桜の波動

英彦山の枝垂れ桜の場を調えていますが、桜の波動で魂や心が癒されます。

不思議なことですが、この一本桜は場の空気感を全て変えてしまいます。もともと存在感があるのですが、桜の開花の時季は特別な存在感が出てきます。樹木というものは、言葉を持ちません。しかし変化によって語ってくるものです。

例えば、朝夕の日差しを受けて反射してくる光。風に揺られて静かに揺れているゆらぎ。花や葉をひらひらと落としていくときの静けさ。また凛と生命を感じさせる場の力。

その瞬間瞬間に波動を直観するものです。

桜は常に変化をし、波動によって私たちに意志を語り掛けてきます。桜守をしてはや4年目ですが、桜が喜んでいたり、語り掛けてきたり、見守り合っていることを実感する日々です。

樹木は、お世話をする人のことを知っています。それはお野菜やお米を育ててみてもわかりますが、関係性を結びます。そこにはお互いにわかる周波数のようなものが存在し、共にその波動を結び合うことで語り合います。

私は法螺貝を吹きますが、法螺貝は波動を放ちます。

その波動で自分の心や、感性などを表現して樹木をはじめ場と語り合うことができます。むかしの人たちは今よりもずっと、波動で対話をしていたように思います。波動で対話をすることで、お互いの絆を感じ合い、新たな目覚めをして共に寿命を与えあってきました。

波動は関係性の中にありますが、桜はその波動を調える最幸の先生です。

これから一週間で満開になりますが、一期一会の波動の出会いを楽しみたいと思います。

感性教育

昨日は郷里で徳積財団の本拠地がある飯塚市有安の鳥羽池のお掃除とお花見を、地域の中学生たちやまちづくりの仲間たち、庄内支所の方々や友人たちも集まり徳積堂で行いました。

氣がつけばこの活動を始めてはや4年目、最初は庄内中学校のバスケ部の生徒さんたちと一緒に取り組み始め、その後は生徒会主導で企画をしてそれを私たちが見守るように取り組み、全校生徒になって今があります。

ゴミの量も最初は、粗大ゴミや工業ゴミなど見たこともないような大きなゴミばかりでコンテナいっぱいほどのゴミが集まりました。それが3年目くらいになると、人力で運べるほどのゴミの大きさになり、4年目はほとんど粗大ゴミはなく空き缶や瓶をはじめ生活用品になりました。

また鳥羽池は桜の名所ですが桜の木に蔓が巻き付き、周辺には桜の木以外の樹木が増えてきて鬱蒼としていました。それを地域の大人たち、また民間の会社や業者の方々のお力添えもあって伐採し風通しも光通しもよくなりました。

私は毎朝欠かさず、鳥羽池に法螺貝を奉納して清浄を祈ります。父は散歩をしては巻き付いた蔓を切ってくれています。

1年目は片づけていても誰もお声掛けもなく、勝手に何かしていると通報されたりもしました。4年目に入り今では、いつもありがとうという声掛けや笑顔のご挨拶も増え、水鳥も増え心地よい場ができています。

場づくりというものを実感するのにこれほど素晴らしい場所はありません。

お掃除やお手入れの後は、徳積堂で団子やコーヒーやお茶をみんなで飲みながらお花見をしました。はじめて80人以上の人が入りましたが、みんな掃除の後の清々しさで心地よい時間を一緒に過ごすことができました。

私は人間の真の教育は、感性にこそあると確信しています。

どのような感受性を磨いていくか、心の豊かさというものは風土の中にこそ存在します。風土に育てていただいていることを忘れず、その御恩に報いていこうとする活動がまさに文化を育てるのです。

子どもたちと一緒に大人たちも場を調え、自分を清め、互譲互助の精神を高める。

この徳積の活動が、この先もずっと続いていくことをいのり、来年の春に向けてさらに徳が循環する仕組みを育てていきたいと思います。

徳積堂は、場の体験ができる唯一無二の場所です。

あまり大勢いは対応できませんが、子どもの感性を磨く一助になると嬉しいです。

自然と必然の妙味

人生というのは面白いもので、自分に真っすぐに向あい内省を続けているとあれはこういうことだったのかという意味に出会うことが多々あります。その時は、なぜこんな目にと理不尽に心を傷めていても時間が経てばそれがまるで答え合わせのように必然を実感するのです。

