縁日2

引き続き縁日について深めてみますが、縁日で有名なものに京都北野天満宮の「天神さん」というものがあります。これは北野天満宮の御祭神菅原道真公の生誕日と葬去日が25日であることから毎月25日に開催し「天神さん」と呼ばれ全国各地から多くの参拝者で賑わいます。そしてこの縁日では、たくさんの屋台や露店が出店されます。

改めて屋台と露店、出店の違いを調べるとまず「屋台」は屋外に簡易的に組み立てられた台と屋根を備え付けた小屋の様な移動可能な店の事をいいます。リアカータイプや、軽トラ等を改造して荷台の部分が店舗の様になっている物もありますがすべては「移動ができる」ということです。そして「露店」は露天とも言い、屋外にゴザを敷くなどをして一時的に構えられた店の事で屋根を必要としていません。もう一つは「出店」(でみせ・でたな)とも呼びますが神社の参道にある酒屋や醤油屋が店先にテーブルや台などを出して販売などしています。昔は街道筋や参道の周囲に店舗を構えていた商店が多かったこともありお祭りのときは出店を出していたといいます。

そもそもお祭りは寺社普請の意味もありました。明治以前の人々の暮らしの中心にはお寺や神社があり、それを守るために定期的に建物の修繕、または社会基盤の拡張や一新を図るにあたり莫大な費用が必要になっていました。

その資金を集める一環として寄付を直接募るよりは、お祭りを開催し「的屋」を招き地域住民に参加してもらい非日常(ハレの日・カムニギワイ)を演出する事で的屋から場所代として売り上げの一部を普請の資金にしていたといいます。また庶民も夜店や出店の縁日を通して日本の祭り文化が発展していきました。この的屋とは、縁日・盛り場などに露店を出し、興行や物売りを行う業者のことをいいます。そのような特殊な技術を持った大道芸人や商売人としての的屋も縁日の開催によって生活がなりたったともいいます。

地元の神社でも、昔はお祭りくじがありそれを地元の皆さんで割り振って購入することでお祭りの資金をねん出しており、また神社や境内の運営維持の費用に当てられていましたがそれも失われ今では神社の維持は個々人の寄付のみになっています。個々人の寄付もお祭りや神事に参加しなくなれば次第に失われていきます。

縁日の減少は、言い換えるのなら地域の中心の自治の減退とも言えます。

地域住民が氏神様を中心に氏子として、みんなで地域の政治を協力して協働していた暮らしが失われていくことで地域の繋がりや絆、また暮らしも失われていきます。

縁日の開催は、暮らしの甦生の一つであり、地域の人たちがみんなで有縁を感じ、力を合わせて地域をより暮らしやすい地域にしていこうとする参画意識の確認でもあります。

引き続き、氏神様とのご縁を大切にした小さな天神さん縁日の実践を通してご先祖様が大切に守り続けてきた地域文化の甦生、暮らしの甦生を学び直していきたいと思います。

 

 

縁日

来週末開催の「まちづくり×古民家甦生=観光創生化」の準備のために聴福庵に来て色々と段取りをしております。午前中は、まちづくりのファシリテーターとの座談会。午後からは地域の子どもたち向けの縁日を開くことになっています。

そもそもこの縁日とは、「有縁の日」の略語であり、神仏の降誕・示現・誓願などの縁があり、祭祀や供養が行われる日のことをいいます。先月は、地域の氏神様である天神様をお祀りし天神祭を開催しました。これもまた一つの縁日とも言えます。近代以降はお祭りもセットになり、露店などが出て賑わうようになりましたが本来は有縁の神仏の祭祀と供養のために暮らしの一つとして家々においてそれぞれに有縁の日に実践されていたものです。

それぞれの風土で実践される縁日には、それぞれに受け継がれている思いや願いがあったり、大切な歴史的意味があったり、御先祖様からの伝言や文化の伝承であったりするものもあります。

例えば縁日で有名なものに8、12日の薬師如来、15日の阿弥陀如来、16日の閻魔、18日の観音菩薩、21日の弘法大使、24日の地蔵菩薩、私たちがお祀りしている25日の天神様などもあります。他にも毎日、何かの縁日と結ばれ人は信仰を守り続けてきました。特に、一年の中で特に大切に結ばれる縁日の功徳は大きく、たとえば7月10日は観音菩薩の四万六千日といって、この日に参詣すれば4万6000回参詣したのと同じになると説かれたりしているものもあります。

