ふるさとの宝

私たちの暮らしている場所にはそれぞれに固有の風土があります。この風土とは、その地域の自然環境のことです。しかしその自然の中には、単なる気候や土や環境のようなものとは別にその地域の人々の気質や生活文化、そして醸成されてきた性格を含めて様々なものが混淆しています。これらを括って風土ともいいます。

その風土が生んだものの一つに特産品というものがあります。これはその地域でしかできない、その地域固有の個性です。食文化などもその影響を大きく受けています。私たちが観光である地域を訪れ、その地域の素晴らしさを実感するときにその地域の特産品をその場所で食べると驚くほどに美味しく感じ、その地域の魅力に深く魅了されます。

私もかつて旅行でその地域の特産品を食べて感動して、それを持ち帰ったり東京で食べたりしましたがあまりその時のような感動がありませんでした。その「風土の中で」というのが最も重要だったことがわかります。風土には、人物空間、歴史や伝統などありとあらゆるものが混然一体になっているということでそれを深く味わえるのです。

この特産品の「特」というのは、特別の特のことです。この「特」の字はもともと古代中国の象形文字です。元々は牛に関する特別な印を示す意味で、牛をさしていたとされています。それだけ他とは異なる最も優れたものが牛だったということでしょう。特許や特有などといってむかしから大切なものの総称としても使われます。

そしてこの特産品は辞書で引くと「ある特定の国や地域でのみ生産 されたり、収穫 される物品のことでその地域を代表しその土地の気候風土を生かした物品のこと」とあります。

似た言葉に名品、名産品というものがあります。これは「その土地でしか作られないわけではない」ものです。その地域で売れていたり有名なものが名産品です。

しかし不思議なことにこれだけ重要な名産や特産の違いはあまり気にされず、言葉の意味や使い分けの部分は曖昧なままに偽物が年々増えているように思います。産地偽装や原材料の不透明化、さらには加工している時に大量の化学添加物を入れたりその土地の人や道具、あるいはプロセスなども無視したものでもまるで本物のように出回ります。世間では原材料も一部は違っても100パーセントと言っていいとかの規制緩和があったりして?ですし、他にも色々と調べれはきりがないほど「グレーゾーン」な部分が増えるのが当たり前で世の中は誤魔化しばかりです。それこそDAOの技術であるブロックチェーン技術も今は偽装を防ぐためばかりに使われています。

海外ではブランド品が模倣され様々な問題になっています。信じて買ってみたら、実際には偽装されたものだったとなれば売る方も買う方も悲しい気持ちになります。そうならないようにと、色々と対策を立ててはいますが売り買いする方も見た目ばかりを誤魔化して販売してきたことで、本物を見分ける力も失われているものです。

例えば、食に関する特産品であれば生産から加工販売まで全てを正直に自分で取り組んでいる人は偽装はしません。首尾一貫して本物にこだわり、伝統文化を守り風土と共に生きる人は偽装できません。それを「現場に見に行けば」すぐに本物かどうかは見分けがつきます。ただ、儲けに目が眩んで正直に取り組まなくなれば品質は下がります。

農業であれば、農薬や肥料をつかい機械化し大量生産をし種を改良しとすれば本来の風土の味が劣化していきます。加工でも便利なものを使い時短をし添加物などで誤魔化せば味が劣化します。また販売する方も、見た目ばかりで消費者が買いそうなものにデザインし流通にのるように価格をコントロールすることでさらに味が劣化します。

つまり正直に取り組まないから味が劣化するわけで、正直に取り組んでいれば味はその風土を体現するような本物の磨かれた味わいが出てきます。味に出るから本来は誤魔化せないはずなのですが、味を目や脳みその思い込みで食べている時代はなかなか本物を見分ける本能や感性も劣化してしまうものです。

話を戻せば、特産品というものは本来は「ふるさとの宝」です。このふるさとの宝をどう甦生して、そのふるさとの魅力を開発していくかはその志事に関わる人たちの大切な使命であるはずです。

