豊かな場づくり

田んぼを観察していると驚くことがたくさんあります。それは時間帯で見せる表情がまったく異なるからです。特に昼間と夜間は異なります。夜間などはたくさんの生き物たちが活発に活動しています。昼間の方はオタマジャクシやタニシらは目立ちますが夜はもっとたくさんの虫たちや微生物が動きます。

むかし、川にうなぎを釣りにいくことがありましたが夜の方が魚はよく釣れます。ある一定の時間帯になると、面白いように釣れます。しかし時間帯が変わればほとんど釣れません。通常のときよりも、雨などで土が濁っている時の方はよく釣れました。昼間は目立つこともありますが、水の状態も変わり活動しやすいのでしょう。

夜によいお水を入れることは、それだけ生き物たちの環境を調えます。

もともと千葉のむかしの田んぼのときは不耕起栽培をしていました。その頃も、稲を見守るといいながら実際には生き物いっぱいの田んぼの見守りが中心でした。冬季湛水をし、生き物たちの循環が途絶えないように取り組んできました。

田んぼという場は、私たちの主食をつくるだけの場ではありません。生物をたくさん産み出す場所です。いのちの循環が豊かであればあるほど、その中のいのちも充実します。これは自然の理です。

つまり田んぼはまさに山・川・里・人をつなぐ巨大な生命循環の場であり、人間が管理しながらも、何千もの生き物が共存する極めて珍しい生態系の場でもあります。

それに対して都会は、ほとんど人間しかいません。生態系が乏しく、いのちは地方や遠方からの資源を送り込むことで維持します。生態系の中でみんなで循環するのではなく、循環しなくても生命を維持するという仕組みです。

身体でいえば、人間の自然免疫を高めてそれによって健康を維持するのではなく、人工的に栄養素や薬などを投与して状態を維持するのに似ています。人工的といっても、田んぼは人工的な場です。しかしその前提が、自然の生態系を豊かにしていくための自然と共生する人工物です。自然を管理したり、自然を支配するような人工物ではありません。

人はどのように自然と関わるか、どのように全体の生態系の循環の一部になるかで出来上がるものも異なります。

自然に寄り添い、自然が調和するように関われば自然は豊かな生態系を産み出します。日本の先人たちは、その場所を杜とも呼びましたし、イヤシロチとも呼びました。

時代が変わっても、先人たちの生き方に倣い、豊かな場づくりをしていきたいと思います。

元氣の甦生

元氣というものがあります。これは「氣の元」とも言えます。私たちは空氣を吸っては吐き、息をしていのちを保ちます。呼吸していなければ生きていくことはできません。食べ物がなくなってもしばらく生きられますが、呼吸できなくなれば生きることはできません。

この呼吸は、氣の交換でもあります。私たちのいのちは、いつも交換しながら循環し流れては調和しています。別のいのちと交換しながら全体のいのちを育みます。私たちは全体調和のなかでいのちを生きる、まさに全体と一体になって存在している部分の一つです。

その中心的なものがこの「氣」というものです。この世のすべては空氣で結ばれています。この世のすべてのものは氣を通して呼吸しています。これは無機質のものに至るまで、呼吸しないものはありません。だからこそ、氣がどうなっているのかをよく観察し洞察すれば病気の根源も認知できるものです。

「養生訓」を記した貝原益軒が巻第一「総論上」の中でこう記しています。

「素問に、怒れば気上(のぼ)る。喜べば気緩(ゆる)まる。悲めば気消ゆ。恐るれば気めぐらず。寒ければ気とづ。暑ければ気泄(も)る。驚けば気乱る。労すれば気へる。思へば気結(むすぼ)るといへり。百病は皆気より生ず。病とは気やむ也。故に養生の道は気を調(ととの)るにあり。調るは気を和らぎ、平(たいらか)にする也。凡そ気を養ふ道は、気をへらさざると、ふさがざるにあり。気を和らげ、平らかにすれば、此二つのうれひなし。」