こうやって縁日は信仰と結びつき、お祀りすることでさらに神仏のご加護を実感しながら感謝で暮らしていたのが私たちのご先祖様たちの生き方でした。

そもそもご縁とは、何かしらの因縁によってつながっているということを意味します。私とあなたも、そしてこのブログを読んでくださっている方も、何かしらのご縁によってつながって結ばれています。これは私たちの親祖からはじまり、私たち子孫はその発展と共に増えて広がってきた民族でありその元は同一であったことを意味しています。

何回も生まれ変わり、そして巡り会う中で、時代を超えて再び出会います。また出会うのもまた何かの因縁があるのであり、そのご縁のつながりの中で共に生き貢献し合っていきていくのは私たちです。

このご縁を大切にするというのは、自分は結びの中にある存在であるということを確認するということです。この縁日はまさに、日常の喧騒や忙しさの中でつい忘れがちになっているつながりやご縁の存在を改めて確認する日でもあると私は思います。

真摯に神仏やご先祖様からいただいたご縁を活かしていけるよう、ごつながりをもったいなく使わせていただき、ご縁のある皆様が幸福であるように自分のいのちを盡していきたいと思います。

 

学問とは何か~日本の学問~

先日から伝統的な教育を深めていますが、明治初期に西洋の教育手法が入ってくるまでは日本では学問は儒教を中心に「天」というものを相手にするという思想がありました。この天は、日本ではお天道様やお日様に例えられ自分自身を片時も離れずに見守ってくださっている偉大な存在として崇め自らに学び問いました。

孟子は「学問の要は、唯諸己に反求するに在るのみ」といい、常に己に問い、内省反省し、慎独するなかで実践するものこそ学問の要であるといいました。

教育手法ばかりが注目され競争する昨今において、そもそもやり方ではなく根本的なあり方がどうであったかは歴史から学ぶものです。日本の伝統的な教育は、社會のために行われるものであるから公のものであり、さらにはその公のために如何に個々が社會のお役に立てるか、そしてその命のお役立ちこそを天命あると導いていたのが分かります。

教育者本来の本文は、この天道に導くことであり如何に道からそれないように我を省き、その人が利他に生きることができるようにするかを様々な言葉で伝えてきました。

例えば、かつての日本の親子の教育の柱で伝承されてきたものに「お天道様が見ている。ご先祖様に恥ずかしいことをするな。故郷に錦を飾りなさい。」というものがあったといいます。

これは道に入るための導きの言葉でもあり、社會の中で自分の天分を活かしなさいと励まし応援するものでもあります。

今の時代は、自分のことばかりを心配して自分の思っていた通りにうまくやることが人生が成功したと思って我ばかりが増大していく環境があります。しかし本来は、どんな自分であろうがその社會の中で如何に自分の天分を周りに活かしていけるか、言い換えるのなら自分をお役立ちさせていくかに本来は専心することが肝心であり、自分のことなど考える必要もなかったのです。

俺が私が自分がの我を主語にするのではなく、主語を社會や天や世の中などその公器を主語にして生きれば自ずからお役に立てるところに命が役立てる仕合せに出会えるようにも思います。

自然界も等しく、私たちは同じ太陽の下みんなで協力して共生しながら貢献し合って存在しています。だからこそその自然の法則から離れないように、天道地理から外れないようにと道を照らしたのが教育者だったのでしょう。

私たちは教育を職業の一つとして認識していますが本来は道の一つです。この道は親子でも兄弟でも子弟でも、すべての関係の中に存在する一本道でもあります。未来の日本の子どもたちのためにもその道をもう一度、再認識し今の時代に温故知新していきたいと思います。

 

天との対話

老師の遺した有名な言葉に、「天之道、不争而善勝、不言而善応、不招而自来、然而善謀。天網恢恢疏而不失。」があります。これは「天の道は、争わずして善く勝ち、言わずして善く応じ、招かずして自ら来り、然として善く謀る。天網恢恢疏にして失わず」という意味です。