それに気づいている人たちが地域の宝を守り、その宝を守る時にブランド化するということでしょう。みんなで守ろうとしなければブランドはできません。まず何が地域の宝なのか、そしてその宝をどう守るのか、それが将来の子どもたちや子孫へ何を譲り遺せるかにかかってきます。私が取り組む古民家甦生もですが、現在の消費優先の利益吸い上げ型の仕組みに気づき宝を磨いて守っていくような経世済民型の仕組みに転換していく必要性を感じています。

核心は常にこの宝を何にするかにかかっています。

引き続き、人類の本当の宝を磨いていきたいと思います。

自學自悟

懐徳堂に学んだ人物に富永仲基という人物がいます。この方は、今でいう兵庫県、摂津尼崎の人で幼少より懐徳 堂に入り醬油醸造業を営みながらも三宅石庵に陽明学を学びます。陽明学は、知行合一の実践を重視する學問です。そし仏教・神道をも学び、のちに儒・仏・神のいずれも否定し「誠の道」を求めることを著書で主唱しました。

これが今でも大勢の思想家や哲学者、宗教家に影響を与え続けていると言います。

まさに生き方は、學を志、孤高を歩む独創的な人です。夭折されたこの天才が世の中に今知られるのは、一つは弟の富永定堅を中心に兄の遺志や著書を守ったからかもしれません。

これは私の解釈ですがそもそも學問は権威のためにあるのではなく、本来は自己の内面を磨くためにあるとすれば経典をはじめあらゆるものに派生した分派や派閥などは本来の誠の道ではないというのでしょう。

そして最初にはじまった道、つまり真心の人は決して経典に書こうなどしていない。経典や文章にしたのはその口伝だったものを弟子たち及び周囲が聞き取りそれを明記し、それが次第に権威になって信仰の対象のようになっていったということ。

それがどのようになっていったのかを学問的に分析して明記したという意味では、本来の歴史をどのように人間が改ざんしていくのかを解釈したものとも言えます。

そもそも歴史というものも、普遍的な中庸の道ではなく誰かが時代時代に価値観や文化を改修して都合のよいものに変化してきたものです。その時の権威によって内容はコロコロと変えられます。言葉や文字も同様に、同じ言葉や文字を使っても意味は全く異なります。

今でもこの富永仲基が天才や独創と呼ばれる理由の一つは、世の中の権威や当然の価値観を否定しているからでしょう。學問において自由にどこまで話していいのか、その本当のことを語れば抹殺されたり永久に資格をはく奪され追放されたりするのがほとんどです。そういう意味で、世の中に真実というのは出回りません。出るときは、利用されたり敢えて極端な説を引き立たせるために使えるところだけを抜きとって改ざんするときです。

富永仲基が語る誠の道とは何だったのか、これは私のかんながらの道と同じではないかと直観します。

最後に富永仲基の言葉で締めくくります。

「善をすれば則ち順、悪をすれば則ち逆、これ天地自然の理、もとより儒仏の教えに待たず」(「出定後語」)

最初からある存在、そもそも誰かが手を加えなくてもいい真理、教えなどなくてもこの世にはそれがあり、この智慧こそが學の道ではないかと話しているように私は感じます。暮らしフルネスもまた、同様に智慧を場に投影して先入観なく中庸に学ぶ実践です。

教えから入るのではなく、自學自悟することが道であるということでしょう。自由な學問を実践していた懐徳堂で幼少期から純粋に学んだからこそこの数々の著作につながったような気がしています。

刷り込みや先入観などすべてを取り払い、私も自分の眼で感じたことを実践していきたいと思います。

独創の生き方

三浦梅園先生の影響を大きく受けた人物に1949年に日本で初めてノーベル賞を受賞した物理学者で中間子理論を生み出した湯川秀樹先生がいます。その湯川先生は「もし梅園に出会わなかったら、私はノーベル賞をもらえなかっただろう」とも話をしています。

では出会って何に気づいたのかということになります。それは一つは、常識という枠外にあるもの、もっといえは刷り込みのまったくないそのものから学んで気づいたという學問への在り方やそのうえで本当のことを恐れずに追及していくことではないかと私は思います。

