e-ZUKA Tech Night

昨日は、故郷で一緒に協力している友人たちの会社の実施する「e-ZUKA Tech Night」に参加してきました。すでに49回の開催の歴史があり、場の雰囲気の中に当時から連綿と続いてきている初志を感じることができました。

過去のアーカイブを読んでいたら「飯塚から世界へ!をキーワードにソフトウェア技術者たちが集結し、テクノロジーについてディープに語り合う場、e-ZUKA Tech Night。」と書かれている文章がありました。

実際に参加すると、単なる技術的な話だけではなく若い技術者を温かく見守り育成していこうという雰囲気に包まれていました。九州工業大学や近畿大学の教授の先生や、生徒たちも参加していたり、専門学校や社会人まで、自由に参加し一生懸命にそれぞれのプレゼンテーションや自分の研究発表、ライトニングトークなどを熱心に温かい雰囲気で笑いあり、感動ありで一緒に学び合っていました。

この友人の会社の創業メンバーだった故高橋剛さんがはじめてコツコツと取り組まれてきたイベントですがそこから大勢の人たちが学び巣立って日本、また世界で活躍しています。まさに飯塚から世界への言葉通りに、若い技術者たちが志を持って技術を学び思いをつなげてくれています。

「何のために技術を学ぶのか。」

故高橋剛さんが私たちにそれを語りかけてくる気がします。彼は「コードに魂が宿る」とも言っていましたが、そこに日本の、いや、日本人のモノづくりの原点を感じます。

人格を磨いた人間が、人間を修め、善き技術によって世界をさらに今よりも美しく豊かにしていくということ。大切なのは、その技術を用いる側も、育てる側も、守る側も技術者たちだということ。

彼の志に触れることで、若い人たちはますます技術者であることに誇りと自信を持っていきます。彼は志半ばで斃れましたが、その遺志は彼の仲間たちや教え子たち、有人たちが受け継いでくれています。

私も現在、故高橋剛さんの遺志を実現するための学校を創っている最中ですが想いや雰囲気を感じる取ることができました。私も自分の場で純粋な想いと共に彼の遺志と共に飯塚から世界へ挑戦していきたいと思います。

 

社会を保育する

渋沢栄一がどのような人物たちを育成していたか、そしてどのような目利きであったのか。それを残された言葉から洞察してみると、その観点が如何に道徳を重んじたのかということがわかります。

いくつかご紹介したいと思います。

「商売をする上で重要なのは、競争しながらでも道徳を守るということだ。」

「一個人がいかに富んでいても、社会全体が貧乏であったら、その人の幸福は保証されない。その事業が個人を利するだけでなく、多数社会を利してゆくのでなければ、決して正しい商売とはいえない。」

「真の富とは道徳に基づくものでなければ決して永くは続かない。」

商売はどうあるべきかという信条が観えます。また、どのような情熱で仕事に取り組むべきかについてはこういいます。

「ただそれを知っただけでは上手くいかない。好きになればその道に向かって進む。もしそれを心から楽しむことが出来れば、いかなる困難にもくじけることなく進むことができるのだ。」

「そもそも多能は聖人の本色ではないとしても、多能なるくらいの種々の経験ある人にあらざれば真正の聖人となり得ざるべし。」

また日本人としてどう生きるか、その社会人としての生き方としてはこういいます。

「日本では人知れず善いことをするのが上である。自分の責任はもちろん、他人の責任までも追うことが武士道の真髄とされる。」

自他に責任を持つことが武士道である、日本人ならわかる言葉だと思います。また自己修養についてもこう言います。

「心を穏やかにさせるには思いやりを持つことが大事である。一切の私心をはさまずに物事にあたり、人に接するならば、心は穏やかで余裕を持つことができるのだ。」

「限りある資産を頼りにするよりも、限りない資本を活用する心掛けが肝要である。限りない資本を活用する資格とは何であるか。それは信用である。」

信用できる人物かどうかは、以上のような言葉から何を観ていたのかがわかります。同時に社會をどのように育てるか、それをこういいます。

「一家一人の為に発する怒りは小なる怒りにて、一国の為に発する怒りは大いなる怒りである。大いなる怒りは、国家社会の進歩発展を促す。」

「余はいかなる事業を起こすにあたっても、利益を本位に考えることはせぬ。この事業は起こさねばならず、かの事業は盛んにせねばならずと思えば、それを起こし、関与し、あるいはその株式を所有することにする。」

利益本位ではなく、これは社會のために必要な事業であると思ったらその事業を起こし、育て投資し、それを助ける。まさに、世界全体、国家全体、社会を保育するためにすべてを懸けた人生だったようにも思います。