天に問い、天が見ているとし、ありのままであるがままに生きる人は正直の徳を磨いていきます。この正直の徳とは、自分の心を天に映す鏡として鑑照する生き方を実践していくということです。

私が尊敬する吉田松陰は、その辞世の句で「吾 今 國の爲に死す 死して 君親に 背かず。 悠悠たり 天地の事 鑑照 明神に 在り。」といいました。

これは意訳すると「私は今、故郷の国のために命を捧げ死んでいきます。私は死ぬに際しても親祖や恩君へ対する道に背くことはありません。悠久に続く天地のことだからこのことは天が観てくださっている、八百万の神々、どうかご鑑照ください」と。

天が観ているという心境は、自分にとっての都合や損得、その他の利害などを優先しているのではなく文字通り天に問い天が見ているとし天の基準に沿って歩んでいくという道の生き方です。

天が見ているという生き方はとても明るくのびのびした精神を持っています。そこには自己を中心に裏表があるのではなくそのままの自分を天に見てもらっているという偉大な安心感を持っています。

自分の心に正直であるか、自分の心は真心のままであるか、それは自分ではわからないものです。だからこそそこを天に問い、天がどうなさるのかの判断にゆだねて任せて生きていくのです。

私自身もいつも真心で生きたいと思っていますが、果たしてこれが真心であったのかどうかわからないことばかりです。しかし天が見てくださっていると信じて、天の判断に任せてそれをすべて受け入れて受け止めると覚悟を決めて歩んでいけばそのすべては天の采配であったと直観し、これでいいとすべてを丸ごと受け容れることができるように思います。

この天の采配とは、偉大な天の真心に触れるということです。

吉田松陰は生き死にが判断基準で良し悪しを考えたのではなく、まさに天の采配のすべてを信じて道を貫いたのでしょう。

最後に、常岡一郎氏にこんな言葉があります。

「宝物は大切にされる。危険なところに置かないように心を配る。人の世の宝と仰がれる人がある。そんな人は自ら求めてなくても大切にされる。心の使い方の美しい人はよい運命に守られている。危ないところから遠ざけられている」

吉田松陰は俗世にまみれてなお魂を磨いて俗世の穢れを取り払い、澄んだ心を磨き切った宝だったように思います。今でも大切にされるのは、その心の使い方が美しかったからです。生き死にが問題ではなく、天命のままにやり遂げたというところに運命から守られたという余韻を感じます。

このように死してなお今でも燦然と輝き続ける吉田松陰の魂のように、天は必ずその人の天命に沿う生き方を未来永劫変わらずに応援してくださいます。私の歩んでいる道はかんながらの道、悠久の八百万の神々と共に往く道ですから常にその古の神々がいつも見ているとし天との対話を続けて歩んでいきたいと思います。

活かし合う社會

もともと人はそれぞれに価値観が異なります。生まれ育った環境から、あるいは遺伝子の繋がりから、あるいはもって生まれた天性もあり性格なども異なります。その価値観の異なりは文化として出てきては、それぞれの個性、持ち味としてそれが社會の中でお互いに有効に活かしあいます。

これは自然界でも同じで、一つの植物は他を活かし、また一つの虫もまた他を活かし、お互いに異なりながらも活かしあう存在して自然は社會を創造しています。そこには一つの価値観だけで他を排斥するようなものはなく、お互いに必要な存在であると認め合っていることが大前提にあります。

その大前提が人間中心主義で崩れれば、人間以外のものは尊重しないという価値観があたり前になってしまいます。そうすると、何が自然で何が不自然かが分からなくなります。

現在、人類が大きな分岐点に来ているといわれるのはこの自然からの乖離が顕著になってきたことが原因だと私は思います。西洋から入ってきた人間中心主義が蔓延し、自然に活かされているということを忘れ、お互いを尊重し合うことをやめたことが加速度的に人類の危機を高めてしまっているように思います。

国家間においても、共異体であることを認めようともせずグローバリゼーションの名のもとにお金を用いて一つの価値観に塗り替えてしまおうとしていますが、それをすればするほどに多様性は失われより自然は破壊されていきます。

