現代の教育というものは、優劣があります。知識が豊富で権威があるところが、資格を出しその資格が社会の中での自分の基準になっていたりします。そもそも教育とは何か、もしも権威などがなければ何が教育なのかという定義も異なります。
すでに職業としての教育者が当たり前になり、それを仕事にしてお金を稼いでいます。教育費用は、大変高額で誰でもお支払いすることはできません。奨学金という名の借金をしては教育を受けています。この時の教育は、技能に集中しています。
例えば、助け合いや道徳ということを學ぶのに高額な教育費はかかりません。そしてそれを実践し実行する人も徳のために行うために見返りも求めません。しかしこれを現代では教育とは呼びません。職業にもならず、資格もないからです。
私はこう感じます。
そもそも人間は自然環境の中で数億年以上、生き延びてきた生物ですからそれだけ厳しい自然のなかでも助け合って暮らしてきました。その時の人間は、知識はあまりなくても人間性は調っていたように思います。縄文時代の遺跡から争った気配がないこともまた、助け合う風土が醸成されていたのを感じます。
現代においては、歪んだ個人主義やマッチポンプ商法、利権やよくない政治ばかりが横行している環境においてはかつてのような人間性が発揮されにくい状況です。そんな中、教育もビジネスになり教育者も職業教育者です。みんなお金のために働いていたら、教育もまたお金のためになります。
本来、このような現代のような状況下においては私たちは教育の定義から見つめ直す必要を感じます。人間が生き延びるための智慧、そしてこれからどのようにして生き延びるか。
それはお金をたくさん稼ぐ方法を教えるのではなく、やっぱり人間性に原点回帰することではないかと思います。思いやり助け合い、見守り合う。共生し、尊重し、分け合い存在そのものを丸ごと愛し合う。自然から学び、自然の循環と共に暮らしを長く豊かにして仕合せを追及していくということ。
そういうものが今の時代では真の教育になりうるものだと直観するのです。
優劣は競争から、そして権威や権力は欲望から発生します。
子どもたちや子孫のためにも、悠久の時間軸のなかで普遍的な教育を伝承していきたいと思います。