例えば、ご縁というものがあります。あの時、あの人に出会わなければというものが多々あるものです。それがその後の人生に多大な影響を与え今の自分のすべてを形成する切っ掛けになっていたりします。

出会いであれば、ただ偶然出会ったのではなく何か大切な話をしたり影響を受けたり、気づいたり感動したり決心したりしたことがあったということです。偶然のように観えてすべて必然であり、覚悟を決めて判断したことで未来が変わっていくのです。

このすべて必然というものには一つの安心感があります。それはどうにもならなかったという事実、そしてどうにでもなれという手放し、どうにかなるという信心のようなものでしょうか。

できることは、過ぎたことを反省して改善し、これから訪れる未来に真っすぐに向き合い、今に最善を盡すということくらいでしょうか。

時は変わり続けますから、自分も一緒に変わり続けていくのが人生ということでしょう。だからこそ、自然と必然の妙味を楽しむことができるように思います。

奇跡のように観えるその瞬間もまた、学びの一期一会です。私たちはこの一期一会の日々を生き、学び、体験や智慧や氣づきを得て変化を已みません。成長の仕合せというのは、感じる仕合せです。そして好奇心は育ちます。

子どもたちのお手本になるように好奇心を大切に、あらゆることを必然として正対して学び続けていきたいと思います。

英彦山枝垂れ桜の物語

英彦山の守静坊の枝垂れ桜は少しずつ開花をはじめています。この唯一無二の枝垂れ桜の物語を少しご紹介してみようと思います。

もともと守静坊のしだれ桜が英彦山の地に植樹されたのは今からちょうど二百三十年年前のことです。この頃の英彦山には約三千人以上の修験者たちが英彦山の中で暮らし宿坊も八百坊ほどあったといわれます。当時の英彦山はとても参拝者で賑わっており、坊家の山伏たちは薬草で仙薬をつくり、信仰者へのお接待やご祈祷や祭祀、護符の授与や生活の知恵の指導などを生業として暮らしていたそうです。

時代の変遷を受け、今はその様子は失われていますがその当時の面影のままに今でも清廉に咲き誇る「しだれ桜」が守静坊の敷地内にあるのです。時代を超えて生き続けている存在の御蔭さまで私も甦生に取り組むことができています。

この守静坊の枝垂れ桜の特徴は、「澄みきった可憐さを持つ花びらと、鳳凰のように羽を広げた姿はまるで今にも飛翔していきそうな姿」です。実際には樹齢二百三十年以上、高さ約十五メートル、幅約二十メートルほどあります。

品種は、「一重白彼岸枝垂桜」といいます。この名前には日本人の自然観と死生観がある象徴的な桜ともいわれています。この「彼岸桜」は、春のお彼岸の頃に咲くことから名付けられ、此岸(この世)と彼岸(あの世)をつなぐ存在として、古くから先祖供養や浄土思想と深く結びついてきました。

そして「枝垂」は枝が下へと流れるように垂れる姿を指し、その形は水や柳を思わせ古来より霊性や神聖さを帯びるものとされ寺社に多く植えられてきたものです。純白の透明感のある「白」は清浄や浄土を象徴する色であり彼岸という概念と重なることでより一層あの世への祈りや鎮魂の意味が入ります。

また「一重」は花びらが簡素で原初的な形であることを示し人の手による装飾性よりも自然そのものの美しさを宿しているともいわれます。これらすべてが重なり合ったという意味で「一重白彼岸枝垂桜」という名前になっています。

この世とあの世の境界に静かに佇み、亡き人への想いをそっと託すような、日本的精神性を体現した桜がこの守静坊の枝垂れ桜なのです。

そして言い伝えでは、江戸時代の文化・文政年間に(1804年~1819年)に当時の守静坊の坊主である守静坊普覚氏が二度ほど、英彦山座主の命を受けて京都御所へ上京しました。その時、京都祇園にあるしだれ桜を株分けしたものを持ち帰りこの英彦山に植樹したといいます。

