七草と薬草

人日の節供は、平安時代までは野草ではなく穀物が中心でした。その内容は、お米、アワ、キビ、ヒエ、ミノ、ゴマ、アズキの「七穀」です。この穀物が粥になったのですが、その後は薬草の七草を使うようになりました。

七草はセリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロのことをいいます。この七草をすべて合わせると約12種類の薬膳効果があります。調べると具体的には健胃効果・食欲増進・利尿作用・二日酔い解消・解熱・去痰・咳止め・気管支炎予防・扁桃腺炎予防・肝臓回復効果・そばかす予防・あかぎれ予防・心の安定効果の効果があるといわれます。

この七草の縁起に意味付けして、セリは競り勝つ。ナズナは撫でて汚れを除く。オギョウは仏体。ハコベラは反映がはびこる。ホトケノザは仏の安座。スズナは神を呼ぶ鈴。スズシロは汚れのない潔白。としています。

日本人は、どのようなものにも意味を宿してそれを吉として呼び込むことで縁起担ぎをしてきましたからこのような意味付けが誕生したのでしょう。すべてのものをいのちそのままを丸ごといただこうとする智慧があります。

薬草というのは、日本最古の歴史書である『古事記』にも書かれます。奈良時代、593年に聖徳太子は怪我や病気で苦しむ人を救うために、四天王寺内に施薬院(せやくいん)を建立し、そこで薬草を栽培していたという説も残っています。

そしてこの薬草は日本だけでなく世界中で用いられます。植物の中にある薬効成分が心身をととのえたというのは非常に大きな発見だったように思います。つい身近にある草を雑草と思い込んでいて関心を持ちませんが、実はこれらの草には驚くほどの効果効能があります。スギナやドクダミ、ヨモギなども効能は枚挙にいとまがないほどです。

自分たちの風土の中で、如何にして私たちは自然を取り込んで色々な治癒に活用してきたか。先人の智慧には頭が下がります。今年から薬草や和漢方を深めていくので、よいものを子どもたちに伝承していきたいと思います。

行事の意味~人日の節供~

現在、和漢方のことなどを深めていて七草がゆの効能も調べています。同時にまもなく到来する人日の節供(七草の節供)の準備をしています。

まずこの人日の節供(じんじつのせっく)という呼び名は、中国では1日が鶏、2日が狗、3日が羊、4日が猪、5日が牛、6日が馬とそれぞれ獣畜を占う日があり、その日にあたる動物は殺生しないことになっていました。7日が人を占う日なのでこの日は人との争いは避け、犯罪者に対する処罰もしなかったそうです。

そもそもこの七草粥を食べる習慣は古代中国から伝来したものを奈良時代から平安時代にかけて宮中行事となり、江戸時代に「五節供」の1つ「人日の節供」(七草の節供)として幕府の公式行事となったことがわかっています。そして明治5年(1872)12月の「明治の改暦」に伴い廃止された行事です。

もっと遡れば、七草粥になったのは、室町時代になってからだともいわれています。それまでは「羮」(あつもの)といってお雑煮のような汁物、汁椀の中に七草が入ったものだったのが想像できます。この七草は中国最古の歳時記「荊楚歳時記」に「正月七日、人日と為し、七種菜を以って羹と為す」から「七種菜羹」を食べて邪気払いをし健康と無病息災を願う行事があったことがわかっています。日本に伝来してから正月初子の日に若菜を摘み取る「若菜摘み」の風習と和合し「供若菜」という宮廷行事になったともあります。「延喜式」にも「正月十五日供御七種粥料」と記されていて、米の他、粟、きび、胡麻、小豆などの穀物が入っていたそうです。それを入れた粥を食すると一年の邪気を払うと信じられていました。邪気払いですから、鬼退治などでも使われる穀物中心になっています。

話を節供に戻しますが「節句」という字になっていますが本来は「節の日に供える」という意味でした。区切りとしての「句」に挿げ替えられていますが「お供えをするこころの文化」というのが、この節句の本質であるということがわかります。

明治の歴の廃止で七草粥だけなんとなく残っていますが、そもそも節供とは何かということを理解して取り組むことでその意味を感じ効力が発揮されるようにも思います。

現代は、物質文明で科学的なものしか信じない風潮がありますが本来は目に見えない存在、私たちがいつもいただいている御蔭様の見守りや恩徳に対して感謝する心が「おもてなし」をふるまい、しつらうことで顕現していくものです。