本来、それぞれの持ち味や価値観の違いはお互いを活かしあう上で大変重要な自然の摂理ですからもっと異なることを大切に他を思いやり排除するのではなく共に異なるままで活かしあおうとした方が自分が生き活かされる美しい社會が創造されます。

人類の未来のためにも、子どもたちの未来のためにもまずは自分の中にある刷り込みを取り払い、周囲の環境を改善し、実践によって気づき合えるよう学びを深めていきたいと思います。

職人の志事

昨日は無事に聴福庵の床の間に、砂鉄塗の壁が塗り終わりました。たくさんの左官職人さんたちが見守る中で、一人の左官職人が真摯に壁に向き合って黙々と塗っていく姿には深く心が打たれるものがありました。

職人の志事に取り組む姿勢、まだお若い方でしたが親方について学び、親方が見守る中で真剣に塗っている様子に講習を受けていた他の左官職人さんも次第に目が奪われていくのがわかりました。

職人たちはまるで本物の家族のように温かい感じがして、一緒にいるととても居心地がよく、楽しい時間はあっという間に過ぎていきました。みんなで同じ道に生き、同じ釜の飯を食う、こんな当たり前のことが懐かしく感じるのは、それぞれが日本文化そのものの受け継いで根っこがつながっているからかもしれないと感じられました。

みんな言葉は少なくても、それぞれが材料をつくってみたり、調合を変えてみたり、また塗り方を試してみたり、正解のないものの中からもっともその素材を活かしどのような壁にするのかを研究して周りをみながら研鑽を積んでおられました。

今回、来庵された左官職人さんたちはほとんどが独立してそれぞれの場所で左官仕事を請けておられる方々ばかりでした。日ごろはみんな離れていますが、お互いにみんなそれぞれの持ち場で真摯に挑戦し努力していると思えるから存在そのものが励みになるそうです。

そう考えると、師や仲間の存在があるからその人はさらに向上していこうとする。道の中で誰に出会うかどうかは、その人の生きる姿勢で決まります。

働く姿勢は、そのまま生きる姿勢なのです。

昨日の道場では、心構えをまず親方の姿勢から学び、技術はそれぞれの現場で日々に真摯に磨き、その実践を身体と行動で示す。その生き方を確認する機会であったように思います。

昨日も道具に対する姿勢について、たとえ年上であってもそれは間違っているとその道具への姿勢を叱責したり、あるいは火加減一つにしても厳格に指導したり、あるいは塗りにくくないかと配慮をしたり、あるいは弟子の悩みを朝からじっくり聴いてアドバイスをしたりと、そこには気づきと学びが凝縮された場が醸成されていました。

今回の体験で、左官職人たちがあのように自ら学び、自らが主体的に同じ道の上で切磋琢磨していく姿に本来の学校のあるべき姿を感じることができました。

なぜあのようになるのかをもう一度見つめ直し、日本古来からの精神の伝承、さらには文化伝承の仕組みを引き続き紐解いていきたいと思います。

砂鉄の壁は、紫黒の中に星がキラキラと煌めき、陰翳の中で瞬いている宇宙のようです。この宇宙空間の中に、私たちも存在させていただいていることを改めて悟り、このことを忘れないでいようと初心を定めました。

今回の左官講習ご縁に深く感謝しております。それぞれがお元気でお志事に邁進し、皆様にいつの日かまたお会いできるのを楽しみにしております。本当にありがとうございました。

道の師弟愛

昨日から聴福庵の床の間の砂鉄塗のための準備を、各地の左官職人さんたちと一緒に行いました。夜はそれぞれ自己紹介をしながら左官の仕事や生き方について語り合う豊かで味わい深い時間を過ごすことができました。

若い職人さんたちはみんな一生懸命で、親方の指導を受けて真剣に土の配合や塗り方などを学び取っていました。親方も弟子たちや左官職人さんたちの持ち味や性格を見抜き、それぞれに必要なアドバイスやまた励ましをしていたのが印象的でした。

そこには単なる技や能力を教えるのではなく人間としてその弟子たちや職人たちが健やかに成長していくのを見守っているようにも感じ親方の愛情と仲間たちの親愛の情に心が温かい気持ちになりました。