意訳すれば、「中国最古の医学書『黄帝内経・素問』には怒ると、気は上へとのぼる。喜びすぎると、気はゆるみ、締まりを失う。悲しみすぎると、気は消耗する。恐れると、気の巡りが悪くなる。寒さにあたると、気は閉じこもる。暑さにあたると、気は外へ漏れ出る。驚くと、気は乱れる。働きすぎると、気は減ってしまう。あれこれと思い悩みすぎると、気は滞ってしまう。このように、あらゆる病は気の乱れから生じるのである。「病」とは、まさに気が病んだ状態をいう。だから、養生の根本は、氣を調えることにある。「氣を調えるとは、氣を穏やかにし、偏りのない平静な状態に保つことである。」そもそも氣を養う方法は、二つしかない。一つは、氣をむやみに減らさないこと。もう一つは、氣を滞らせないこと。氣が穏やかで、偏りなく、よく巡る状態を保っていれば、この二つの心配はなくなり、病になる原因も少なくなるのである。」と。

ここでの要諦は、病気は氣から起こる。氣を調えていれば病気の心配はない。氣の養生は、二つしかない。氣を滞らせずに循環すること、氣をむやみに減らさない、平氣でいることであると。

氣の持ちようは、健康を司る大きな鍵です。元氣は、いつも元氣であるように暮らしを調えることからはじまります。では元氣な暮らしとは何か、それは孟子の浩然の氣にこそヒントがあるのではないかと私は思います。

『孟子』公孫丑上の中で孟子は弟子との対話でこう言います。

「我善く吾が浩然の氣を養う。」

弟子が「浩然の氣とは何ですか。」と尋ねると、孟子は答えます。

「至大至剛にして、直きをもって養いて害することなければ、天地の間に塞がる。」

これは弟子との問答の中で、浩然の氣は、義を積み重ね、道にかなった生き方を続けることで育つということを諭します。浩然とは、広大で、のびのびと満ちあふれた状態のことをいいます。これは私は「元氣」のことだと定義しています。

つまり元氣でいるというのは、浩然の氣を養うこと。養生とは、この浩然の氣のことです。そして浩然の氣は、直き心、素直さ、義の心、そして徳を積むことで養われるというのです。

暮らしフルネスの実践は、この「元氣の甦生」にこそあります。

畢竟、短い人生の中で何が遺せるか。それは生き方や生きざま、そして実践です。実践を遺せば、後に続くものたちの道になる。徳と氣は表裏一体なのです。

道は元氣の甦生からというのが、私が場道家として場づくりをする理由です。

子どもたちに初心伝承できるように、精進していきたいと思います。

暮らしは実践そのもの

自分の生き方を日々に選択するにおいて、判断は何処で行うか。それは「実践」であるかどうかということだと私は思います。実践というのは、認識よりも深い自然体の一部に近い行為です。それを日々に取り組んでいることを私は「暮らし」とも呼びます。

つまり暮らしは実践そのものということです。暮らし=実践です。例えば、朝起きて太陽を拝み、神仏にいのり声と意識とお水を捧げる。そこから食事を準備して、丁寧にいただき朝の作務を調えつつ、内省し日々の心の持ち方を定めていくとします。これは暮らしの実践です。

実践しているようで暮らし、暮らしているようで実践する。

私の場合は、一日の中に何度も実践をする項目があります。お手入れの回数は毎回あり、掃除にいのり、また場づくをし続けます。暮らしているように場づくりをし、場づくりをするように暮らします。これもまた実践です。

人の人生というのはあっという間に過ぎていき、終焉を迎えます。

だからこそ何を大切にして生きていくかというのは、人生の一大事です。

その一大事を忘れないように初心を定め、実践によってその人生を括ります。その継続で、最後に実践してきたことだけが遺り譲られていくのです。いのちの連続性や循環、そして関係性は実践が結ぶのでしょう。

実践が結ぶと信じれるからこそ、その時々の年齢の覚悟も決まります。

今日も、大切な一日として実践していきたいと思います。

歩み方

過ぎてしまったことというのは取り返しはつきません。だからこそどう今を生きるかというのは誰にも問われています。さらにいれば、今はどう生きるのか。常にそれが問われます。

生きていると日々、瞬間瞬間は試練です。

今、判断したことが未来になります。

だからこそ、今、どのように生きたか、何を優先したか、心はどうであったかと自問自答して内省します。そもそも内省というのは、自己との折り合いでもあります。様々な出来事がある中で、時には何かに巻き込まれてしまうことがあります。油断大敵ともいいますが、知らず知らずに油断してしまうのです。

だからこそ油断しないように、常に今に集中して判断を磨いていきます。

人間が相手の場合もあれば、自然が相手の場合があります。どんな時でも、真心や思いやりをもって歩むことができたか。人間性を失わないで、豊かな心を育んだか。日々の微細な現象は、試してくるものです。