日本人の大切にしてきた「供養」するという実践が、単なる意味もないものになっているのは残念なことです。子どもたちには、その意味を理解できるように今一度、食べるだけではなくそれを室礼したり、おもてなしする作法や道を伝承していけたらと思っています。

最後に、郷里の福岡県には、七草汁というものがあります。これは七草を中心に味噌仕立てにした汁、「カツオ菜」を使うことが特徴です。福岡ではカツオ菜や高菜は古くから親しまれてきた伝統野菜です。これが雑煮や吸い物に使われることも多いそうで名前も「カツオの出汁がなくても同じぐらいおいしい」ことからそう呼ばれいるそうです。

今週末は来客がたくさん来られます。みんなで福を分けて豊かな暮らしフルネスの時間を過ごしたいと思います。

 

智慧の集大成

世の中は「思想」というもので溢れています。インターネットを検索したり、本屋さんに行けばいくらでもその思想を学ぶことができます。また誰かによって整理され体系づけられた思想はお金で売買され評価もされています。こうやって同じ世界を何度も体系づけてはあれでもかこれでもかの議論で経済が動く時代です。そういう意味でも今の時代は、便利な時代ですからどのような思想でも探せばすぐに見つかり加工しやすいものです。

しかし、現実を直視すればその思想だけでは物事は動きません。現実には現場がありそこにはその思想をカタチにできる人と技術が必要です。思想と技術は両輪であって、それがちゃんと整っていなければ物事は真に救われません。つまり現実を変える救うや救われるためには思想だけではなくそこに技術が必要なのです。同時に、思想がなく技術だけだと凶器にもなりかねず結果的に救われません。

つまり救うことや救われるためには、この思想と技術の和合こそが欠かせないのです。学問というものは、この学者と技術者の協働によって大成していきます。

そういう意味で、それができる私の理想の人物とはだれかともしも訪ねられたら二宮尊徳のような人物であると答えます。二宮尊徳は、農民でしたが思想と技術をもった徳と才を持つ現場実践者でした。

この徳と才は、人々を救い導くためには必要不可欠な力です。この力はどうやって磨かれるのか。それは現場での試行錯誤と鍛錬、そして徳の修身といった人格を高める努力しかありません。そしてその中で、磨き上げられたものが智慧になり、その智慧こそが人類を新しいステージへを導く鍵になります。まさにこれは歴史を鑑がみて気づく王道の基本です。つまり、どんなに無限の思想が誕生しても、どんなに便利な技術が溢れてもその根本はすべて基本にこそあるということです。この基本とは、徳才一致の顕現ということでしょう。

私は思想もありますが、それをカタチにしていく技術があります。具体的にカタチするのは救いになるからです。思想だけでは救われないことを若い時に何度も体験し、どうやったら救われるのかの技術を高めていきました。そして技術が高まるとそれ相応の普遍的な思想が求められていきますからさらに思想を磨きます。

これの繰り返しを実践現場で何度も試行錯誤しているうちに本物の智慧に出会ったということです。私の甦生業は、この智慧の集大成でもあります。

今年は色々とまたカタチにしていく年です。私が先陣をきってやっていきますからぜひ皆さんも一緒に手伝ってほしいと願います。子どもたちのために、今年も真摯に挑戦していきたいと思います。

言葉の力

祝詞というものがります。この起源は、神代から存在するともいわれていますが私たちの先祖たちは言霊に対する信仰を持っていました。つまり言葉には霊力が宿り、口に出されて述べることで霊力が発揮されると信じたのです。

むかしから忌み嫌われる言葉を話すと良くないことが起こりその逆を言えば善いことが起きるといわれたりします。婚儀など祝儀の際に忌み言葉を避けるように、言葉を気を付ける民族でした。

この祝詞は、祭壇の横で神主が宣るという漢字です。この祝うという字の右側は、頭が大きな人という意味になり神主を現します。この似た言葉に呪言というものがあります。この呪という字は、私たちが放つ言葉が霊力があるという意味を示しています。

言葉は独り歩きをするともいわれますから、放った言葉が巡り廻って誰かにたどり着きます。場合によっては、自分自身に帰ってくるかもしれません。その時は、人伝えに霊力が増幅して戻ってくるかもしれません。