親方というのは、その道を究めその道で先を生きた人です。その親方が自分の歩んできた道から、葛藤し悩む弟子たちに生き方を語り、その姿でこの仕事の美しさや使命感、さらには何が人生において大切なことであるかを優しく諭します。そこに兄弟子や指導を受けた先輩が、他の未熟な弟弟子たちに「親方の顔に決して泥を塗るなよ、つまらない仕事をして名前を汚すなよ、心構えが甘いものや幼稚な技能をやるなよと本気で研鑽を積むように」と親方がいないところで厳粛に指導しておられました。

こうやって職人たちはその場で一緒一体になって、心技体を学びます。優しく穏やかに見守る親方と、厳粛に指導する先輩職人、そしてそれを受けて生き方を見つめる若弟子の姿、この伝承の学び合いの美しい瞬間に立ち会えて仕合せな気持ちになりました。

今の時代は、一般的な会社では師弟関係などはありませんしあくまで仕事とプライベートは分かれていますから生き方や働き方まで指導してもらおうなどとは思ってもいない人が多いでしょうし、何かあればパワハラなどと言われ遠慮してあまり深入りしないのが今の世の中の風潮です。

しかし道に入るというのは、生き方を変えるというこですから師は弟子に本気で愛情を注ぎますし、志を持った弟子はその愛情を受けて必死に育とうとします。師弟愛というのは、教育の原点であり、伝承の要諦です。

最後に、ある若い弟子の一人が今の左官の仕事は大きな会社の下請けでモルタルばかりを塗り自分のやりたい伝統の土壁や古来からの左官の仕事ができず煩悶し葛藤している人がいました。親方が、その状態を見守りながらあなたがどうするかとその弟子が覚悟を決めるのを寄り添い見つめているのを感じました。その若い弟子は、「親方に出会わなければ一生私はこんなことにも悩むことはなかった、土(生き方)に出会えたのは親方とのご縁があったから」と仰られていました。確かな「導き」を感じた瞬間に、伝統が伝承されていく心安らかな思いがしました。

最近は私も人生の後半に降りていくなかで特に日本人の次世代の未来のことばかりを考えるようになりました。

子どもたちには「生き方を学び直すことで道は拓ける、その生き方を一つでも多くこの世に遺したい」と願い祈るばかりです。

子どもたちが健やかに自分らしい人生を歩み、日本の先人たちの智慧や文化に見守られ根とつながり仕合せに花咲、実をつけ、種になれるよう、引き続き私の天命に従って遣りきっていきたいと思います。

永久の間(トコノマ)

明日、いよいよ待ちに待った床の間の壁の砂鉄塗が行われます。1年半越しに、準備をし伝統の左官親方とお弟子さん、また技術を学びたいと各地から左官職人さんが来庵され文化伝承の場として使われます。

この床の間への私の思い入れは大変強く、この床の間の甦生は暮らしの実践の中でも特に重要な意味を持っています。最近ではマンション住まいになり、床の間がなくなってきた家が増えていますが私たちの先祖は常にこの床の間に神様を祀り大切に暮らしを積み重ねてきました。

改めて床の間とは何かと説明すると、一般的には和室の一隅が一段高くなっているところで掛軸や置物、生花などが飾られています。しかし本来の床の間は、16世紀頃に登場した書院造りに取り入れられた「主君の座」だったといいます。そこは神聖な空間で、またハレの場であり、その主人そのものが顕現する場です。

この「トコ」という響きは、「トコシエ(永久)」、「トコヨ(常世)」と同じ音を持ち、古来から「永遠」という意味で語られます。一家の求心力や、一族が絶えることなく永久に続く象徴そのものが「床の間」であり、この床の間こそ家全体の中心であると私は思っています。

またかつての暮らしがいまでも色濃く残る沖縄では、「床の間は屋敷を守る男の神様がいる神聖な場所なので、床のある和室を一番座と呼び住宅の中で最も高貴な場所である。」と言い伝えられています。実際に、明治頃までは、床の間には神様が宿ると信じられ、神様が依り代になるものを設置し、そこに神様が入ってきてくださる空間であると信じられていました。