そしてどのような人物だったか、この言葉から直観します。

「夢なき者は理想なし。理想なき者は信念なし。信念なき者は計画なし。計画なき者は実行なし。実行なき者は成果なし。成果なき者は幸福なし。ゆえに幸福を求むる者は夢なかるべからず。」

産業人として、渋沢栄一の初心の真心を学び直したいと思います。

 

産業の本質

かつて「近代日本資本主義の父」と呼ばれた渋沢栄一がいます。この人物は意欲ある有能な人材の後ろ盾になって500を超える会社の創設にかかわっています。現在でいうスタートアップするための応援を行った人物とも言えます。

このスタートアップという言葉は、日本のビジネスの場では「立ち上げ」や「起業」などの意味で使われています。そしてビジネスの場で使うスタートアップという言葉はアメリカのシリコンバレーからきたものだといわれます。

日本国内では「比較的新しいビジネスで急成長し、市場開拓フェーズにある企業や事業」として使われているといいます。スタートアップは単に新しいと言うだけでなく「世の中に新しい価値をプラスし、人びとの役に立つ」ことが前提になっています。そこにイノベーションや社会貢献を目的にしているかというのがスタートアップと定義されます。

またよくスタートアップと比べられる言葉にベンチャーというものもありますが、これはVenture Capitalなど投資をする企業や人のことを指すといいます。日本でいうベンチャーは、和製英語になっていて新しい技術や知識を軸に、大企業では実施しずらい小回りの効く経営や、思い切った決断をする中小企業のこと指しています。

そのどちらも大切なのは、それを起業する人物たちです。

どのような人たちが何をするのか、その人物を見極めてその人物が正しく産業を興し人類の真の発達に貢献する人たちにする。それを渋沢栄一は、保育したように思うのです。このような人物が明治国家誕生のための父たち(ファーザーズ)を育てました。

例えば、製茶の父や、養蚕の父、製糸業の父など、ファーザーズを誕生させていったのです。今の日本の産業が発展したのは、この明治の国造りのときに活躍したスタートアップやベンチャーの志士たちを見抜き、そこに偉大なインスピレーションやアドバイス、バックアップを行ったことで実現したのです。

個々の業績ばかりに注目されていますが、実際には人間を教育し育て、そして保育し、その人物が国家や世界のために活躍するように導いた人物があったから日本をはじめ世界の産業が発達したのでしょう。

目的が明確になっているからこそ、スタートアップもベンチャーもその本質が実現するのでしょう。道徳と経済の一致、論語と算盤を説いて経営者を導いてきた渋沢栄一の生き方にとても共感します。

最後に、渋沢栄一から学んだ言葉です。

「人生の行路は様々で、時に善人が悪人に敗けたごとく見えることもあるが、長い間の善悪の差別は確然とつくものである。悪いことの習慣を多く持つものは悪人となり、良いことの習慣を多くつけている人は善人となる。」

すべては原点、何のためにやるのかがあっての企業であることを、子どもたちに伝承していきたいと思います。

初心と御誓文

創始理念というものを甦生するのに、明治期に行われたものがあります。これは明治天皇が即位した際に御誓文の中で行われました。代々、日本という国の先人たちがどのような理念であったか、それに鑑み自ら初心を明確に示したのが御誓文です。

これがのちのち五箇条の御誓文と呼ばれますが、古今に通じる国家理念であることがわかります。聖徳太子の十七条の憲法も同様に、自ら初心の実践を明確に内外に打ち出したともいえるものです。

具体的にはこう書かれます。

① 廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スベシ
② 上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フべシ
③ 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス
④ 舊來ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クべシ
⑤ 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スべシ

これは新しくその時に産み出したものではありません。これはすでに神武天皇の時にはすでに存在していたものです。それをその時代の人々にわかるように解釈をされ、それを立て札にして全国各地に知らしめました。

つまり日本という国はこういう国ですから、共に難局をこれらの道理に従い乗り越えていこうと声がけしたとも言えます。そもそもの創始理念に基づいていたからこそ、この初心には力がありました。

長い年月で醸成されてきた、生き方であり、私たちの存在意義でもあり、国家形成の目的でもありました。この初心を考えた人は、日本人の徳性を見抜き、私たちがどのような状態のときに最大限ポテンシャルを発揮するかを知っていたのかもしれません。

今でもこれらの初心に照らして行動する組織やチームは、日本人らしい信頼関係で強い絆で難局を乗り越えていきます。私たちは大家族として、仲睦まじく認め合い許し合い語り合い行動するとき特別な力を発揮する民族だからでしょう。