その湯川先生はこうもいいます。

「独創的なものははじめは少数派。多数というものは独創ではない」とも。

現代の世の中では多数派が力を持ちます。多数派は、人気がありお金も仕事もたくさん得られます。そして周囲からも評判を得られます。独創の対義語は模倣ともいいます。誰かの知識で理解するということでしょう。自分が自ら悟って得た知識ではなく、誰かの知識を模倣して標準化した人が現代ではオリジナルとも言われたりします。

そもそも独創的な人は周囲から理解できません。周囲できないから独創的ともいわれます。何を言っているのかわからないともいえます。それが多数派になったときはもはや独創ではないということです。

それだけ自分で學問を探求する人は、周囲には理解されません。しかし今の勉強ではそんな独創的なもの、言い換えれば独りよがりのものは予算もつきませんし、世間の評価というものもありません。そんなことをさせてもらえる環境はないとも言えます。

なのでいつの時代も独創的な人は、自力で執念深く自らの力を頼りに探求していきます。それがある時、世間に知られてしまえばそこからは膨大な予算や評価もつくのでしょう。

しかし最初は一人からはじまります。そういうものが発明であり、そういうものが変革ということになります。つまり世の中を変えてしまう独創性は、そのはじめの独創的な人からはじまるということです。

これをニーチェはこうもいいます。

「何か新しいものを初めて観察することではなく、古いもの、古くから知られていたもの、あるいは誰の目にもふれていたが見逃されていたものを、新しいもののように観察することが、真に独創的な頭脳の証拠である」

いわゆる先入観もなく、自学自悟するということです。自分で悟るために自分で学ぶというようにすでに学び方が世間一般と逆転しているのです。もっと具体的に言えば、先に答えを生きているのです。これは自然観であり、宇宙観であり、発明する人たちほど持っている素養です。

そしてこうもいいます。

「世論と共に考えるような人は、自分で目隠しをし、自分で耳に栓をしているのである。」

また「たくさんのことを生半可に知っているよりは、何も知らないほうがよい。」とも。

そして「孤独な者よ、君は創造者の道を往く」と。

独創という生き方こそ、本来の創造であるということでしょう。独創というのは、その言葉の通り独りで創りあげるということです。

私も色々なことに挑戦していますが引き続き、独創の生き方を貫いていきたいと思います。

先人たちの御恩

昨日は、国東半島にある三浦梅園先生と帆足万里先生のお墓参りをしてきました。三浦梅園先生は、昨年冬の生誕300周年記念イベントの深い學びに感謝の御礼をしてきました。旧宅でもご位牌にお経をあげて懐かしい時間を過ごすことができました。三浦梅園先生は、ご両親をはじめご先祖様をとても大切になさったと言われます。

実父の死後には三浦家一統の墓石を一ヶ所に集め、一日三度の墓参を欠かさず老齢に至ってからも一日二度の墓参は亡くなる数日前まで続いたといわれます。長男の黄鶴が「死に仕ふることかくのごとし。生に仕ふること、知るべし」とその生きざまを残しています。

これは列子にある「生を視ること死の如し」とも似ています。生死は自然の一部として分けずに超越しどれも天命や宇宙の流れの一部として身を任せるという生きる態度のことです。

そもそもこの世にある元氣や空氣などという氣というもの、目には観えませんが確かに存在します。また霊魂などといわれ、意識、念というものも眼には観えませんが確かに存在します。どれもこれも自然ということで、万物は常に一体善として存在するのだからそのすべてに仕えるということでしょう。

常に分けないで当たり前の暮らしを丁寧に実践しておられた三浦梅園先生は亡くなった今でも私の恩師です。その先生の言葉に、「学問は飯と心得べし、腹にあくがためなり。掛物のやうに、人に見せんずるためにはあらず」とあります。

このブログもですが、誰かに見せたり名誉や地位や金銭のためにするのではなく日々の丁寧に滋味を食べていく御飯のように學問をすることへの態度を語られます。常に日々の生き方が學そのものということでしょう。