実際に、空間という字は、「空」と「間」からできている言葉です。これは入れ物のことであり、器を示します。神様がどれを依り代に降りてこられるか、次々に家の中に入ってきてくださる八百万の神々がそこに鎮座し、その神様をお祀りしおもてなしする至高神聖な場がこの「床の間」であると私は直観するのです。

もっとも清浄で神聖なその永久の空間を、どのようにするかは聴福庵がはじまったときからの主人としての大きな命題でした。それが地球の星魂の欠片でもある砂鉄を用いることができるご縁が本当に有難く、感謝の念が湧いてきます。

この家の暮らしの中心の床の間の甦生は、すでにはじまった聴福庵の息吹と誕生の大きな節目です。これから子どもたちのために風土や初心を伝承していくために主人のいのちが入る瞬間です。

炭と鉄に見守られ、火と水に支えられ、心玉が磨かれて光り輝いていく日本刀のように和魂円満の永久の間を味わいたいと思います。

 

参画協働

人生において主体性や自主性は、参画や参加によって磨かれていくものです。そしてその一人ひとりが参画し参加することで社會は形成されていきます。人間は社會を創造する生き物ですから、如何に周囲とつながり自分を活かしていくかは人間の命題でもあります。

上下関係の刷り込みを持ち人は誰かからやらされたり管理されたりすることが当たり前になると、やらせる側とやる側が分かれてしまいます。黙って口を空けていれば勝手に押し込んでもらえるような生活を続けてしまうと、自分から取りにいこうとも思わなくなるものです。この刷り込みが邪魔をして参画することも協働することもできなくなるのは事実です。

これは幼少時からの詰め込み教育にはじまり、誰かが管理し教え込み、何度も無理やり詰め込まれているうちに自分から何かをしようとする興味もなくなっていきます。そうなると次第に学ぶ意欲が失われ、ロボットや機械のように同じことを繰り返す人間になってしまうこともあります。最初は抵抗するのですが、そのうちこれが楽なことを知り、それに依存してしまうのです。しかし本来の人間らしさや個性を発揮していくには、まず受け身であること、他人のせいにできることを捨てていかなければなりません。これは楽にはなりませんが、主体的に責任を持つことでなんでも楽しくなるものです。

そのためにまず必要なのが参加や参画することです。

まず参加するとは、ある目的をもつ集まりに一員として加わり、行動をともにすることを言います。会社に所属すればすでに一つの社會の一員ですから参加していることになります。そして参画ですが、これは計画段階から一緒に取り組んでいることをいいます。今の時代は、如何に無関心を取り払い社會の一員としてみんなが参画してくれるかがどの社會においても課題になっています。

この参画は、例えば人のアイデアに乗っかったり、わざわざ自分から足を突っ込むというようにはじまりの段階から一緒に取り組んでいくことで実現します。先に進めてしまったり、勝手に一人でやっていたら参画する機会がありません。如何にはじまりのところから一緒に取り組むかが大事で、途中参加だと主旨が分からずに最初は着いていけなくなったりするからです。参画意識というものは、誰かからの指示が降りるのを待つのをやめることで高まっていきます。

人生を楽しくするのも、仕事を楽しくするのもすべてはこの参画意識からはじまります。それは会社経営においても、自分から運営に参画したり経営に参画しているという自覚を持てば仕事は楽しくなってきます。やらされたりさせられたりする仕事は面白くなくなってきます。如何に面白い人生、楽しい仕事にしようとするのなら自分からその人生や仕事に進んで参画して自分自身が主体的に自分の人生の主人公になっていく必要があるのです。

やりたくないことを続けているうちにマンネリ化し、やりたくない中でサボることが楽しいとインプットされた末路は空虚なつまらない日常が訪れるかもしれません。

まずは自分の中にあるその上下の刷り込みや管理の刷り込みを取り払い自由になることに挑戦することかもしれません。これに気づかずに無意識に苦しんで孤立している人が組織にはたくさんいます。実際に大人の刷り込みを取り払うのは本当に大変ですが、取り払うことで生まれ変わりその人が甦生し個性が活き活きする姿が見たいから何度も失敗しても私はそれに取り組んでいくのかもしれません。子どもたちには、最初からの姿のままで大人になってほしいと願います。

参画と協働は、常に表裏一体です。

引き続き、子どもたちのためにも見守ることを学びながら自立の意味を深めていきたいと思います。

 