昨年、故あってちょうど福岡にお越しになっていた平安時代末期から続く公家の家職であり代々宮中の装束を担当してきてこられた若宗家の山科言親様に浮羽の私が甦生している古民家でお会いするご縁をいただきました。その時に「元々は祇園桜の発祥は、京都円山公園にある山科家の宿坊の敷地内にあった枝垂れ桜だったんです」というお話をお聴きしました。その時の出会いの感動は大きく、時代を超えて桜を通して繋がる人々の関係があることに感謝したことを今でも覚えています。

守静坊ではこの枝垂れ桜の開花時期に、英彦山と場にご縁のある方々や檀家さんたちが集まりご先祖さまの供養を行う年中行事その後に行われてきたという伝承があります。それを新たに甦生して、今の時代に本質は変えずに桜を喜ばせるような年中行事「サクラ祭り」として私が実施しています。

昨日も大量の落ち葉を桜の養分にと作務をしていたら何処からか桜を観に来る方やお花見のお電話が入ってきました。どの方々もこの守静坊の枝垂れ桜を観て感動した、魂が震えた、桜との出会いが忘れられずにまた来たいと足を運んでおられました。

桜は凛としてただ自分の花を精一杯に咲かせているだけですが、その姿そのものあるがままの徳が人々の心を癒し清め、繋がりを保ち今でも心を救っています。

私もこの枝垂れ桜のように生きたいと、人生の大先生と慕い桜守をさせていただいているところです。きっと満開と見頃は今週末から来週末くらいまでではないかと思います。

英彦山はちょうど上宮の工事も終え、お山も次第に調ってきました。桜と共に皆様にお会いできるのを心から楽しみにしています。

https://www.crossroadfukuoka.jp/event/15519

見守る世の中

1000年先のことを考えてみます。当然、自分は死んでいますが子孫たち、またそのずっと先の子孫たちのことを思います。すると、何を願い、何をいのるでしょうか。

ちょうど昨日のブログでは1000年前の人物のことを書きました。その人が生きていた時代から1000年、世の中は何が変わって何が変わらないでしょうか。

例えば、地球にあるお水がいつまでも綺麗で飲めるお水であってほしい。または木々や山の自然が残り生き物たちが分かち合って助け合って食べていけるものがあってほしい。人々が家族になって仕合せを謳歌してほしいなどはすぐに想像できます。

しかしそれは今だからこそそう思うのです。本来、太古の自然ではお水はいつも美しく自然は豊富で人々は小さな集落を育て仲睦まじく暮らしていました。しかし今は、行き過ぎた資本主義に包まれ権力とお金に支配され、動植物は絶滅するものが増え、核兵器がうまれまるで終末期です。極端な表現かもしれませんが、1000年前の人たちは今の時代を想像していなかったように思います。きっと自然と調和し共生し助け合い平和な暮らしができる日常を願ったのではないでしょうか。

自分なら子どもが子どもらしくいられるような世の中を遺したいと願い祈ります。

これは、社會がそれだけ「見守る世の中」になっているということです。それはいのちが安心して存在できるような世界です。

そのために今、何ができるだろうか。

私は場を調えていくこと、生き方を繋ぐこと、智慧や伝承を守ることなどを思いつきました。他にも子どもたちの発達を見守ることや、甦生やお手入れをはじめ寿命を大切にする仕組みづくりです。

まだまだ今、生きていますから丹誠を籠めて正直に丁寧に1000年先の未来を予祝するように日々を実践していきたいと思います。

変化そのもの

蘇軾という人物がいます。この人物は人生を行雲流水に生きた方です。実際にこの行雲流水という言葉もこの方が最初に文章にしています。この人物は、約1000年前の中国の方ですが一生を栄光や転落などを何度も繰り返しても、その時々を実に楽しみ艱難も栄華も生き方を磨く砥石にして素晴らしい詩や文章を後世に遺された方です。

時代が変わっても、国が違っても、人が異なっていても、深く共感するのは変化そのものがあることです。どんな今であっても、その変化を丸ごと受け容れ、それを学び、深く楽しむ。幸福や真の豊かさ、學問の本質には心惹かれます。

行雲流水の文章はここから出てきました。

「大略如行雲流水 初無定質 但常行於所當行 止於所不可不止 文理自然 姿態橫生」

(おおよそ行雲流水のごとく、初めより定質なし。ただ常に行くべき所に行き、止まるべからざる所に止まるのみ。文理は自然にして、姿態横(おの)ずから生ず)