また現代でもメディアを賑わしている人たちにも似ているのかもしれませんが「学文は臭きなのやうなり。とくと臭味を去らば用ひがたし、少し書を読めば学者臭し、余計書を読めば余計学者臭し、こまりしものなり。」ともいいます。

これは三浦梅園先生に学んだお弟子さんの一人に脇蘭室先生があります。この方が、「學問の道は知ると行うにあり。必ずよく知り、よく行うこと」と常に自他を戒めていました。また自分を愚山とも名づけこういいます、「この山は土は浅くてよい木材を育てることができず、勢いもなく雲を生み雨を降らすこともできない。したがって誰にも振り返って見られることのない山、私はこの山に似ているので愚山と名乗ることにした」と。學は志を遜にするにありの実践です。

學を志す姿勢や態度は今の時代はどうなっているのでしょうか。親孝行をし、家という社會をどのように治めていくか。畢竟、世界の紛争や欲望で大衆がどうしようもないところまで追い詰められる前に如何に未然に調えて守ろうかと考えたとき、そこには教育しかないことに氣づきます。學問は、人のためにあるのでしょう。そしてそれは謙虚に、真心の実践を積さかねていくことで徳を醸成していくことが一番の道です。

また帆足万里先生は、その脇蘭室より学びます。一生涯、恩師として慕ったことがわかります。その帆足万里先生も自らを愚亭と名乗ります。私塾の西崦精舎(せいえんせいしゃ)では弟子たちの善いところを見抜き、それを活かすために一緒に學を深めたといいます。外科医に向いている弟子がいれば、自分が外科のことを學び導き、オランダ語も40歳から学び、弟子たちを導きました。ここでも知るだけではなく行うことを重視した生き方が観えます。

時代が変わっても、學問の態度や本質は普遍的で変わることはありません。人格を磨き上げて謙虚に真摯に取り組んだ先人たちの背中を見ては恥ずかしい思いがします。自分はどこまで知った気になっているのか、自分を省みると本当はどれだけ実践で気づいて語っているかと思うととても残念な思いもします。まだまだはじまったばかりの學問を定期的に報告していますが謙虚にありのままのことを伝えていきたいと思います。

先人たちの生き方が私たちの今を照らします。心からご冥福をお祈りし、志を継いでいきたいと思います。

徳積帳のヒント

江戸時代における日本最大の私塾に日田の咸宜園があります。これは豊後の三賢人の一人、廣瀬淡窓が開いた私塾です。三賢人は他には、梅園塾の三浦梅園、西崦精舎の帆足万里があります。それぞれ独創的で本質的な教育者で和の系譜を伝承されています。

廣瀬淡窓は、敬天思想の実践者で「万善簿」をつけて善に取り組みました。これは毎日善を積めれば白丸、そうではなければ黒丸、毎月集計して白丸を増やしていき一万の善を積むというものです。この善は、別の言葉では徳ともいいます。毎日徳を積んで、一万回ということでしょう。日々の暮らしを善や徳を意識して実践するというところに、この咸宜園の理念を感じます。

咸宜園の「咸宜(かんぎ)」は中国の詩集「詩経」の言葉fr「ことごとくよろし」という意味になります。これは徳を活かすという意味とも言えます。また実際には身分、学歴、性別を問わず誰でもどんな人でも入塾ができるという三奪法(さんだつほう)」というものを定めます。年齢や地位や職業など問わないで人間本来の學問を一緒に取り組むということでしょう。

むかしの私塾の創設者や學問を立てた人たちは、その人格のすごさや内容の素晴らしさにいつも感銘を受けます。これは伝統技術や伝統工芸でもむかしの人たちのつくり上げたものに現代の人たちが叶わないのと同じです。それだけ人格が磨きあげられ、暮らしが丁寧であったことが想像できます。