最後に御誓文にはこう締めくくられていました。

「我国未曾有ノ改革ヲ為ントシ、朕躬ヲ以テ衆ニ先シ 天地神明ニ誓ヒ大ニ斯国是ヲ定メ万民保全ノ道ヲ立ントス 衆亦此旨趣ニ基キ共心努力セヨ」

時代は今も大変な分かれ目にいます。これからの日本の挑戦において新しい御誓文の必要性をひしひしと感じます。先人に照らして、深めてみようと思います。

祈るしかない~自然の理法~

昨日、大型の台風が九州北部を横切りました。上空にはものすごい空気の流れる音や、風きり音、雨が家をたたく音などが響きました。自然の猛威はすさまじく、改めて人間の小ささに気づくものです。

古民家甦生をしてからは、むかしの建具やガラス戸を探しては配置していきました。そうすると、現代のような強化ガラスではなく手作りの薄いガラスを用いるため強風で割れるのではないかと心配になります。

今朝がた来てみると、干してあった玉ねぎはだいぶ落下していましたがそれ以外は、大きな被害もなく安心しました。

むかしは自然災害に対して対策は立てても、自然を征服できるとは思っていませんでしたから自然に敬意をもって接し、祈り暮らしました、災害があるような大きな自然の猛威の前には「祈るしかない」という心境だったように思います。

私も古民家や自然農をはじめてから、祈ることがとても増えました。というより、「祈るしかない」という境地になることを知りました。一つの諦めというか、できることはすべてやるけれど、あとは自然がやったことだから諦めるという具合です。

自然と暮らすというのは、私たちを謙虚にしていきます。

祈るしかないという境地は、あとは自然にお任せしますという心です。自分だけがいいのではなく、自然は常に全体最適に働きます。自分にはとてもつらく悲しい現実があったとしても、それによって悪くなるはずはないと信じるという意識です。

自然は常に理に適っています。言い換えれば自然こそ万物の理法の原点であり、真実の仕組みそのものです。その理に逆らうのではなく、その理を信じるということで私たちは自己を超越して自然の中に入っていきました。

祈るしかない境地を体験するというのは、傲慢になりそうな理に逆らう自分を正し、本来の自然の理法に回帰する機会を得るということです。

不思議ですが、祈るしかないという境地のあとはまた復興していこうという素直な気持ちが湧いてきます。自然の与えてくれた試練を受け容れて、さらに力強くいのちを燃やしていこうと覚悟するのです。

人類が何万年も、何十万年も共に暮らしてきた地球で生きてく智慧は確かに私たちの魂に刻まれています。真摯に自然の理法を学び、子どもたちにその智慧を伝承していきたいと思います。

創始理念

世界にそれぞれに国家というものがあります。国家には国家理念というものもあります。どのような国にするかというものをそれぞれで決め、それに向かって国家を成長させていきます。

日本という国は、今の世の中が示すような国家を形成しましたがその国家像は果たして本来の日本人が実現したかった国家だったのかと振り返る必要を感じます。

かつて明治維新の時、列強諸国に負けないように急ぎ国家というものを形成しました。しかしその国家は、列強諸国に負けないための国家であり本来の日本人が目指した国家ではありません。急ぎ、国力を蓄え、国家にするために私たちの先祖は国家理念の基礎の上にではなく借り物の国家理念で国造りを進めていきました。

私たちでいえば本来の国家理念とは、創始理念のことです。

創始理念というものを遡れは神武天皇に行き着きます。その即位建都の大詔にはこう記されています。

『夫れ大人の制を立つる、義必ず時に随ふ。 苟も民に利有らば、何ぞ聖の造に妨はむ。且当に山林を披き払ひ、宮室を経営りて、恭みて宝位に臨み、以て元元を鎮むべし。上は則ち乾霊の国を授けたまひし徳に答へ、下は則ち皇孫正を養ひたまふ心を弘めん。然して後に六合を兼ねて以て都を開き、八紘を掩ひて宇を為むこと。亦可からずや。夫の畝傍山の東南、橿原の地を観れば、蓋し国の墺区か、治るべし。』と。

意訳ですが、「大人が制度を立てるにあたっては、必ずその時勢に順応した良い制度を立てること。もし苟も人民の利益になる事であったならだれか聖人の制定したものであっても、その制度を変更するに妨げることはない。私はいま山林を開き伐採して宮殿を築造経営して恭しい心持で天皇の位に即き、人民の安寧と幸福とをはかろうとしている。そして上は神が国を授けたもうた其の御神徳に答え奉り、下は皇孫以下が正しい心を養成するように、そして天下を治める都を定め、その徳を弘め、世界の八方の荒れたる隅々までも一つの家庭とし、人類皆兄弟として互いに手をつなぐべき目的を実現するために、畝傍山の東南、橿原の地に都をつくるのだ」