この言葉の持つ不思議な力を発見したのは、原初の人たちです。

今では、言葉が氾濫していて文字を含めこの技術は霊力を持つというよりは便利な道具のような位置づけになってきています。言葉でありとあらゆるものを私たちは認識し、言葉によって文明を発展させてきました。実は最初の文明で産み出した最初の道具は私はこの言葉であろうとも思っています。それを書き言葉にしてこのブログのように読めるようにしたことで誰でもその言葉の持つ不思議な能力を使うことができるようになったということです。

しかし話を戻せばこの原始の祝詞というものや、呪言というのはその便利なものとは一線を画しているようにも思います。それは便利なものではないからです。どちらかとえば、扱いづらい、とても手入れが必要で慎重にやらないと大変なことになるというものだからです。

例えば、呪言では呪いの言葉を放てば、その効力を発揮します。それは今でいう劇薬のようなものです。劇薬は毒にもなれば治癒にもなります。しかしその使い方を間違えれば、大変なことになってしまうのと同じです。

修験者たちは、それぞれに「真言」というものを伝承され会得します。破邪顕正、もしくは鬼を祓うなどその真言で行います。まるで金縛りのようにそこから動けなくなったり、もしくは強烈な業火によって焼き尽くすかのような力を発揮します。しかし、まともにそれを使えば、使う側にも大変な消耗があり、危険を伴うように思います。

こんなことを書くと、怪しい宗教の話ではないかと思われるかもしれませんがこれは言葉だけではなく音楽にも同様の力があることで想像できると思います。音楽には、心を穏やかに安らかにするものもあれば、情熱的に快楽を与えるものもあります。これは音楽の持つ霊力がそうさせるといえばわかると思います。

言葉も本質的には同じ作用を持っているということです。

普段から気を付けないといけないのは、思ってもないことを口に出したり、感情的に我に呑まれて怒りにまかせて暴言を放ったりしないことです。その言葉が、自分を傷め、他を苦しませることがあるからです。テレビやネット上では、そのような言葉が氾濫しています。その言葉が書き言葉になることでいつまでも遺ってしまうこともあります。

便利で誰にも使えるようになったからこそ、心を澄ませていつも素直に正直に祝言としての言葉を使うように先人たちと同じように気をつけたいと思うものです。改めて、今年は言葉に気を付けて実践を磨いていきたいと思います。

行事の意味

昨日は、おせち料理を用意し親族も集まりみんなで正月のゆったりとした時間を味わいました。毎年、恒例行事があることで子どもたちをはじめ色々と成長しているのを実感できます。老いも若きもみんなそれぞれの時代において仕合せに過ごせることは安心であり幸福です。

今ではおせち料理というと何種類も何十種類もあるもののようになっていますが本来はとてもシンプルなものだったといいます。平安時代には、高盛されたご飯のようなものだったともいわれています。

もともとこのおせちは、中国の歴である季節の変わり目の「節」が取り入れられたころからはじまったともといわれます。中国では、陰陽五行が紀元前1000年前からはじまっており日本には平安時代に宮廷に取り入れられて独自の発展をしていったものといわれます。これを節分とは言わず「追儺(ついな)」という皇室で行われてた鬼払いの儀式とされています。中国では中国では「大儺の礼(たいな)」として行われていたともいいます。

本来これらの宮廷文化だったものが庶民に入ったのは江戸時代です。明治時代には改暦によって、これらの行事も失われていきました。中国でも清の時代に、これらの風習はよくないと一方的に失われていったといいます。現在では、中国よりも日本の方が五節句をはじめ邪気払いとして独自に進化して残っています。

先ほどのおせち料理も、今のようなおせち料理という名前になって重箱にたくさんの種類の料理が入ったのも戦後だといわれます。バブルの時に、さらに発展して今のようなおせち料理になったそうです。

そう考えてみると、伝統と私たちが信じているものは遡れば最近はじまったものであったり、他国のものであったりといい加減なものであることもわかります。しかし、元を辿ればなぜはじまったのか、何をする行事だったのが本質だったのかと深めれば、その伝統行事を再び、この時代に甦生させていくこともできるのです。

はじまりを知ることは、その行事の意味を知ることなのです。

子どもたちのためにもなんとなく続けているものをもう一度すべて洗い直し、新たな伝統文化として温故知新して息を吹き返していきたいと思います。

2022のテーマ

昨年は、今まで知りあうはずではない方々とのご縁が広がった一年になりました。また徳積堂、和楽と古いものを甦生し、新しい場へと生まれ変わらせる機会をいただきました。そして多くの御蔭様を経て、これから英彦山の甦生に取り組むことになります。