廣瀬淡窓は、學問への姿勢として「淡窓詩話」の中でこういうこともいいます。

「天下ニ廣ク流行スル説ハ。其説必ス浅近(せんきん)ニシテ一偏(いっぺん)ナリ。如此(かくのごとく)ナラザレバ。中下等(ちゅうかとう)ノ人ヲ引キ入ルゝコト能(あた)ハズ。予ガ如キ漠然タル説ハ。迚(とて)モ人ノ耳ニ入ラズ。是亦子莫カ中ヲ執リテ權ナキノ類ナルベシト。自ラ一笑シテ止ミヌ。」

意訳ですが、「天下に流行している学問の極端な説は、浅はかで偏っているから人気があってすぐにうける。しかしそういう俗うけするものはそういう浅はかな人たちがばかりが集まってくるものだ。自分のいうような当たり前の説は、ほとんど広がらないし俗うけしないし目立つこともない。これは中庸であるからで、極端ではないからであると。いつも笑って受け流している」と。

これは現代の珍しい著書やニュースや偉い人たちが極端なことをいってテレビなどで注目されて人気が出ているのを見てもよくわかります。みんな新しい説や極端な説ばかりを探して、メディアはそれを取り上げては情報ビジネスで儲けています。しかし、本来の中庸とは「あたりまえ」のものです。それは空気や水や光などの自然の道、あるいは暮らしという生活と意識であったりもします。

私も日頃から話していて世間からみるとそんなの知っているということを何度も地味に伝えています。しかし知っているだけで実際にやっていないのならそれは知っているとは言わないものです。知りたがりが増え、知ることが目的になってしまえば、あたりまえの本質的な意識を改革するような暮らしは遠ざかる一方です。一人の暮らしが変われば世界が変わるといっても、今は10億人が変わることの方が変わったという時代です。

本当のことを學ぶは、人の教育の理由と本質であり、人格を磨くことにおいてはまず「あたりまえ」から共に學び直しはじめましょうということかもしれません。それは古今問わず誰にでもある普遍的な「暮らし(生活)」からということでしょう。むかしの私塾が全寮制であったり、共に師弟で薫風するのを見つめているとその本質を感じます。

私もこの場で暮らしフルネスを実践していますが、引き続きあたりまえのことを丁寧に取り組み徳を積んでいきたいと思います。

夜明け前の鐘

盂蘭盆会の期間は、私がご縁の深い場所のご供養をして過ごしています。むかしから毎年続けている場所、そして新たに加わった場所、減ることはなく増えていく一方ですからその豊かさも増えていることになります。

また親友の初盆にも参列してきました。両親ともお話をして彼を偲びましたが47年の生涯でしたが彼にとって長かったのか短かったのか、彼にしかわかりません。よく怪我をしたもので、体質的な病気も抱えていました。好きなことをした人生というよりは、親孝行をしていた人生だったようにも思います。私のことを心から応援してくれて何があっても味方になってくれていました。彼の妹に子どもができて、家族にまた光があったとお聴きしました。人は生まれ変わり、希望と共に前に進みます。

私ももう48歳、夢のような人生はあと残された時間はどれくらいあるのか。勝手に人生の後半だと思っていますが実は終盤だったりすることもあります。尊敬する先達や恩師、同志のように私も天命天寿を生き切りたいと願っています。

王陽明の48歳の時の詩に「睡起偶成」というものがあります。

「四十餘年睡夢中 而今醒眼始朦朧 不知日已過亭午 起向高樓撞曉鐘」(四十余年睡夢の中 いま醒眼始めて朦朧(もうろう)知らず日すでに亭午を過ぐるを 起って高楼に向んで暁鐘を撞く )

意訳ですが、「私はこの四十数年夢の中で朦朧として過ごしてきた。ようやく覚醒したらもう正午を過ぎていた。これから起きてすぐに高楼に鐘を鳴らしにいくぞ。」と。

人間は、常識や思い込みや刷り込み、時代の大衆の価値観や所属する国家や政治、比較や競争などの環境によってほとんどの人生を目の前に追われて目覚めることなく毎日を過ごしては本当のことや真実に気付かないままに人生を終えてしまうものです。