みんなでよく話し合いながら、制度は変えていきなさい。そして人類みな兄弟として仲よく暮らしていきなさいということが記されています。

どのような国家を形成しようとしたか、その言葉や文書から読み取れます。私たちはその理念にそって、現代でもそれぞれに家庭を築き、社会や会社を築き、その理想の実現に向けて各々で取り組んでいます。

目的を忘れないようにしていくことが、国家というものの本来の姿を顕現していくことになるのです。子どもたちに大切な創始理念が受け継がれていくように、私も世界に誇れる日本の国家を今いる場所から発信していきたいと思います。

 

言葉の研鑽

すべての言葉の意味には、その言葉を意味づけて定義づけた人がいます。私たちが現代に使っている言葉もまた、その言葉の意味になるようにしたのは最初にその言葉の意味を広げた人たちや、それを解釈して使った人たちによって変化していきます。

同じ言葉を使っても、その人の解釈次第ではその言葉の意味は全く異なります。だからこそいちいち使っている言葉の意味を定義し、その言葉の本当の意味は何かと深めていくことが最終的には自分というものを形成し、その自分を伝えるための大切な言葉を学ぶことになります。

この言葉は、道具と同じでどのように使うかで価値が異なります。意味を正しく理解して使う人は、言葉を選んで丁寧にその意味の方を語りかけてきます。しかしその言葉を使う人の言葉を直接聞いたとしても、経験や意味が理解できなければ言葉を聞いても理解することはできません。

表面上でわかった気になったとしても、その言葉の重みや深み、その本当の意味は同体験や経験、その人の言葉に対する意味づけの質量で異なるからです。

だからこそ、その人が使っている言葉の意味を理解していくことはその人の背景にある目的や本質を知る事であり、自分の使っている言葉を刷新して本来の意味に定義していくことが自分自身をブラッシュアップさせていくことにもなります。

使い手によって重みが変わり、聞き手によって意味が変わる。

まさに言葉とは、確かに便利な道具のように見えて大変に不便な道具であるのです。

人間の歴史もまた同様に、暗記して覚えたものと実際に伝道や伝承されてきた意味のものとではまったく異なります。言葉は確かに便利ですが、本質を覆い隠すという不便な要素があるのです。

だからこそ言葉の背景を学ぶことや、その言葉の真意を深めること、言葉の定義を決めることが言葉を常に磨き、言葉の本当の価値を高めていき、その言葉がいつまでも真実のままであるように自己研鑽していくことが学問になっていくのでしょう。

言葉を通して私たちは知識を得ますが、智慧は得ません。智慧は言葉と行動と一体になったときにのみ得られるものです。例えば道具はそのものと一体になった時のみ、本物の道具になり道具の使い手もまた道具の一部になっていくのです。言葉も然りで、知行合一に生きる人が使ってのみ本物の言葉になるということでしょう。

本物の言葉を使う人は、本物の人生を生きています。

言葉に翻弄されないように意味を深め、言葉の研鑽を続けていきたいと思います。

本質的な生き方

私は色々なことを深めては取り組みますから他人から多趣味な人といわれることがあります。しかし自分では色々なことはやるけれど、趣味でやっていると思ったことは一つもありません。もし趣味というのなら、炭くらいでしょうがその炭もまた子どものことを思ってはじめたものです。

そもそも目的をもって取り組んでいると、その手段が色々とあることに気づくものです。もしも手段だけで目的がなければそれは単なる趣味なのかもしれませんが、目的を最優先していくのならばそれは趣味ではなく手段の一つということになります。

私は子ども第一義という理念を掲げ、初心を忘れないように日々を過ごしています。そうすると、その理念や初心に関係する様々な出来事やご縁に出会い、それを深めていくと次第に様々なものに行き着きます。その過程で、伝統技術を学んだり、ビジネスを展開したり、古民家甦生をやったり、サウナをつくったり、むかしの稲作をやったり、ブロックチェーンをやったり、多岐に及んできます。それを周囲の方々はそこだけを切り取って多趣味といいますが、私は決して趣味でやっているわけではないのです。

しかしやる以上、全身全霊の情熱を傾けていく必要があります。なぜならそれが目的であり、それが理念であり初心の実践につながっているからです。仕事だからとか、生活のためだから取り組むのではなく、それが目的だから取り組む価値があるという具合なのです。