一年に一度、振り返る機会があるというのはとても豊かなことです。節目に私たちは、今まで何をしてきたか、そしてこれからどうして生きたいかということに向き合う時間を得られます。

自分の人生をどのように使ってきたか、それが一年の経過で観てとることができます。私は選ばないという生き方を実践していますが、振り返っていると選ばない中で選ばれているという感覚を実感します。私が選んでいなくても、選ばれているという事実。そして私が選んだと思っていたら、選ばれているという事実。つまり自他一体のように、ご縁の中心に事実はあり常に「選択されている」ということがわかるのです。

これは私の生き方ですが、この方法が甦生の極意にもなっています。

別の言い方では、天にお任せして生きていくという生き方です。天が何かをさせようと私を誕生させます。その天の命に従うように自由に生きていきます。その自由に生きる中で私たちは偉大な愛に気づいていきます。他にも、偉大な恩恵、偉大な感謝、ありとあらゆる自然の恩徳に巡り会って人生を深く味わっていくことができるのです。

昨年のテーマは「感謝を磨く」でした。どれだけ感謝が磨けたはわかりませんが、当たり前に気づき足るを知る機会は今までよりも多かったように思います。コロナのこともあり、今までの既存の資本主義や経済発展という物差しと向き合って新しい生き方、「暮らしフルネス」という自著を上梓することもできました。

そしてこれからのコロナ後に入るために私たち人類の意識は一つ変わっていかなければなりません。それは今までの物質的に偏る豊を手放す決断が必要になります。私たちの先祖たちは、子孫のために徳を積みました。これは単なる発展ではなく、地球の生命と共に暮らしを豊かにしていくという道を選んだのです。これは先ほどの選ばれたという言い方にすれば、人類は地球に選ばれているのです。もう少し謙虚になって、バランスを保つ工夫をしなければこの歪は大きな揺れ戻しになって人類に襲い掛かってくるようにも思います。

ここからの一年は、私たちはどのような選択をするかでこの先の1000年が決まります。ここに人間、一人ひとりの試練がはじまっています。私もその一人として天を信じて選ばれた側の心で謙虚に道を切り拓いていきたいと思います。

最後に今年のテーマは、「いのちを磨く」ということにしました。いのちは愛そのものであり、愛はいのちを慈しみ尊重するときに顕現します。愛は人類と地球を救うものであるという事実は普遍的です。それはかつての聖人たちがみんな後ろ姿で示したものです。

時代が変わっても、人は人を愛し、愛は地球そのものを丸ごと包みます。

この美しい時間をいつまでも子どもたちや、新しいいのちにつないでいけるようにこんな時代だからこそ勇猛果敢に徳を積んでいきたいと思います。

今年もよろしくお願いします。

 

信じる道を貫き通す

昨日は、一年の振り返りを会社の仲間たちと一緒に行いました。こうやって毎年、続けてこられて20年目に入ります。来年度で20周年ですが、思い返せば色々な思い出深いことがあった20年でした。

特にこの一年は、コロナの影響があってそれぞれの場所でそれぞれに自分の役割を全うしていきました。これで本当にいいのだろうかと思うこともありましたが、今できることに専念するということでそれぞれに自分を盡していきました。

世の中の価値観では、こうあるべきというものがたくさんあります。そういう意味では、私を含め私たちの会社はこうあるべきというものと逆のことをやることが多いように思います。

本当は、世間の価値観に迎合し、みんながやっていることに従っている方が楽になります。みんなの思う正解や平均、それまで刷り込まれてきた常識に合わせていく方が無難ですし、余計な不安はなくなるのです。

まるでみんなで渡れば怖くないというように、人が大勢いる方が大丈夫だろうと安心したくなるのも人間の真理です。多い人=安全という意識もまた、私たちが元来持っているものです。

しかし、自分の理想や目的や信念、初心があったり、理想への憧れやこれは譲れないと思えるほどの優先順位がある人はその多い人=安全ということは関係がありません。自分が少ない人=危険であっても関係なく、その人の目指すゴールイメージに近づけるための努力をし続けていくのです。

ある人はその孤独が嫌だと避けようとします、またある人はかえってその孤高の状態をよしとしてさらに前へと足を進めます。人は生き方ですから、その生き方を決めるのはその人自身です。