夢のようなあっという間の人生なのです。

しかし、ある時、本当はこうではなかったと気づくときに人生が目覚めます。本当は何をしにこの世に来たのか、何が自分の使命なのかと目覚めてしまうのです。

朦朧とした夢うつつの日常から志に覚めるのです。

王陽明は詩の続きにこういいます。

「起向高楼撞暁鐘 尚多昏睡正懵懵 縦令日暮醒猶得 不信人閒耳盡聾」(起きて高楼に向かい暁鐘を撞く なお多くの昏睡まさに懵懵たり たちひ日暮るも醒猶お得ん
信ぜず人間の耳ことごとく聾なるを)

これも意訳ですが、「起きて高楼に向かって夜明けの鐘をついても多くの人はまだ眠ったまま朦朧をして少しも目覚めない。このままもしも日が暮れてしまったとしていつか目覚める人はいるはず。私はみんなが耳が聴こえない人とは信じないぞ。」と。

周囲の人々に、「こんな暮らしは本来おかしい」と声高々に発しても一瞬目が覚めたと思えばまた元に戻っていく。それでもしつこく、一人でも目覚める人がいるはずと信じて鐘を撞くことが大切なことだと。

もっとも普遍的で当たり前であるほど、空気のように人はその存在に気づきません。空気が大事だといっても、そうだねと言われて取り合わないのと同じです。しかしこの空気こそを換えないといけないと目覚める人は一人でも増やそうとするのは愛があるからです。

人類は、夜明け前にいるという感覚を持つ人たちが「徳に目覚める」はずです。

私たちのすべてのいのちは地球の中で空気でつながっています。同じ空気を吸っては交換し合ってお互いに一緒一体に暮らしていきます。一度、空気を入れ替えてみると清々しい空気に仕合せを感じるものです。

あっという間の人生にいつも鐘の音が響くように仲間と場を磨いていきたいと思います。

場をつくる

私たちは場の中でそれぞれの人生の物語を実感するものです。その場は、一つの人生の舞台でもあります。その舞台は何度も時を変え、人を変えその場で物語の一つのシーンを創造し続けます。

例えば、昨日の場で今日は別の物事がある、その時点で舞台は変わりませんがシーンが巡ります。私たちは、自分を舞台の主人公としてしか見ていませんからどうしても見えるシーンは自分が中心になって繋がっている物語です。しかし場や舞台から観てみると日々に別のキャストがあり別の物語が繋がっているのです。

もしもこれが100年経てば100年の場が生れ、1000年であれば1000年の場になっている。これが100万年でも同様です。私たちは場の持つ物語の一つを今、感じることができているということです。

だからこそ研ぎ澄まされ洗練された場にいくとその場の中の舞台の物語に溶け込んで自分もまたその場の影響で濁りが薄まり浄化されたりするものです。

私たちは自分側の視点ばかりが強くなります。しかしよく全体と調和するとき、そこには場にあるすべての物の視点があることに気づくものです。その場の視点に気づくとき、私たちは日々に新しい物語をみんなで演じあうことになります。この演じる中には、宇宙全体の星々をはじめ空気や風などあらゆるものが登場していることに気づきます。

そういう感覚を持っていることが道を知る心であり、場を創造することができる人です。場を創造するというのは、普遍的な道を調えることができるということです。

私たちはつい人の方に注目してしまいますが、私はすぐに場の方に意識が出てきます。場は、全てを載せる器となりその器は時を超えて物語を育て続ける根ともなるのです。

根がある場には、自然に芽も出て花も咲き実をつけます。大切なのは、場をつくることです。

私の場の道場では、その場の持つ徳性を学び、場を感じる豊かさを伝道しています。まさにこれは江戸時代から続く心学でもあり、実践哲学でもあり、日本古来から伝来する和の真髄でもあろうと思います。

来週日曜日に飯塚の場の道場でまた新たな場が誕生するのが楽しみです。

ご縁を結んだ存在

人生を振り返ってみると、人生は出会いによって形成していることがわかります。生まれたときから亡くなるまで、誰に出会ってどのような生き方を教わり何に氣づいて感じたかということの連続です。