そして一旦取り組んだのならば、その取り組みの手段の意味が確かに実感できるまではしつこく諦めないで実行していくようにしています。なぜなら、手段は目的に達するための大切なプロセスであり、そのプロセスの集積が本来の目的の質を高めていくことを知っているからです。

目的を磨いていくためには、様々な手段によるアプローチが必要です。あまりにもジャンルが増えてジャンル分けできなくなり、気が付くとただの「変人」と呼ばれ始めますが、手段だけを見て変人と決めつける前に、この人の目的は本当は何かということを観る必要があるのではないかと思います。変人は須らく、目的に生きる人が多いように思います。

言い換えるのなら本質的な生き方を志す人ということでしょう。

自分に与えられた道を、オリジナリティを追求しながら楽しみ味わっていきたいと思います。

変化と日常

日常という言葉があります。人は何を日常にしているかで、その中心の暮らしが分かってきます。人によって日常は異なり、どのような暮らしを日常とするかでその人の人生の質もまた異なってくるように思います。

苛酷に仕事をする人を日常だという人もいれば、ゆったりと趣味を味わう時間を日常という人もいます。人生のそれぞれのステージで、日常は異なり、それぞれの状況や環境の変化と共に日常もまた変わってきます。

そう考えると、日常とは変化が起きる前の姿になることを言うように思います。よく災害に遭う時、元の日常に早く戻れるようにといわれますがこれもまた変化の前の元の暮らしになることを意味しています。

人間は誰しもが穏やかに心安らぎ自分が過ごせる日々を求めているものです。それが変化があったことで、如何に有難い日々だったかに気づくというものです。

日常というのは、実はとても平凡ですが何よりも感謝や有難さ、仕合せを感じる時間であったということなのです。

人は変化があることで、改めて日常の有難さを知ります。実は当たりまえになってしまっていた日常こそが何よりも幸せな日々を送れているということをです。そう考えると、私たちは日常から離れてしまうことではじめて日常に気づくことができるのです。そして変化があるから、変化する前の状態に気づくということです。

変化というものは、変化する前後で人間はその時々の今の自分と向き合い、自分が何を大切にしているか、どのような人生を送りたいかなどを学ぶのです。

このままがいいといくら思っても、無常にも時は必ず過ぎ去っていきます。変わらない日々はなく、常に日々は変わっていきます。だからこそ変化に対して努力し精進して変わり続ける日々に対して、自分の日常を高めていく必要があります。

それは有難い日々を深く味わったり、かけがえのない日々を感謝で過ごしたり、その日、一日を人生の一生のように真摯に自分の心と共に道を歩んでいく必要があるように思うのです。

変化と日常は自分自身の人生に大きな示唆を与えてくれます。

心がマンネリ化しないよう、日常を磨き、日常を高めていきたいと思います。

意味の存在

世界には様々な歴史があります。その歴史の中には、それぞれに大切な意味があり物語を継承しています。そしてその物語はこの今の私たちにつながりその意味は私たちが世界に伝承することで人類の発展に貢献しているとも言えます。

その物語の中には、人類としてどうあるべきかという挑戦と冒険が溢れています。ある人は、こう生きた、またある人はこう生きたというものが、様々な組み合わせによって遺ってそれを受け継いでいくのです。

これは人類に限らず、すべてのいのちに必然的に存在する使命でもあり生死を度外視して私たちは「どのような意味を存在したか」ということを試みているのです。

その意味は、目に見えて残っているものとすでに消失して目には見えなくなっているものもあります。しかし、その「場」で行われた歴史や意味は確かにその空間に時を超越して遺っているように感じるのです。それは生きている私たちが、無意識に伝承されているいのちの様相であり、いのちある限り様々な物語や意味はずっと続いているのです。

近代に入り、ありとあらゆる人種が融和し融合し混然一体になってきています。数々の意味がここにきて合わさってきているとも思うのです。その中で、伝統というものはそれぞれの意味を純度の高いままに保存してきた記憶媒体の一つでもあるのです。

これらに触れることで、かつての純度の高い精神や魂から確かな意味や物語を継承する人々がいます。彼らは、新しい時代を創造する人類の叡智を使いこなす子どもたちです。

私が伝統の継承にこだわるのも、いくら宗教とか言われても構わずに「場」を伝承しようとするのもまた意味の存在を守るためなのです。これは私だけではなく、いのちあるすべての生命がやってきたこと、人類の歴史を鑑みればなぜ大切なのかは必ず時間が経てばわかることだからです。

意味の存在を見つめることは、自分自身を深く見つめていくことです。残された時間、少しでも大切な意味の存在を伝承できるように伝道につとめていきたいと思います。