私の場合は、自分の体験がきっと誰かのお役に立つと信じることや、自分の気づきが、子どもたちやご縁のある方々の勇気になること。そして全体最適に、来たご縁の中で精いっぱい生き切ればそこに何か大切な伝承があると歩んでいます。

いろいろと発生しますが、きっとこれが何かいいことになると信じ切る事。

人生は生き方、そしてそれは歩み方。

歩み方を調えて、日々を調和していきたいと思います。

新体制

夏至から七夕までの大切な時季に、株式会社カグヤは新たな経営体制に甦生しました。野見山広明は代表取締役会長に就任し、眞田海が代表取締役社長に就任します。

なぜ今、代表を交代するのですかと尋ねられることがあります。なぜか若いのに悠々自適な生活を送るのかといわれたり、仏門にでも入るのかなどともいわれます。世代交代や事業承継ですかともいわれます。

しかし本質は「甦生」の実践です。これは古民家甦生でも、結の甦生でも、暮らしその甦生でも同様にいつも取り組んでいるものの一つです。

そもそも自然界には、永遠に同じ姿のままで存在するものはありません。諸行無常ともいいますが、実際には変化し続けるものです。植物でも人間でも生死は循環します。しかし、そのいのちは姿を変えては永続し続けます。これが自然の徳です。

伊勢神宮に1300年以上続いている「式年遷宮」というものがあります。これは二十年ごとに社殿を建て替えながら、技術も祈りも精神も受け継がれていく知恵の実践です。これは新しくなるのは建物だけではなくそこに携わる人が育ち、次の役目へと移り、その人がまた次の世代を育てていく実践です。どんなに変化しても、その初心は伝承していくという仕組み。神道ではこれを常若といいます。

常に環境の変化や時代の変化を受け容れながらも初心を忘れずに甦生し続けることが、先人が私たちに遺してくれた大切な経営の知恵です。日本にある数百年も続く老舗などもその知恵を経営に取り入れてきました。

株式会社カグヤは創業以来、「子ども主体」の保育を通して、未来の子どもたちが安心して暮らせる社会を目指し経営してきました。

これからもそれを変えるつもりはありません。新体制は、その使命を果たすための新しい一歩でもあります。これまでカグヤを支えてくださった皆様への感謝や御恩返していくためにも、これからも「子ども第一義」の初心を忘れることなく、徳を循環させ、場を醸成し、甦生の歩みを続けていきます。

七夕の短冊に願いを籠めて。

一期一会 野見山広明

雨と修験者

最近、線状降水帯という言葉をよく聞くようになりました。これは予報の科学的技術の精度が上がったこともありますがこの20年ほどで豪雨の質量が約2倍以上になったこともあるといいます。

私の故郷は遠賀川をはじめ英彦山からの本流域の中にあり、川の近くにいるからか大雨洪水は感覚的に危険だと幼い頃から怖れていました。最近は宿坊に滞在することが多く、お山のバケツのような雨に下流がとても心配になります。

英彦山は九州では非常に珍しい三分水嶺です。北西へ流れる水 は 遠賀川から響灘へ。北東へ流れる水は今川から周防灘へ。南東へ流れる水は山国川から周防灘へ流れます。

修験者たちはこの水の流れが四方に流れる様子にいのちを観ていたといいます。

それが谷ごとに神仏がいると信じられ、それが大切な修行場となりました。いのちが産まれる場所をどう調えていくかが、修験者たちの使命と役割だったのではないかと私は思います。

谷ごとに如何にお水を調えて、下流へ穏やかに流れてもらうか、そして海に豊かで穏やかな状態で届けるか、そこには場を清め調えるという大切なお役目があったように思えて仕方がないのです。

なぜなら宿坊は、谷にありお水を見守るように建っています。お水が穢れないよう、暴れないようにと場を調えているのが宿坊とも言えるからです。だからこそ、谷ごとに神仏が設置され、修行場が存在していたように思います。

鎌倉時代に編纂された『彦山流記』には四十九窟(修行窟)が明記されますが江戸時代にはさらに多くの谷が修行場として利用されるようになったとあります。英彦山一帯には大小合わせて三百を超える谷があると伝えられ、やはりここでも「谷ごとに神あり、水ごとに仏あり」と伝承されてきました。

私たちの谷は、弁財天が祀られます。神様としては瀬織津姫です。この時季、英彦山はお水に包まれまるで水中にいるかのようです。

豪雨災害が増えたからこそ、修験者たちのいのりや場づくりは今まで以上に大切になります。丁寧に暮らし、お手入れをして調和していくようにいのりを実践していきたいと思います。