どのような結果が待っていたにせよ、自分の信じる道を貫き通すことは悔いのない生き方になります。人生の中で大切なものや大事なものは増えていくばかりです。その一つ一つを守りたいと思っても体は一つしかありませんし時間も一日、24時間と制限があります。手放すことはとても辛く苦しいことですが、一つ一つを丁寧に手放し、理解してもらい、時には人に頼り、生きていくのが人生でもあります。

大事なことをやり遂げるのは、全体快適のためでもあり長い目でみた子どもたちの未来のためです。目先の子どものためも大切な仕事ですが、1000年先の子どものためも同時に大切なことです。

誰かがやらないといけないことを自分がやると決めてくれる志のある人は、この先も大切にしていきたい存在です。私も場をととのえ、志士たちと力を合わせて理想を実現させていきたいと思います。

全体最適の治癒

漢方には生薬というものがあります。この生薬とは、植物や動物、鉱物などの天然産物由来の薬物のことをいいます。乾燥・切断などの簡単な加工をして用いられています。

ウィキペディアにはこう書かれます。

「有効成分を多く含んだ生の薬用植物や動物、鉱物を、いつでも用いることができるように、保存ができる形に加工したものを生薬とよんでいる。人が生薬を使い始めたときは1種類(いわゆる単味)の生薬を用いていた。これらは例えば柴胡は熱を下げる、杏仁は咳を止めるといった簡単な知識の集積となった。しかし、漢書『芸文志』ですでに指摘されているように、病気は、季節、気候、風土、体質などの遺伝的要因の影響を受け、他の病と併発するなど複雑化することもある。そこで2種類以上の生薬を組み合わせて用いられるようになった。日本における生薬は、漢方処方や民間伝承の和薬などの東洋医療で用いられる天然由来の医薬品すべてであるが、漢方医学の影響が大きいため、生薬と漢方薬が同一視される場合も多く、混乱を招いている。生薬は漢方医学以外にも、民間薬として単独で使用する機会もあるが、漢方薬は複数の生薬を漢方医学の理論に基づいて組み合わせた処方で配合比率も厳格に決められており決して同一ではない。漢方生薬は、慣習上漢字名で生薬名を呼んでいるため、薬用植物の標準和名とは異なる名前で呼ぶことが多い。一方で民間薬では、植物和名で呼ぶことがふつうである。江戸時代に、生薬は漢方薬の原料という意味で薬種(やくしゅ)とも呼ばれており、鎖国下においても、長崎貿易や対馬藩を通じた李氏朝鮮との関係が維持された背景には、山帰来・大楓子・檳榔子・朝鮮人参などの貴重な薬種の輸入の確保という側面もあった。輸入された薬種は薬種問屋・薬種商を通じて日本全国に流通した。」

生薬はとても長い歴史があります。伝来したのは仏教と共に朝鮮半島を経由して日本に中国医学や生薬が伝来したのは6世紀頃だそうです。『日本書紀』には飛鳥時代の女帝、推古天皇が我が国初の「薬狩り」を宮廷行事として実施したことが記されています。そして寺院での治療薬の施しや、薬草園での生薬栽培も行っていました。

英彦山でも様々な生薬が栽培され山伏たちがそれを各地へと運んでいたともいいます。生薬は組み合わせ次第では、相乗効果を発揮する仕組みです、それに分量や、種類でありとあらゆる体質改善に活用できます。

現在、不老園を甦生していますが合わせて薬研をつかい色々と研究してみたいと思います。子どもたちのためにも先人の智慧や叡智で、本来の全体最適の治癒を伝承していきたいと思います。

漢方と不老園

昨日、久しぶりに郷里の有名な漢方医のところを尋ねました。一つには、叔父さんの体質改善のアドバイスをいただくことで、もう一つは、古の英彦山の生薬「不老園」を甦生するための相談です。

改めて、色々と発見したこともあり、少し整理してみます。

まず漢方医学というものがあります。これは調べると「狭義では漢方薬を投与する医学体系を指す。また漢方は、漢方薬そのものを意味する場合もある。広義では、中国医学を基に日本で発展した伝統医学を指し、鍼、灸、指圧なども含む。」とあります。しかし、実際に漢方医の診断を拝見していると総合診療をしているのがわかります。つまり全身の症状、体格、骨格、内臓の状態、皮膚の状態、体力の程度、生活環境、生活リズム、精神状態、自律神経、きりがありませんがあらゆるものを総合的に分析して経験や知恵を活かして直観的に何が問題であるのかを判断します。そのうえで、それを治癒する方法をあらゆる手段を用いて実施していきます。