石工の魂

昨日、江戸時代末期から続く郷里の老舗石屋の五代目主人の方にお話をお聴きするご縁がありました。聴福庵の沓脱石を探している関係でご縁をいただきましたが、改めて石大工の仕事の深さを感じる機会になりました。

そもそも石屋は、石を刻んで細工する職人のことをいい石大工、もしくは石工(いしく)と呼びます。

石大工の歴史を辿れば、はじまりは遺跡にもあるように石を様々に加工して暮らしの中で利用したところがはじまりだと思いますが主に進歩があったのは鎌倉時代で社寺造営に石材が使われはじめ石大工の活動が活発になった頃からだといいます。室町時代には一般庶民の神仏信仰が盛んとなり各地に石仏や石卒塔婆が作られるようにもなってきます。そして戦国末期から江戸初期になると築城用石材が多く使われ、茶の湯の流行もあり茶庭におく石燈籠や手水鉢など小型石材加工品が出てきます。さらに江戸時代も中頃になると庶民でも墓石をつくることが一般的となります。そして全国各地で石切場の開発がなされ、石屋が急増したといいます。近代は、戦争があって戦死者を祀ることでたくさんの墓石が建てられました。そのころがピークであとは、安い韓国製や中国製、手作業から機械に代わり大量生産が可能で加工が便利になり、かつての石屋が激減して今に至ります。

昨日、老舗石屋の五代目主人にお話をお聴きしていると石大工の仕事は心が必要であること、石という何億年も何万年もかかってできたものを加工するのは神仏と深いかかわりもあり、神聖な仕事であること、先祖先人が遺した真心の手を入れた石にはいつまでも守る責任があることなど教えていただきました。

現代は、墓石も建てられないどころか捨て去られ、安価に購入できる外国産の石が国内には溢れています。またかつて貴重といわれた石も、卸業者によって価値が壊れてしまいゴミの山のように廃棄されています。石の最期は、産廃業者が集めて粉々にし砂利にすると言っていましたが長い期間をかけて出来上がった石をいとも簡単に機械で粉々にして捨てるという現実をお聴きし、人間の都合の便利さの陰に昔ながらの自然との共生が失われていくのを改めて実感しました。

最近では伝統の石大工は激減し、ほとんどが廃業に追い込まれてしまったそうです。五代目主人が修行した四国の伝統的な石屋も先年に倒産したそうです。畳や桶と同じで、日本の大切な文化が消えかけているのはこの石工にも起きていました。

また石場で捨てられた石が山積みになったところをみると、お地蔵さんや名前の入ったお墓、その他、仏塔や石碑、ありとあらゆる石がゴミのように捨てられていました。

江戸時代末期から明治の頃のお話をお聴きすると、先祖の石大工は鑿と金槌を持ち山に入り石があるところで墓を加工していたともいいます。また墓を建てるというのは、祝事ですから地域の人たちがみんなで無償で協力して石を運び、助け合って建てていたといいます。その頃は、石工も一緒にご祝儀をいただいていたそうです。そのころの方が、石も喜んでいたのではないかと感じます。戦争時に戦死者が増えてみんなが墓を建てた理由は、その人たちの御蔭で今の自分たちがあることを忘れまいとしたからだそうです。今はその建てた世代が亡くなり、途端に管理が面倒だからと墓が子孫によって捨てられていくようになったと嘆いておられました。

悠久の年月、いつまでもその人の御恩を忘れないようにと頑強で丈夫な石を選んでしっかりと心を籠めて刻んだものが今ではそれが処理するのが高価で不便になり、そのまま放置して誰も管理せずに捨てていく理由になっているというのはとても残念なことです。これは古民家の空き家と同じです。

石は私たちに記憶を刻むように心を留めます。その心に留めたものを捨てるのは、私たちが初心や原点を忘れているからかもしれません。

改めて石大工の棟梁の心構え、石工の魂をお聴きし、ここにも日本の職人文化が深く根付いていたことを学び直しました。改めて、聴福庵の仲間になってくれる沓脱石の存在と今回のご縁を結び、自然を尊び、石の本質を確認しながら和の甦生に取り組んでいきたいと思います。