未病を治す

養生というものがあります。これは「生命を養い、生きる力を育てること」とも定義されます。「養」は養う・育むこと、「生」は命・生命を意味していて命を大切に育み、天から授かった生命を十分に生かすための生き方のことをいいます。

本来人間は自然の一部です。ついつい忘れてしまいますが、自然から離れることで様々な不調和が発生してきます。それが精神をはじめ心身の不調和を起こし生命力が弱り病気になります。

現代はそれをサプリや薬で補おうとしますが、そもそも不自然な暮らしの中で病気を産むような生活をして対処療法ばかりを続けていてもそのうち限界を迎えます。その前に、自然に沿った暮らしによって限られた生命力や自然免疫力によって快復していくことに努める方が安心ということでしょう。

古代中国の医学書である黄帝内経に、「聖人は已病を治さず、未病を治す」と記されます。これは優れた人は病気になってから治療するのではなく、病気になる前から暮らしを調えることで病気そのものを未然に防ぐという意味です。

養生とは、この「未病を治す」という思想を日々の暮らしの中で実践する方法ともいえます。

日本で養生訓を記した貝原益軒はその著書の中で、健康の秘訣を特別な薬や秘術に求めず、食事、睡眠、労働、休息、節度、心の持ち方といった日常生活の積み重ねにこそあるといいました。

そしてその3本の暮らしの柱は、身を養い、心を養い、徳を養うともいいました。私なりに深く洞察するなら、徳を磨き積むことが心身そのものを調え、自然に沿った生き方になり人間のいのちが真に豊かに全体と喜び合えるように暮らすことができるということでしょう。

そして養生には、食の養生というものもあります。自然のめぐりに沿って食べていく知恵。例えば春は芽吹くもの、夏は体を冷ますもの、秋は潤すもの、冬は温め蓄えるものなどです。

当たり前のことですが、現代はこの当たり前ができない環境の中で暮らしています。

子どもたちが将来、何が自然で何が不自然かの軸が失われないように場づくりを通して結んでいきたいと思います。

 

カグヤの節目

人生を振り返る中で節目を乗り越えて心は強くなっていくようにも思います。竹の節のように、節があるから竹も強くしなやかになっていきます。私たちの会社、カグヤのロゴは竹です。

竹をシンボルにしたのは、竹のもつ不思議な力への尊敬、また成長することへの畏敬からです。そもそも竹は古くから、日本人にとって強さや清らかさ、しなやかさの象徴とされてきました。その中でも、竹の「節」は、単なる見た目の特徴ではなく竹の生命を支える重要な役割があります。

竹は木のように年輪を重ねて太くなる植物ではなく、短期間のうちに驚く速さで成長します。それは節があるからです。成長の過程で一定の間隔ごとに節がつくられ、節と節の間は「節間」と呼びます。この節があることで、内部が空洞で軽い竹でも強度が保たれ自然災害や風雪などの大きな力にも耐えられるしなやかさ持てるのです。

節がもしもなくなれば、すぐに折れて曲がります。竹のしなやかさはこの節があるからです。節は成長を止めるように見えますが実際には止めるものではなく、次の成長へ進むための確かな土台となるのです。

竹が節を重ねるほど丈夫になるように、人間も同様に丈夫になると信じられてきました。日本には「節のある人」という言葉がありこれは、自分の信念を持ち、約束を守り、筋を通して生きる人を意味するといいます。また、「節度」という言葉もあるように自分を律し、何事にも行き過ぎることなく、調和を保つことをいいます。

竹の節やいのちの節目によってはじめて様々禍を福に転じる力になるのです。

東洋思想では真っすぐに伸びる姿は誠実さを顕し、中が空であることは謙虚な生き方を顕し、風にしなやかに揺れる姿は柔軟性を顕し、節は修行や人生の節目を顕すと考えられてきました。

一つ一つの節目を大切に味わい、それを見守るたびに豊かな成長があることを信じたのです。

子どもたちの成長をいつまでも見守り続けられるように竹の節のように生きて生き方を譲り伝承していきたいと願い、この七夕の大切な時季に新しい体制を甦生することになりました。