その出会いには、現実に人生の節目で深く絆を交わし関わった人もいれば先人や偉人といったすでにこの世に身体はなくてもその生き方を場や伝承において影響を与えてくださったものがあります。

そのどの出会いも、それぞれの人たちの人生で深く関わっているものであり私たちは目には観えない何かのご縁に導かれ続けているということになります。ご縁の繋がりの中に私たちは生きているということでしょう。

これは当たり前のことですが、ここから自分の人生が俯瞰できます。出会う人たちはご縁を連れてくる人たちです。何か必要なご縁の結びがお互いに必要であり、それを分け合うのです。つまりお互いに必要としあうということです。私たちの身体は言い換えれば、そのご縁のために必要ということにもなります。

亡くなった人たちはこの世にはいませんが、ご縁の中には生き続けています。ご縁があるのは、そのご縁を結んだ存在があるからです。そのご縁を素直に受け取り、そのご縁を活かしていけば自ずから自分が身体で体験していくことが俯瞰できます。つまり、ご縁をどのように活かしてきたかというのが自分の人生を映すからです。

この世でどのような人たちと出会ってきたか。

それは単に大勢に出会ったからいいのではなく、どのご縁に導かれているかということが重要なことなのでしょう。そしてご縁を活かすように最適な時機が訪れるのを素直に待つ心がご縁を尊重していく一期一会の人生のようにも思います。

映画やドラマのように仕立てられた有名人や偉人のような劇的な出会いのように演出しなくても、ご縁の世界ではダイナミックに毎日のように時空を超えて感動の連続を味わっているのです。魂や意識というものの変化は、四季の巡りのようにいのちの喜びを味わっているように思います。

静かに自然に寄り添い、安らかな暮らしをご縁と共に結んでいきたいと思います。

盂蘭盆会の徳

先日から自宅で今年の分の落雁をつくり盂蘭盆会のお供えをはじめています。今回は菊の花を象った木型をつかい美しい菊の落雁ができました。以前、このブログでも紹介しましたが落雁は室町時代に中国経由で日本に伝来したものです。

落雁の名前の由来は中国では軟楽甘という名前からというものと、平たく四角形に固められた表面に胡麻を散らせた様が近江八景のひとつ「堅田の落雁」に似ていたからとも。実際の内容は、仏陀の百味飲物(ひゃくみおんじき)が由来です。これは目連という僧侶が亡くなったお母さんが食べられるようにと供養に用いたところがはじまりです。

実際に手作りで落雁をつくってみると、その一つ一つの工程が供養に結ばれていることが分かります。私たちは誰かのことを思いやり、真心で手作りするとき手から供養が入ります。物質的なものの見方だけではなく、たとえ目には観えなくてもこの世には魂や思いのようなものが存在します。

例えば、「場」というものにおいても追善供養といっていつまでも亡くなった方の遺徳を偲び、いつまでもその人への感謝や魂への尊敬を失わないでいるといつまでもこの世に存在し続けています。目には観えないし直接に触ることもできませんが、意識を通して触れ合うこともでき、同時に冥福を祈るように供養をすると心で通じ合うこともできるように思います。

お経やお香、お水やお光など、また声や音などを通しても伝わっていくようにも思います。私たちはそういう目には観えないものを「場」で感じることができるのです。

私が場を調えて、場を磨くのは、目には観えないものの存在によって私たちが謙虚に覚り反省しさらに世の中を明るく徳が伝承していくような実践をして豊かさや仕合せを感じるようにしていきたいからです。

私たちの存在は、親祖をはじめ祖先からずっといただいてきた何かでできています。それも徳の一つです。その徳を大切にするために、私たちは先祖へのご供養をします。先祖を思い慕い冥福に感謝するとき、同時に自分自身の徳へも感謝していることになります。