これは後輩とのお手紙のやりとりの中で書かれるものです。後輩の詩に作為が出ていることを指摘し、もっと自然に湧いてでるようにとアドバイスをしています。具体的には、おおよそ流れる雲や水のようにはじめから決まったものはないのだから止まる時は止まり、流れる時は流れるようにすればいい、自然体であるといいと。

自然の流れに従うようにというのが正直で素直であるということでしょうか。これは文章を先ではなく、自分を先にそうすればいいという教えや智慧であるともいえます。そもそも変化というものは、変わるものと変わらないものがあります。これは動くものと動かないものという変化もあれば、意識と実態、あの世と此の世、時と記憶のようにも語られます。

しかしよくよく観察していると、変わるものと変わらないものの「間」にこそ「真の変化がある」ことに氣づくものです。それは「今」とも言えますし「直感」とも言えますし、「味わっている最中」とも言えます。

つまり、「今を素直に感じて味わう」ということが変化そのものになるということでしょう。

変化そのものになるとき、変化はなくなります。

私たちは変化できない理由はいろいろありますが、自分のもののように所有していると勘違いしたり、先のことや後のことばかりに執着していたり、本来の自分というものを別の何かと錯覚するからだと感じます。まるで人間だけが人間を生きていると勘違いし、自然から離れてその本来の変化の感覚を忘れてしまっているかのようです。

自然体であることは、自然の変化と共に歩んでいくことでもあります。

まもなく英彦山のしだれ桜が満開になりますが、しだれ桜は変化をよく観ています。そしてしだれ桜から人間を見つめてみたらそこに来る人来ない人、観て感じている人がいるだけです。事実は、こちらだけでなくあちからだと別の見え方があります。自然になっている存在の方が、変化そのものになっているように思います。

だからこそ「この今を素直に感じて味わう」ことで私たちは変化を自分のものにしていくことができます。少し人間の喧騒から離れてみて、神仙遊山の境地を味わい、人生の大切な節目の変化をしだれ桜と共に味わってみるのもいいかもしれません。

宿坊に私も滞在しておりますので、一緒に変化を味わえるといいですね。

 

 

疑死再生

昨日は、英彦山の宿坊でたくさんの方々と一緒にお彼岸のご祈祷と英彦山伝承や鷹についての勉強会を行いました。改めて、鷹という鳥がどのような存在であるのか、北部九州の中での英彦山がどういう歴史的役割の場所であったか、そして山伏や修験者、宿坊とは何かということについて語り合い学び合いました。

そもそも修験道には「疑死再生」という修行があります。これは実際に死ぬのではなく、一度死んだものとして扱われることで、古い自分を手放し、新たな存在として生まれ変わるという精神的なプロセスを体験できる修行のことです。

お彼岸でこの世とあの世の境界線の話をしましたが、その境目がないところにいのちの甦生や再生が深く関わります。私たちの親祖たちは、蛇の脱皮や鷹の羽の生え代わりや、鮭がまた川を遡ってきて卵を産卵する様子や、他にも熊の冬眠から目覚めたり鹿の角が生え変わったり、カエルや蝶などもあります。生きたまま老いて死ぬのではなく、別の世界や異なる姿に変化して新しく甦生して生き返るのです。

この変化というものを得る場所を「お山」の修行を通してというところに修験道の妙味があります。

鷹の選択という動画があります。これは事実はどうなのか、自己啓発の創作動画などとは言われていますがとても面白い内容になっています。具体的には、熊鷹は長寿の鳥とされ、40歳頃に大きな転機を迎えるといいます。老いた鷹は爪やくちばし、羽が衰え、このまま死を待つか、苦しい変化を選ぶかの決断を迫られると。そしてその時に変化を選んだ鷹は標高の高い山にこもり、くちばしや爪、羽を再生させる試練を経て、新たな姿で再び飛び立ち、残りの人生を生き抜くという話です。

そもそも鷹という鳥は、あの世とこの世を結ぶ境界線を生きる存在だと信じられてきました。山の中に棲み、大空から下界を眺めて目的目標に正確に狙い打ちして的をはずしません。そして天高く飛び去り、何処かに連れていきます。

