しなやかな成長

人は何かの問題が発生するとき、それを解決するのを外側に求めてしまうものです。この時の外側とは自分以外を変える方法のことで、自分は変えずに方法によって変えようとします。確かに方法によって自分が変わることはありますが、それは方法によって自分が変わっただけであり本質的には変わるといことは自分自身の意識が変わるということを言います。結局は相手がや周りがではなく、自分自身の意識が変わることでしか問題は解決することはないのです。

今まで嫌だなと思っていた人がいて相手に変わってもらおうとしてもその人はそう簡単には変わりません。変わらないからといちいち腹を立てていても、ストレスやつらい思いをするのは自分の方です。しかし自分の意識さえ変わってしまえば、そんなに気にならなくなり腹を立てることもなくなります。それくらい世界は「自分の意識」によって左右されています。本物の自信を持つまでそれは繰り返し波のように人間関係によって現れるように思います。

相手や誰かに求めるのは、自分を変えたくないと心がガチガチに凝り固まっているからとも言えます。自分のやり方は間違っていないと思ったり、常識は自分の方だと正論をかざしていたり、罪を相手に押し付けたりしているうちにより心は凝り固まっていきます。

そうやって腹を立てれば、腹を立てていることに過敏にお互いに干渉するようになり一向に物事の観方は転じることなく互いに凝り固まって相手を批判することに終始してしまうものです。

自分が正しいとか間違っているとか正否優劣を振りかざす前に、自分の心を解きほぐしひょっとしたら相手にも一理あるかもしれないという心のゆとりを持つことで意識が変わる切っ掛けを創ることができるように思います。

自分も一理あり、相手にも一理あると、お互いの言い分にそれぞれ理があると思う心の余裕がガチガチに凝り固まった心を解きほぐしていきます。また、きっと何か相手には変えられない理由があるのだろうとゆるし思いやる心の余裕を持つことで意識は転じていくことができるように思います。

無理に自分以外を変えたいと思うときは、自分の心が凝り固まっているシグナルです。相手を認めることであったり、相手の個性を尊重することであったり、相手の持ち味を引き出すことだったり、相手の長所を探したりと、お互いを尊重し合う関係ができればかかわりも楽しく充実していきます。

この人間尊重というものは、心を柔軟にし周りを認めながら自分自身を認めるというゆるやかでしなやかな感性を磨く大切な素養であり徳目です。

歳を経れば経るほどに凝り固まって頑固になっていくのが人間ですが、同時にすべての物事や人物を尊重して人格を高め続けるしなやかな成長はいつまでも大切に続けていきたいものです。

素直な心とは本当は何か、子どもたちにその姿が見せられるように自分を変えていく発達の楽しさを味わっていきたいと思います。

 

  1. コメント

    「正しさ」を持ち出すと、柔軟性を失ってしまいます。また「自分は間違っていない」という発想も同じで、思いやる心のゆとりがありません。「間違いを正そう」とすると、どうしても「裁きの発想」になってしまいますから、現状が気になって仕方ないときほど、あらゆる事情を聴き入れる余裕をもって臨みたいものです。

  2. コメント

    大切なことや重要なことはいくつもありますが、一番大切なことが守られているのならそれも良しという寛大さが必要だと感じています。一番大切なこととは何かを思えば、楽しいかどうかを最近の物差しの軸にしています。正しいよりも、楽しいを大切にしていきたいと思います。

  3. コメント

    その子の発達課題ですら、周りが押し付ければ意欲が消えていきますが、自分自身の眼差しや意識が「その子の今」ではなく、「足りないところ」や「その子の次」を見てしまう意識になっていることがあることを、去年の藤森先生の講演での「三昧」ということから自分自身が感じました。その人にとって好かろうという自分の想いを持っていること自体は間違いではないかもしれませんが、その人が今を三昧したいのか、次に移ろうとしているのかを見る視点が自分には欠けているのだと感じます。お客様にも仲間にも、家族にも、ミマモリストでいるためにはまずは自分のその意識から変えていきたいと思います。

  4. コメント

    身体でもガチガチに固ければ動きもままならずケガをしやすいですが、身体の固さのように自覚しづらいのが心の状態のように思います。何もしなければ固くなっていく身体のように、心も柔軟であれるよう日々のストレッチが必要なのだと感じます。一円観や団欒など仕組みの力を通して心をしなやかに整えていたいと思います。

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