過信とは

人は実力以上のことを思い込むことを過信ともいいます。この過信の正体とはどういうものか。それは事実やあるがままの現実を歪めることを言うように思います。つまりは自分の思い込みというものです。

ある事情があったとき、例えばそれを真心を盡して奇跡が発生したとします。その奇跡は自分の実力ではなく、ある意味、尽力して他力が入って偶然に自分の思い通り以上の結果が出たとします。それを自分の力だとどこか思い込んでしまうところに過信があるのです。

そもそも過信というのは油断を産みます。油断=過信ということです。過信しないという言葉は、油断しないということです。自信と過信は異なります。自信は、どういう結果になっても自分を信じるというものであり過信は自分の思い込みによって信じているものです。

思い込みによって信じることを他人は慢心と呼びます。自分というものを何か別の何かのように誇張していく、あるいは特別の存在のように思いこむ。自分を本来の存在よりも過剰に意識することによって過信が生まれます。自信過剰という言葉もあります。

思い込まないためにどうすればいいか、そこに謙虚さというものがあります。思い込みではなく、あるがままを聴く素直さ。もっと言えば、心の穢れを洗い清めて常に澄んだ気持ちでいること。その状態になると、人は謙虚でいられるように私は思います。

謙虚さがないというのは、何かそこに別の穢れがこびりついているということです。

時代が変わっても、人間の本質は変わりません。生き方を常に見直し、よく見つめ、精進していきたいと思います。

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