この生態は山に棲む「山伏」ともとても似ています。むかしの人たちは山伏たちを鷹のような存在だと同一視していたのではないかとも感じます。そして山で修行をすると、別人のように生まれ変わる姿を何度も観たのかもしれません。

この鷹の選択の動画で示唆を受けるのは、それまでの自分自身を毀し、新しい自分になって寿命を延ばすというものです。そのためには、今まで身に着けてきた力を一度、すべて捨て去り、もう一度、はじめからやり直すという決心をするということです。

疑死再生の本質とは、その覚悟を決めることで甦生するという世の中の道理を示したものかもしれません。

智慧というものは、言葉で残すのではなく生き方で遺るものです。鷹伝説があるというのは、それだけこの英彦山というお山は鷹のような生き方をした人物を輩出した場所であるともいえます。

私も、大切な節目を迎えており今一度、お山や場から自分自身をみつめ直し、いのちの在りようあるがままを観て道を選んでいきたいと思います。

ありがとうございます。

お彼岸への伝承

日本の伝統的な行事に「お彼岸」というものがあります。これはインドや中国にはない日本で発展した仏教行事です。盂蘭盆会はインドからのものです。春分と秋分の間にあるのが彼岸で、夏にあるのが盂蘭盆会です。

そもそもお彼岸とは何でしょうか?

お彼岸の「彼岸(ひがん)」は仏教の言葉で「向こう側の世界」といいます。「あの世」ということですね。それに対して私たちのこの世界は「此岸(しがん)」といい「この世」のことです。

春分には太陽がほぼ真東から昇り、ほぼ真西に沈みます。そしてこれは秋分も同様です。この春分・秋分が日没の方向が一年の中でもっとも明快に「西」を意識することができます。

阿弥陀仏の説く極楽浄土は西の方角にあるといい、「阿弥陀の浄土は西方、十万億の仏土を過ぎたところにある」とされてきました。だからこそ西を向くこと自体が、極楽浄土へ心を向ける行為になっていたのです。

春分と秋分の時期は、太陽が真東から昇り真西に沈みます。その瞬間にあの世とこの世が結ばれると先人たちは実体験で味わったのかもしれません。中庸、バランス、調和、あちらとこちらも渾然一体になった時、そこに天地和合心、極楽浄土が観えたのでしょう。

英彦山の守静坊は、祭壇から玄関に向けて西を向いて建っています。私はいつも宿坊に来ると、夕方はいつも夕陽を眺めてはずっと祈ります。西から差し込んでくる澄み切った金色色の柔らかな太陽の光が「真摯に一日、そして一生を終えるいのちのご供養をしている」ように実感するからです。

輪廻転生、何度も循環し巡りくるいのちの調和は誰が何のために行っているのか。私たちはいのちがある御蔭さまでさまざまな体験ができています。それもまたご先祖様が結んで繋いでくださった一期一会のいのちです。

「在る」ものに眼差しを丁寧に向けてみると、感謝の世界が顕現してきます。

極楽浄土は何処にあるのか、それは感謝の中にこそということかもしれません。

人は朝に太陽を拝み、夕陽に太陽に祈ることで感謝の世界を味わえます。世界のいのち、そして人類が平和でありますようにと感謝でお気楽極楽に真心の暮らしを楽しむ。平和とはいつもかくありたいものです。

今日も、英彦山の守静坊ではご縁のある方々と一緒に先人や先祖を偲び、歴史を学び直してみんなで読経してお香を焚いて、しだれ桜のご神木にしめ縄をはります。

お彼岸の有難さに感謝しながら過ごす一日にしていきたいと思います。

信義

「信義」というものがあります。この言葉は論語や孟子などでもよく出ますが「信義」は相手を信じ約束や道徳を守るという誠実さを意味する言葉として有名です。「信」は誠実さや約束を守ることをいい、「義」は正義や道徳的な義務をいいます。

そしてこれは日本では古来から武士道の精神とも言われます。私の先祖の野見山家は、野見宿祢以降代々、武士でしたからこの「信義」には強く惹かれるものがあります。信義に悖るという言葉や、信義に反するという言葉もあります。これは自分や相手との約束を守らなかったり、信頼関係を裏切ること、そして義務を果たさず道理に反することをいいます。具体的には、利己的で裏切る、不誠実、戦国時代なら下剋上です。

