、自分の「名札」にいかにして「値札」を付けるかを常に考えて働くこと。それこそが真の働き方改革であり、そういう人材はいつ、世界のどこへ行っても活躍し続けることができるだろう。」

「ロジカル・シンキングは、答えの範囲を取捨選択して狭めていくときには有効だが、それでは発想は広がらない。誰も気づかないような答えを出すときにものをいうのは、想像力や直感だ。」

「問題はあらかじめ模範回答があると信じて、それを見つけると問題は解決したと安心してしまう。しかし、こういう頭の使い方はまったく役に立たない。なぜなら、21世紀の問題の答えはひとつではないからだ。」

「コンサルティングでも、複数のコンサルタントを雇っている会社の仕事はしないことにしている。それから、「ウチの会社はこういうことがやりたいので、A社さん、B社さん、C社さん、提案書と見積書を出してください」という入札仕事も絶対にやらない。「大前さんしかいない」と言ってくれなければ、考え始めない。自分の人生の大切な時間を割いて、相手のために命がけで考える神聖な仕事である。量販店の売り物ではない。」

「私のコンサルティングの基本は「自分が社長だったらどうするか」である。現場に足しげく通って綿密なフィールドインタビューを繰り返し、経営トップが知りえないような情報をかき集めて、問題点の背景にある原因のさらにまたその原因や課題を炎り出していく。そして自分が経営トップならどう対処するかを客観的に判断して、具体的でわかりやすい提言をひとつにまとめていく。そうやって経営者にアドバイスすれば、私も経営者もお互い悔いが残らない。結果として、そのアドバイスが間違っていたとしても、「あなたは本当に私のために、私に代わっていろいろ考えてくれた。私もそれに基づいて決断した」と相手側も納得してくれるからだ。」

他にもありますが、世界で共通する一流のビジネスマンたちは常に同じ土俵で物事を語っておられます。最後に、グローバルリーダーに関する大前研一さんの言葉です。

「グローバルリーダーといっても、スタイルは決して同じではない。だが、共通点もある。それはものごとの本質を見抜き、答えを自分で考え出せるというところだ。」

答えを自分で考えだすということは、オリジナルであるということです。そのオリジナルとはまさに変人であるとも言えます。坂本竜馬も、吉田松陰も、歴史上に現れるすべての時代のリーダー(変革者)たちはすべてオリジナルそのものでした。

子どもたちが安心して自分を全うできるようグローバルリーダーから学び、オリジナリティの追求を楽しんでいきたいと思います。

岐路

国連から提案された「SDGs」というものがあります。
このSDGs「SustainableDevelopment Goals(持続可能な開発目標)」の頭文字を取った言葉で、2015年9月の国連総会(連加盟国193国)で採択された具体的行動指針のことです。すでに2001年に策定されたミレニアム開発目標(Millennium Development Goals:MDGs)の後継として国連で定められ2016年から2030年までの国際目標として認知されています。具体的な行動指針は、17のグローバル目標と169のターゲットからなり、飢餓、貧困、気候変動の進行、生物多様性の劣化などすぐにでも解決したいと思われる項目が入っています。
日本政府も「SDGs NOW! 17 Goals to Transform Our World」の動画で告知を展開しています。17の項目と169のターゲットは、総務省のサイトからPDFをダウンロードできます。この共通のキーワードの「持続可能」というものが何度も提言されるのは、言い換えれば近い未来に持続不可能な社会が訪れようとしているということです。
持続不可能な社会とは、では何かということです。それは人間がこの地球上で生活することができなくなるということでしょう。その理由は様々にありますがもっとも大きな原因は、自然と人間が乖離している世の中にしているからだと私は思います。
そもそも人間も自然の一部であり、自然物です。その自然物であったはずの人間が、人工物を創り上げ自然から乖離した都市というものを形成しました。そしてその都市というものを、自分たちの中で快適な仮想空間にしそこに消費を通して資金が流通するような仕組みを構築しました。都市の中で行われていることが自然とは別物ですから、その都市に運び込まれる様々なものは自然を搾取したものになります。
大量に生産し、大量に消費する、そこで都市を機能させますから消費されて捨てられていく自然の破壊の量が明らかに自然が創造するスピードを超えたとき持続は不可能になります。
自然の利子で暮らしていた時代から、自然へ借金して暮らす時代へと移ったことが今の持続不可能な社会を実現させてしまいました。しかし人間の欲望は果てしなく、自転車操業のように走り出したら止まれない今の世の中で如何に方向を転換しようかとそれぞれの人たちがそれぞれの場所で向き合っています。
自然と共生していた時代の懐かしさは、今のグローバリゼーションの波の中で消えかけているように感じます。もはや、このまま人類は滅亡に向かっていくのか、それともここで自然に帰るのか。もしくは第3の自然と共生する世の中にするのか。それは現代の世代の一つの大きな使命であることは間違いありません。

だからこそ、私たちは何をもって自然と共生するというのか。そしてどのような暮らしが自然を尊重して自らを立てることになるのか。
人類の自立に向けて、みんなで協力し合ってその答えを生きていくために挑戦を続ける必要があるのです。

子どもたちが100年後も1000年後も安心して、楽しく豊かに生きていくことができる社會を遺してあげたいとみんなそう思うはずです。
手と手を取り合い、子どもたちのために協力していきたいと思います。