この盂蘭盆会の時機は、一年でもっとも豊かな暮らしが味わえる時間です。丁寧に真心を籠めて、場を調えて先人たちの遺徳の全てにここから祈りたいと思います。

徳の根源

懐徳堂の学問を深めていくと、「孝」が中心になっていることがわかります。この孝とは、中国の孝経が由来で孔子が弟子の曾子に孝こそが徳の根源と語ったものから由来します。

孝経の中で「身体髪膚之を父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始なり」とあります。これは自分の身体は元々は父母からいただいたもの、その身体を大切にして傷つけないようにすることが最初の孝行であると。そこからずっと辿っていけば、ご先祖様からいただいたこの大切な身体を真心で大切にしていくことが孝行であるといいます。

そもそも「徳の根源」というものはどのようなものか、私の解釈ではそれは生まれる前から私たちに具わっているというもののことです。これは人間に限らずあらゆる生き物にも等しくいえます。

生まれたばかりの鶏でも本能があり、誰も何を教えてなくても餌の食べ方や遊び方、水の飲み方からその体の使い方や鳴き声が具わっています。親は子を守り、子は親を信頼します。これは自分が勝手に得たものではなく、父母をはじめ先祖からの徳の根源の存在があるからです。

自分の身体と共に生きている存在に感謝してそれに孝行することは先祖に孝行することと同じとも言えます。その気持ちをもって実際の父母を自分と同じように孝行をし、そして同時にその先のご先祖様たちの存在にも感謝を忘れないで暮らしていくことができればそれは徳を積んでいるのと同様であるということでしょう。実際には、その孝行を盡すのを広げて他にも国家の主や上司や先輩にも仕えていくことを忠孝ともいいました。明治維新以降はこの忠孝という言葉が戦争に使われ戦後はこの忠孝を忘れるような教育が入り家の概念も薄れて失われていきました。今では歪んだ個人主義が蔓延し、忠孝はパワハラや押し付けともなっています。

本来、この忠孝は「徳」の存在を感じるものであり、身近な徳を理解し実践するのに何よりも近道になっているものだったように思います。自分を大切に見守ってくださっている存在を自分と同じかそれ以上に深く思いやり愛することによって私たちは徳の根源にいつも出会うということでしょう。

懐徳堂もその教義の中で、「孝」「悌」をまず第一の徳目として掲げていたといいます。具体的には「父母によくお仕えするのを孝といい、年長者によくお仕えするのを悌と名付ける」とあります。そして「孝悌の二字は日夜心がけて、一生忘れてはならない」ともいい學問の道に導いていました。

同じく近江聖人と呼ばれた中江藤樹先生は、「父母の恩徳は天よりも高く、海よりも深し」といい同じく孝を第一義に実践をされ徳のことをあるがままに伝承されました。また孝行にならないものとして「にせの学問は、博学のほまれを専らとし、まされる人をねたみ、おのれが名をたかくせんとのみ、高満の心をまなことし、孝行にも忠節にも心がけず、只ひたすら記誦詞章の芸ばかりをつとむる故に、おほくするほど心だて行儀あしくなれり」ともいいました。つまり孝行や忠節がなくなると、人は父母の恩徳を忘れているということでしょう。自分の代のことばかりを憂いて夢ばかりを追いかけていると志が損なわれていくのはいつの時代も同じです。

懐徳堂の代々學主の生き方をはじめ、三浦梅園先生、麻田剛立先生など道なき道を拓き子孫へと徳を伝承された方々は共通して静かに隠棲し名誉や地位や権力やお金など私利私欲よりも公や天下万民、あるいは子孫たちの真に豊かな未来のためにと生涯を盡されておられたことが生きざまから観えてきます。この根本には、常に共通して「孝」があると実感します。

これから盂蘭盆会の時節ですが、ご先祖様のことをずっと感じ続けるこの期間はとても仕合せを覚えます。落雁をつくりお供えし、献花し香や火を絶やさずお水を添えてお祈りをする。父母の恩徳や家の有難さを最も感じる場です。

長い目で観れば最も子どもたちに伝承したいのはこの「孝の心と実践」です。引き続き、自らが恥ずかしくないように心身を調えて心穏やかに恩徳に報いていきたいと思います。