武士して、侍として恥ともいえる生き方かもしれません。

戦国時代といえば、加賀100万石の大名、前田利家という武将がいます。彼はこのようにいいます。

「武門とは信義の番兵であり、人の生涯は心に富を備える為にある。」

信義を忘れたり捨てると、心が貧しくなるというのでしょう。本当の心の富み、宝は信義を守ることで得られるという格言ということでしょう。お互いを深く信頼し合い、道理を守り共にいのちを用いて一緒に生きる。この仕合せは信義によって得られるとしたのでしょう。

また私が尊敬する武将に上杉謙信がいます。下剋上の裏切りばかりの戦国時代に、義を貫いた生き方を全うされた人物です。敵に塩を送った話も有名です。

「大事なのは義理の二字である。死ぬべきに当たってその死をかえりみず、生きる道においてその命を全うし、主人に先立つ、これこそ武士の本意である。」

そしてこういいます。

「義とは、人が人としてあることの美しさよ。」

まさに人としてどうあるか、信義を守るというのは、人としてを守るということでしょう。裏切り、騙し合い、殺し合いの修羅のような世の中でも「人であること」を大切にする。美しく生きていこうとした、武士たち、侍の魂に感動します。

最後に、大阪の石門心学の石田梅岩の言葉です。

「学問の道とは行動を慎み、目上の人を敬い、両親には仁愛を持ち、友には信義を持って接し、人類を愛し、貧乏な人には恵み、功績があっても自慢せず、倹約して派手な生活をせず、家業をおろそかにせず、家計は収入以上には使わず、秩序を守って家を治めるということである」

友とは、「信義」を守る関係であること。信頼関係というものは、信義がなければ成り立ちません。人間は、お互いに助けあい、共に生き延びてこれたのは心にこの豊かさがあったからでしょう。

今日はお彼岸、ご先祖様のご供養で一日を過ごします。未来の子どもたちによい未来、よい智慧と場が譲れるように禍転じて福にしていこうと思います。

夢の途中

私は、幼児期の子どもを対象にするお仕事を人生の半分以上取り組んできました。50歳の節目で振り返っていると、なぜこの仕事をしてきたのかということを考えてみました。本来、そんなに子どもは好きな方ではなく少し大変な存在だと感じていたことがありました。保育園や幼稚園に行くと、たくさんの子どもがいて少し苦手なくらいでした。ただ、自分の子どもができてからは子どもの発達に感動して魂が揺さぶられる体験をたくさん経験し、子どもを信じること、見守ることの有難さを学びました。

その上で私が子どもの仕事を根気強く続けてきた本当の理由は何か、それは「子ども心」にこそあります。私は子どもが子どもらしくいられる世の中になってほしいと願い、その社會の実現のために様々な社会実験を会社を通してやってきました。今も、その途上です。一般的には、何の会社か分からないといわれたり、変人や稀有な人などとも言われますが本質は子どもらしさを大切にするために志を守っているだけです。

日常的に、どうすれば子どもらしさが守れるか。これは大人に言い換えれば、どうすれば魂のままあるがままの自分が尊重しあえる世の中にできるかという問いでもあります。

本来、人間は固有の個性と徳性があり、それぞれに唯一無二の存在価値があります。それを十把一絡げのように扱い、金太郎飴みたいに切り刻んでいく。これが耐えられないからそうではない生き方をしたいと行動してきたともいえます。これはまず自分の子ども心を守り、自分らしさを守る挑戦でもありました。

そして子どもたちには、安心して自分らしくいられるようにその周辺の大人が自分らしくいられるための場づくりや研修をしてきました。また子どもの発達を邪魔しないことで、その子らしくいられる環境づくりもしてきました。

結局は、あるがまま、そのまま、自然のままということでそれを「かんながらの道」と名付けて今があります。

この先の人生もまた、環境や立場、状況が変わっても自分の生き方は変わることはないように私は思います。子どもたちがいつまでも健やかに安心して暮らしていける平和な世の中を推譲していくためにも、自分の生を遣り切っていのりたいと思います。