昨日も漢方医のお話をお聴きしていたら、西洋医学で末期がんの医者が治療に来たことがあるとも仰っていました。自分たちは西洋医学で治療しているが、がんが治らないからここに来たという具合です。実際に、その医院ではがんを完治した人の話がたくさんあり、どの話も納得できるようなことばかりでした。

例えば、心の持ち方、生活の気を付け方、回復までのプロセスに寄り添いながら漢方薬を煎じていきます。時間はかかっても、確実に体質改善を行っていくのです。私が、以前、取り組んでいたコンサルティングも対処療法と根源治癒がありました。緊急のものは対処療法しますが、実際に理念や初心を含めて盤石な状態にするにはやはり時間をかけても体質改善をするしかありません。今、会社で取り組んでいる一円対話もまた未病であり、体質改善につながるものです。

ここから話を英彦山の生薬の話に換わりますが、先生と一緒にこれから不老園を復活させてみることにしています。これは山伏たちの暮らしの中心にあったもので、千数百年も前から重宝され、全国各地の病院たちを治癒したものです。

もともと山伏の生薬については、求菩提資料館にこう書かれていました。

近世の山伏は民間祈祷師であるばかりでなく、人々にとっては頼りになる民間療法の専門家でもありました。つまり、病気を治すための加持祈祷を行うかたわら、薬草・薬石をそえることを忘れなかったのです。山伏たちは、本草学に関する知識を持ち、山中で薬草を採取あるいは栽培して、さまざまな薬をつくりました。つくった薬は年に一度の檀家廻の際に配って歩き、翌年檀家を訪ねた折にもしもその薬が呑まれていれば、代金を頂くといった具合でした。「入れ薬」のはじまりです。」

明治のころから、民間医療薬が禁止されまた修験道廃止令も出て、この伝説の生薬である不老園は徐々に世の中から消えていきました。今では古文書の中にいくつか書かれているのが残っているだけで生薬はどこにも販売されておりません。

先生とお話をしていると、この不老園は特に自律神経を整える成分でできていると仰っていました。かつての山伏たちは、心身を治癒する医師たちでもありましたからこの生薬はとても人々の病気を治癒し、未病を維持するのにもとても重宝したはずです。

しかし明治の頃というのは、調べれば調べるほどとんでもないことをしていることを実感します。明治維新のことばかり話しては、やってきたことを肯定していますがよくよく吟味して否定して改善する必要性を私は感じています。歴史を変えたり、消したり壊したら、ちゃんと責任をもって日本人のためにやり直すべきはやり直す必要を感じています。

子どもたちのためにも、先人たちが人生を懸けてつないで結んできた叡智を甦生させて伝承していきたいと思います。

ご縁と未来

人の出会いやご縁はとても不思議で歳を経るたびにそれを実感していくものです。だいぶ以前に、出会った人と数十年後に再会することもあります。その時は、深いご縁でなくても再会後に非常に深い関係になり人生をご一緒することもあります。

人の出会いには、タイミングがありその時々で必要な時にお互いに関係が発生していくようになっているからです。時折、未来がすでに決まっているのではないかと思うほどに過去にあったことが繋がってきて結果を先に見せられているかのようです。

以前、未来がもしも先に見えたならと想像したことがありました。

人はみんな先々のことを知りたがりますが、もしも知ってしまえばとてもつまらないものになるようにも思います。運命論者ではないですが、先に諦めてしまい何もしなくなるからです。しかし、実際の人生には選択というものができます。選択できるから、当然、その未来も変化していくのです。

ご縁というものも同じで、選択をしていきます。

その選択の連続の中で私たちは生き方も選択していきます。生き方とは、どうありたいかというものの選択です。どんな運命であっても、どのような人生、どのようなご縁であっても、それをどうあるかと決めるのは自分ということです。

自分が決めた人生は、自分が選択した生き方であるということでしょう。

どんなご縁も感謝にしていく人、また大切にしていく人は、未来もまた同時に感謝と大切な人たちに恵まれます。未来は変えれないのではなく、未来は生き方で変えることができるということでしょう。

子どもたちの未来を変えていくために、生き方を優先していく人生を送りたいと思います。