お陰様に見守れ、素晴らしい仲間に恵まれ、深く感謝しています。

新しい代表取締役社長と力を合わせて竹のように清々しく素直に新たな挑戦をしていきたいと思います。

あっという間の人生

久しぶりにゆっくりと20代から50代までの30年間を過ごした東京でのことを、会社の周辺を御礼参りしながら思い出しているとあっという間に流れた刻を感じました。夢があるだけで他は何もなかった若いころ、ただ只管に仕事のためだけに真摯に生きていました。

葛藤ばかりでしたが、多くの有難いご縁に恵まれ、夢が大欲となり目的を忘れない生き方をしようと働き方を変えてきて今があります。

現代は、制度や組織の中で初心のようなもの、目的を見失いがちです。成熟していく制度や組織は、その仕組み依存して人は流されていくものです。ただ制度や組織や仕組みに従っていれば正しいと思い込み、目的が手段に入れ替わっていきます。

例えば、学校であれば学校に行くことが目的になり本来の人間が育つことを見守ることよりも方法の方が目的になっていたりします。制度は手段でしたが、そのうちそれが守られることが目的になります。これは会社も同じです。理念を優先するよりも、組織を守ることが目的になっている会社はたくさんあります。それくらい日々の業務に忙しく流されていたら忘れてしまうのでしょう。

だからこそ生き方と合わせて働き方を変える必要がありました。

そしてそれがかつての先人の智慧、「暮らし」であったのです。暮らしを変えるというのは、生き方と働き方を一致させるということです。それを私は暮らしフルネスと提唱して実践しています。

人生はあっという間です。

自分の一生など、残りあと生きられても十年から数十年でしょう。

医者から革命家になったチェ・ゲバラにこのような言葉があります。

「明日死ぬとしたら、生き方が変わるのか?あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なのか」

大切な節目に、自分に問いつつ感謝で一日を過ごしていきたいと思います。

暖簾と信用

会社には取締役という存在がいます。この肩書は江戸時代からあるものでそれが明治の頃にそのまま今の会社法の仕組みに取り入れられた言葉だといいます。管理監督という意味もあるのですが、どのような経営をするのかでその言葉の定義も変わってくるものです。

例えば、義を持って利をという社風ではなくただ儲けだけをしている会社の取締役はお金だけを管理監督するのがその役割になります。反対に近江商人をはじめ日本的経営のように先義後利のような生き方を大切にする会社であれば取締役は理念を守り全体調和を調整する役割にもなります。

同じ肩書を持っていても、その本質はそれぞれに変わっているものです。

江戸時代などは「暖簾」という言葉を大切にしました。暖簾=信用だったからです。商売をするのに、何よりも重視したのは信用でした。

「暖簾は一代で作れないが、一代で失う」という言葉があります。

この暖簾とは、単なる店先の布ではなく、そのお店が長い年月をかけて築いてきた評判、信用、伝統、取引先との信頼、そして先祖から受け継いだ価値そのものをいいました。

老舗は、お客様をはじめ社員、関係者からの信用を守りました。その時代は社長は主人、そして取締役は番頭などとも呼ばれていますがみんなで暖簾に恥ずかしくないようにと自己を律して商人道を邁進していました。

暖簾は今のように大企業だからとか資本が大きいとか、テレビやマスコミに取り上げられているからというようなものではありません。暖簾という信用は、長い時間をかけての誠実に正直に、嘘をつかず信頼される実績の集積です。何代も何代もかけてはじめて暖簾は信用されます。一代ではつくれないのが暖簾でした。

しかし反対に、信用を失うのは一瞬です。もしも嘘をつき商品をごまかす、約束を破る、私利私欲のために経営をしたらそれまでの信用や信頼を壊し先祖先人から受け継いだものを次の世代へ渡せなくするほどのことだったといいます。

商家にとっての番頭、今でいう取締役は単に利益を増やす人ではなく、主人から預かった財産、従業員、取引先、そして何より「店の信用」を守る役目を担っていたといいます。

だからこそ誰を取締役に選ぶかというのは、暖簾や信用の一大事だったのでしょう。そして従業員もまた同様にみんなで暖簾を守りました。

よく考えてみると、此の世の一大事の一つは次の世代に受けた恩や徳を渡していくことです。今の私たちは先人たちの恩徳で暮らしています。だからこそ同じようにそれを手渡していくことが本来の道です。

商人道であろうが、経営道であろうが、大事なのは信用を受け継いでいくことであろうと思います。

よい機会に恵まれ、有難く信用を手渡していけます。引き続き、暖簾と信用を守っていくよう精進していきたいと思います。